北川と古川 その3

「今日はこういうものを持ってきました」

 北川は友人から借りてきたチェロを手に持った。古川は興味深そうに目を開いた。北川が弓を弦にあて、引いてみた。ボーという低い音が鳴る。ギターを弾いたことのある北川だったが、チェロは勝手が違ってうまくいかない。

「意地悪のみみずく……宮沢賢治の童話に出てくるんですね。古川さんもチェロの演奏に癒された……」

 すると古川は頷いた。自分をセロ弾きのゴーシュになぞらえていたという小野の読みは当たっているらしい。

「それにしても難しい楽器だな。古川さんも弾いてみますか?」

 古川は頷き、北川からチェロを受け取った。すると覚束ない手つきながら、音階を弾き始めた。

「おや、弾いたことがあるんですか?」

「……教えてもらいました」

「教えてもらったって、あの幻のチェロ弾きに?」

 古川は頷いた。北川は驚いた。幻の中で楽器を教わって弾けるようになるのか。これはますます、ただの幻覚ではない気がした。

「その人の名前、聞いたことはありますか?」

 古川は考え込んだ。その仕草は真剣な悩み事のように見えた。

「『人の子』……言っていました」

 それを聞いて北川は衝撃を受けた。

 まず、「人の子」とはキリストが自分を指して言う呼び方だった。

 それだけではない。旧約聖書ダニエル書の預言によれば、先日北川がビルの最上階で見た幻の光景のように、奇怪な獣たちが現れる。そこに人の姿を取って「人の子」としてキリストが現れるのだ


 とその時、古川がスーッと立ち上がった。そして北川に目もくれずに立ち去ろうとしたので、刑務官が慌てて同行した。そして古川の側に何者かがいるような錯覚が北川を襲った。北川はそれを振り払うように首を振った。

(何か俺まで……いったいどうしちまったんだ!?)

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