薮内なつみ(やぶうち・なつみ)
待ち合わせ場所として薮内なつみが指定したのは、真新しいオフィスビル一階にある吹き抜けのカフェテリアだった。御供が行くと、それらしき婦人が立ち上がり一礼した。
「御供さんですね。ライフプランナーの薮内です。早速なんですけど、いくつかプランをご用意いたしまして……」
薮内なつみがいきなりバッグからパンフレットを取り出したので、御供はあわてて手を振った。
「あ、いえ、保険を申し込みに来たんじゃないんです。ちょっと薮内さんとお話ししたいことがありまして……」
「あら、勇み足だったかしら。ごめんなさいね、どういったご用かしら?」
商談じゃないことがわかっても態度を変えないところから、こうした展開には馴れているようだった。経験を積み重ねているのだろう。しかし谷口圭佑が言うように、目つきがギラギラしていてうっかりすると取り込まれそうな威圧感があった。いかにもやり手の「保険のおばちゃん」という感じで、かつて純朴な少年たちを虜にしたマドンナをしのばせるような要素は、微塵も感じられなかった。
「あの……浜本淳一という男性を覚えておられますか? あなたがかつて家庭教師をしていたそうなんですけど」
「ええ、もちろん。あれからあんな事件を起こしてびっくりしたわ。昔はそんなことするようには見えなかったんだけどね。……あなた、もしかして刑事さん?」
「いえ、僕はキリスト教伝道師として彼の個人教誨をしています。彼と話している中で、キリスト教への反感と強い女性不信を感じましたので、もしかしたらその根源に心当たりがないかと……」
そもそも薮内なつみ自身が〝根源〟なのであろうが、御供はそのことについては明言を避けた。
「へえ、あなた牧師さんなの。そうねえ、今はどうか知らないけど、あの子ちょっと純粋過ぎるのが気になってたわ。ガラスみたいに、ショックがあるとバリンと割れてしまうような……」
「その彼に対して、助言したりしなかったんですか?」
「そういうのは世間に揉まれて擦れていくものでしょう。だから若かった彼にあえて世の中に絶望させるようなかとは言わなかったわよ。だけど、教会来なくなった時、正直ホッとした」
「……って、あなたが教会に連れて来たんじゃないですか」
「ええ。だけどあのままじゃあの子、本気で信じてしまうって思ったの」
「それのどこがいけないんですか?」
すると薮内なつみはあのギラギラした目を近づけてきた。
「私ね、こう見えてもあの頃熱心な信者だったのよ。でも本気で信じてたら熱心な信者なんてやってられないわ。いつか潰されてしまうもの。宗教にしたって所詮、欲しいものを得られてこそ価値あるもの。そのことをあの人が教えてくれたわ」
「あの人って、ご主人ですか?」
「ええ、主人って言うか、元夫ね。そう、あの人も本気で信じ過ぎた一人だったの。だからしまいには気が狂っちゃって……とても一緒に暮らせる状態じゃなかった」
そう言った時、彼女のバッグに神社のお守りが結び付けてあるのが見えた。
「失礼ですが、もう信仰はないのですか?」
「ええ、クリスチャンはやめたわ。湯浅は欲しいものを祈って手に入れようとしたけど、それは間違いだと気づいたの。何かを欲しいと思えば努力しなくちゃ。そんな当たり前のことに気づくのにずいぶん遠回りしたわ……ね、もうこの話はいいでしょ。そのかわり、保険の話、してもいい?」
と、有無を言わさせずに薮内なつみはパンフレットを差し出してセールストークを始めた。御供は断れずに上の空で話を聞いていた。
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