生存者 十一
十
技士はようやく鍵を開けた。密室の構図が崩れるや否や、興奮から目を充血させたギャングの一団がパニックルーム内部に殺到した。少なく見積もっても三十人はいるような具合である。
室内のガスはすっかり晴れていた。そのおかげか、照明の具合はやや薄暗いが見通し自体は悪くない。一団が目的の人物を発見するまで、たいした時間はかからなかった。あらかじめ室内にいた人間のほぼ全員が意識を失うなか、部屋中央でひとり佇む男。その男の手には、大口径の自動拳銃が握られていた。
極度の混乱のなかを一人生き残ったその男は、駆けつけたギャングたちに対し大声を張り上げた。
「何をしていたんだ、このウスノロ!」
幾分か特徴的な甲高い声だ。それをことさらに強調するかのように、彼はなおも喉を震わせた。
「たった一人を相手になんてざまだ、畜生!」
彼の顔や手指はまさに血まみれであった。スーツの鮮やかなオレンジと血液の赤とが混ざり合い、その全身を朱色に染め上げている。
いまだ興奮冷めやらぬ彼の足元には、黒いコートを身に着けた男が力なく横たわっていた。それは手足をだらりと床に広げたまま、ぴくりとも動いていなかった。身体のほうに一見してわかる外傷は見られなかったが、こと頭部に関してはその限りではない。いったい何発銃弾を撃ち込まれたのか、男の顔面は原型を留めないほど損傷していた。
どう見てもすでに事切れているだろう男の腹を、彼は一切の手加減もなしに蹴り上げた。続けざまに二度、三度、四度と、執拗に靴の爪先をくい込ませる。そうした無用な暴力を彼が繰り返すたび、まるで新鮮な西瓜が潰れるような水気を含んだ異音が周囲に響き渡った。
ギャングたちはその男の剣幕に押されながらも、恐る恐る彼の側に近寄った。ついで年長の者が一歩進み出る。
「アレックスさん、よくぞご無事で――」
「俺が無事に見えるのか? この間抜け! 医者の一人くらいは引っ張って来たんだろうなあ!」
「はい、表に救急車が到着して――」
「ここにつれて来いって言ってるんだ馬鹿! くそ、もういい! 俺を外に連れ出せ、そっちのほうが早い」
語調は強い反面、身体のほうは弱っていると見え、その足元はふらふらとおぼつかない。見かねた三人ほどが肩を貸そうと駆け寄るのを、しかし彼はわずらわしげに払い除けるばかりだった。そうする彼を含んだ一行はオーナールームをあとにすると、従業員用の控え室を抜け、T字路を曲がり、そのままナイトクラブのフロアに向かった。クラブの利用客たちも激しい銃撃戦に気が付いたのだろう、一時は空間を埋め尽くさんばかりに溢れかえっていた人間たちは、もはや誰一人残ってはいなかった。
正面玄関へと近づくにつれ、喧騒とサイレンとがいよいよ大きくなってきた。救急車のみならず警察車両も何台か到着しているらしい。そこには、複数名の武装した警官たちの姿も見えた。深夜とはいえ、火器を持った犯人による商業施設への襲撃があったのだ。それも、街のメインストリートのど真ん中で。この騒ぎも当然といえば当然だろう。
どうにか外まで辿り着いた彼ではあったが結局、いずれの緊急車両に対しても、その身体が収まることはなかった。当の本人がそれを固辞したためだ。
「父さんのところに連れて行け、いますぐにだ」
駆けつけたギャングたちの車に乗り込みながら、彼は告げた。
しかし彼本人の身を覆う外傷の具合を考慮したか、ギャングたちのなかにも一応は反対する動きもあるにはあった。まずはアレックス自身の治療を優先すべきではないか、というわけだ。
が、当然ながら彼は意見を曲げなかった。
「俺が狙われたんなら父さんもヤバい。もしも俺の治療中に父さんの身に何かあったら、俺はその医者も殺してやるからな! とにかく、どうでもいいから一刻も早く父さんに合わせろ! 手当てなんてそのあとでいい」
気に入らない相手は誰であろうと怒鳴りつける。アレックスが機嫌を損ねたときはいつもそうだ。敵味方の見境なく、近くにいる者に気の済むまで怒りをぶつけ続けるのだ。ときにはかんしゃくを起こし、手近な物を投げつけることもある。グラス、タバコ、携帯電話、手当たり次第になんでもだ。
