闇医者 二


 面会当日。ダンフォールはベッドの上で、上半身のみを起こした状態でバリーたちを出迎えた。病室というよりかは、落ち着いた宿の一室というような雰囲気の部屋だった。シックで、かつ温かみを感じさせる内装に囲まれたダンは、心なしかリラックスしているようにも見えた。

 うっすらと緊迫感が漂い始めるなか、最初の一声を発したのはやはりバリーだった。

「気分はどうかな?」

 彼のその問いかけに対し、ダンは無表情で応えた。

「まあ、悪くないさ、先生」

 口ではそう言うが、顔中を腫らし、首に固定用のカラーを巻いた状態では、それも空疎な響きに過ぎなった。

「痛み止めは必要かな?」

「いや、結構だ」

「そうか。まあ、もしも入り用になったら言いなさい。それで今日のことだが、さきに説明しておいたとおり、きみに面会の客がある」

「ああ、あんたの後ろにいる男だ。だろう?」

 途端、ダンフォールとザックの視線がまともにぶつかった。しかしながら、ある意味では拍子抜けがするほどに、この両者のあいだに険悪な雰囲気というものは見られなかった。あくまでも、お互いに顔色を確認しただけのようだ。

 そんな二者のあいだに割って入るようにして、バリーは告げる。

「そう、彼だ。ザック・フィッシャー氏だな。念のため私も立会いをさせてもらうが……とにかくふたりとも、落ち着いて話をするように。ここは私の家だ。無作法を働く者は誰であろうと出て行ってもらう。わかったね?」

「わかっているさ。大体、俺に無理ができないのはあんたが一番よく知っているはずじゃないか」

「そのとおり。ただでさえ気をつかう頭部の負傷だ。頼むから、治療のやり直しなんて絶対にさせないでくれよ」

 最後にそう念を押すと、バリーは部屋の隅まで移動し、そこにあるウォルナット材のアームチェアに腰かけた。

 そうする彼と入れ替わるようにして、今度はザックがダンと対峙した。かつて命の取り合いを演じたふたりの男が、あらためて顔を見合わせる。

(彼らの胸に去来する思いとは、いったいいかなるものなのであろうか?)

 バリーの備える経験では、まったく推測が及ばなかった。

 それからしばらくのあいだ、三者は揃って長い沈黙を続けた。ひと時、無音が空間を支配する。壁や床を伝って聞こえる何かの機械音が、やけに騒がしく感じられた。

「何が訊きたい?」

 その声は溜め息のようにも聞こえた。一息で言ったダンフォールは、厳しい顔をザックのほうへと向けていた。

 対する探偵は、普段と変わらぬ平板な表情のまま返答した。

「お前たちのことだ。組織の規模や構成員の氏名。そんなところだ」

「素直に答えると思っているのか」

「さあな。だがあんた自身、何も言わずに済むとは考えていないだろう?」

「ああそうだ。なんせ、俺は囚われの身だからな」

 ダンフォールは自嘲気味に笑みを浮かべて見せた。そうしつつも、さらに言葉を続ける。

「だがな、やはりただで白状するつもりはないぞ」

「交換条件か」

「そうだ。俺はおまえの手間を省いてやる。その代わり、そっちのことも聞かせてもらおう。どうせ、この身体じゃ大した反抗はできないんだ。そのくらいのことは構わんだろう」

「…………わかった。俺が答えられることは、答えよう」

「交渉成立だ」

 アザにまみれたダンフォールの右手が、ザックの前に差し出される。彼はかすかな戸惑いさえ浮かべぬまま、素直に握手を返した。


    三


 それから交わされたいくつかの会話は、そこに立つ両者の、それぞれの立場というものを改めて思い知らせるかのように、ひどく淡々と室内を行き交った。

 驚くべきことに、ダンフォールは非常に多くの事情をすでに把握していたらしかった。運び屋を追う敵の正体がデモニアスであること。敵方には一部の警官のほか、ザックのような協力者もいること。現時点ですでに運び屋から一人の犠牲者が出ていること。そういった諸々の事実を耳にしても、ダンは新鮮な動揺というものを一切示さなかった。

