元カレ
毎朝新聞政治部・
「今晩、久々に会えないかな?」
「ええ? ちょっと忙しくて……」
瀬口は単なる記者仲間というだけではない。数年に渡る交際を経て別れた、いわゆる〝元カレ〟であった。
「ちょっとだけでいいんだ。いつだったら空いてる?」
「じゃあ……今度の金曜日なら、少し」
「オーケー、じゃあ金曜日、いつもの店で」
瀬口はまるで付き合っていた頃のようにあっさりと話をまとめた。「いつもの店」とは、イスケンデルという本格トルコ料理店で、水森が一番好きな店だ。
彼女は近頃見かけるドネルケバブをトルコ料理とは認めなかった。曰く、あれはトルコ人がベルリンの屋台で売り始めたファーストフードで、本来トルコ料理とはフランス、中華と並んで世界三大料理に数えられるほど美食の極みなのだ。
瀬口は約束の時間より早く入店したが、水森は既に来ていてラクをチビチビやっていた。
「相変わらず早いな」
「ええ、あなたも」
瀬口もとりあえずラクを頼み、クイっとひっかける。
「で、要件は何なの? まさかよりを戻したいとか」
「そのまさかさ」
「あ、そ。お断り。じゃあね」
水森が席を立とうとすると、瀬口は慌てて引き留めた。
「ま、待ってくれ。今のは冗談だ。職務上の信念で別れを切り出した君の気持ち、そんなに簡単に揺らぐ筈はない」
「当たり前よ。誰が政治家付きの記者なんかと付き合えるものですか。私までダークサイドに引き込まれるちゃうわ」
「ダークサイドと言われついでだけど、担当している櫻井幹事長から野暮用を頼まれていてね……」
「野暮用!?」
「ああ、世界安寧教団副理事長の榊原和夫という人物を探して欲しいって……全く、興信所じゃないっての」
「榊原? 誰なの、それ?」
「ほら、イ・ヨンスクという牧師のわいせつ疑惑で問題になった事件あるだろ、あの事件で被害者の口封じに奔走していたとされるのが榊原だ。事件が一段落した後、行方をくらましているらしい」
「もしかして……呼んだのは、私にもその野暮用の片棒を担がせるつもりで?」
「いやほら、君はそういう、なんて言うか、弱者の味方みたいな取材、たくさんしているだろ。そのアンテナに引っかかって来ないかなと……」
「あいにくだけど、そういう宗教関係って難しいのよ。喋ったら呪われるとか脅されて箝口令敷かれたら、誰も口割らないしね」
「まあ、すぐに見つかるなんて期待していない。心の片隅にでも置いてくれたらいいよ」
「わかった」
水森は適当に受け流したが、政治家のお抱え記者などに情報を差し出すつもりなどさらさらなかった。それから当たり障りのない会話に転じたが、二人の間に花が咲くような昔話はなかった。
駐車場に停めてあった車のエンジンをかけてから、水森は自分が飲んでいることを思い出した。仕方なく車を置いて、電車で帰宅することにした。
酔客のひしめく電車の中で、水森は退屈しのぎにスマホを取り出した。そして「世界安寧教団 榊原和夫」と検索してみた。様々な記事をサーフィンしているうちに、榊原の画像が目に止まった。どこかで見たことがある……そう思い巡らしている内に、ハッと気がついた。
そして瀬口に連絡しようと番号を入力して、はたと手を止めた。
(やすやすと渡してはいけない。いざという時、切り札になるわ……)
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