一度こうなってしまえば、本人が落ち着くまでは一切、逆らうべきではない。彼にとっては幸いなことに、デモニアスに属する者の多くが充分以上にそのことを心得ていた。
ほどなくして、彼を乗せた車は逃げるようにして出発した。実際、一連の騒動を嗅ぎつけた報道陣を避けたいという意図も、一行のうちにはあった。
このとき現場に到着していたデモニアス所属の車両計十台のうち、彼の護送に携わるのは三台のみに限定してあった。残りはそれぞれ担当を分け、五台分はナイトクラブ周辺の警戒に、残る二台分の乗員はクラブ内での事後処理にと、各々がやるべきことを伝えてある。言うまでもなく、全員が快く彼の指示に従った。なんといってもいまは一刻を争う事態だ。ただでさえ荒れに荒れているアレックスの神経を、これ以上下手に刺激するべきではない。そのことを肌で感じ取ったか、運転手の男は自身が扱い得る限界に近いスピードで、四人乗りのピックアップトラックを疾走させた。
十一
襲撃開始から一時間あまりが過ぎた。
時刻は深夜二時をまわったところだ。この夜更けに、ケイン・マルドネスの私室を訪れる者は極めて少ない。そうするだけの正当な理由と権利とを併せ持つ者が、この街にはほとんど存在しないからだ。
だがその日、扉は確かに叩かれた。マホガニー材の黒い戸板に、間違いなく何者かが拳を突き当てたのだ。普段であれば、それに応える者はいなかっただろう。ケインは通常、この時間帯には私室とは離れたベッドルームにいる。言わずもがな、一日分の身体の疲れを癒すためだ。
加えていうなら、よほど差し迫った事態でもないかぎり、誰あろうと王の休息を妨げることは許されない。そのためにこそ幹部なる連中がいるのだ。つまり、君主が留守を任せられるだけの信頼に足る人間が。
しかしながらこのとき、ケインはまさしくそこにいた。玉座たる彼のデスクの前に。
一見、質素にも見紛う服装である。ダークブルーのボタンシャツにベージュのスラックスといった出で立ちで、ケインは私室奥の机についていた。安息とはまるで正反対の、激しい闘士をその全身にみなぎらせながら、だ。
彼の背後には、防弾ガラスで設えられた巨大な窓があった。高さ約二十フィート、幅十ヤード。壁一面を占領せんほどのサイズ感である。いまそこに映り込むのは、思うがままに明暗を敷き詰めたサウスランドシティの夜景と、孤高の輝きを放つ満月のみであった。侘しさと歓喜の入り混じった街の灯。いっそ抱えた問題のすべてを忘れ、人の世の営みを想いたくなるような風景だった。言葉もなくじっと見降ろしていると、それだけで自然と心が安らぐ。
だがそれも、この男、支配者ケイン・マルドネスにとっては実に些細な感傷というのみに過ぎなかった。自分の息子が襲われたと聞かされて、そのうえで後の対応を他人に預けてしまうほどにはケインも薄情ではない。同時に、それほど老いても、また衰えても、敵に対して甘いわけでもない。
成否のいかんにかかわらず、マルドネス家の人間に牙を剥いた者がいる。ならば、そのツケは必ず払わせなければならない。たとえどれだけの労力がかかろうとも絶対に反逆者を見つけ出し、その者が自ずから死を望むようになるまで追い詰める。それも、他ならぬ自分自身の手で。逆徒のすべてを抹殺せし者、ケイン・マルドネスの名と意思においてだ。
そうして静かに怒りを燃やす王の周囲には、戦闘用のライフルを携えた護衛たちが控えていた。いわゆる、親衛隊と呼ばれるグループの一員である。ただのギャングと称するにはあまりに訓練の行き届いた者たちだ。この時点で私室内にいる親衛隊は全部で五名。その護衛たちは室内の死角を失くすよう、それぞれがやや離れた位置で警戒を続けていた。
その後いくらか時間が経過したあと、その護衛たちとそれを従える主人の目線が、一斉に黒いドアへと向けられた。ノックの音に反応したのだ。そこに現れる人物の如何によっては、集中させられるのは目線ではなく射線となるだろう。妙な男が現れ、妙な動きをする前には、すでにそれを排除していなければならないのだ。
部屋中に強い緊張感が漂うなか、その男は部屋の主の応答を待たずして中に押し入ってきた。
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