 対するザックは、自身に課された使命に関して、大きな進展を迎えることになった。それまで詳細不明だったスパイクボーイズの規模、構成員、それらの素性、縄張りの範囲や複数の会合場所など、有用な情報を数多く得ることができたのだ。尋問する対象がそのグループを率いる男なのだから、内部事情に詳しいのは当然だとしても、相手がこうもあっさりとそれを白状するとは、ザックも予想していなかった。下手をすれば「仲間を売った」とみられても仕方がない態度だ。

 そういった態度の理由についてバリーが訊ねると、ダンフォールは、「これ以上の抵抗は無駄だからだ」と簡潔な答えを返した。裏社会に生きる人間とはいえ、運び屋の力などたかが知れている。よほど大きな後ろ盾でもないかぎり、本職の武力集団に太刀打ちなどできようはずがない。ならばこれ以上、無為に逆らって相手の怒りを増長させるよりも、然るべき展開を受け入れるほうがまだましだ。

 そうした考えを諦めと取るか覚悟と取るかは人次第だろうが、ともかく、運び屋のリーダーは決断をくだした。もはや自力で活路を切り開くことはかなわない。となれば、誰か、信頼をおける相手に後を託すより仕方がない。だからこそ、ダンはザックにすべてを話したのだ。

 ところで、ザックの機械義肢のことに関しては、さしものダンも意表を突かれたようだった。

「まさか、全身を置き換えてあるとはな」

「まるっきり全部じゃない。この両目は、いまだ生来のものを使いまわしている」

「なら、そこを狙うべきだったか」

 物騒な冗談を口にしながらも、ダンは顔を綻ばせていた。暗い影がすっと遠ざかり、どこか、憑き物が落ちたようにも見える。この街ではなかなかお目にかかれない表情だ。

「なあ、ザックよ」

 ふと、ダンフォールは言った。

「筋違いなのは重々承知だが、頼みがある」

「なんだ」

「俺の部下たちのことだ。今度のいさかいは、俺の判断ミスが状況を悪化させたといっても過言じゃない。デモニアスの奴らに下手に逆らわなければ、こうまで問題がこじれることはなかったんだからな」

 夜の駐車場での襲撃。真夜中の凶行。その忌むべき情景が、ザックの脳裏に蘇った。四角いモニター越しにあらためた、急襲の顛末が。どう捉えてもあれは正当防衛だ。とはいえ、仮にあの場面でダンフォールが痛めつけられ、例の三人組が本懐を遂げていたとしたら、デモニアスが本腰を入れるほど恨みを買うことにはならなかっただろう。反抗心。防衛本能。それが仇になったというのだろうか?

「だから、俺がツケを払うのはいい。いまさら我が身可愛さのためにあがこうとは思わん。それに、死んだ人間の仇を取ろうにも、この体たらくじゃあどうにもできんしな。口惜しいが……認めざるを得んだろう。俺は死んだも同然だ。だが……だがそうだ、あいつらは、俺の部下たちは違う。あいつらは巻き込まれただけなんだ。もちろん、一度でもデモニアスに睨まれた人間が、これからもこの街でやっていけるとは思えない。しかしだからといって、破滅するまでのことはないはずだ。避難させてやりたいんだ、どこか……いや、どこへなりともだ」

「どこか他の街でやり直させる、と?」

「虫がいいのはわかっている。たしかに俺たちはクズ同然だ。クスリだろうが武器だろうが、そういったブツの流通に手を貸してきたんだからな。いまさら誰かに慈悲を乞おうなんて間違っている。それはわかっているんだ。だが、それでもだ、どうにか若い奴らだけでも、助けてやりたいんだよ。あいつらは、ただ俺が言いつけた仕事をしていたただけに過ぎない。こう言っちゃ可笑しく聞こえるかもしれんが、真面目に、金を稼ぐために働いていた奴だっている。家族を、つまり年老いた親や、生まれたばかりの子どもを食わしていくために、だ」

 人並みに稼ぐ一番の方法は、人並みの能力を持ち、人並みの辛苦に耐え、人並みの幸運に恵まれることだ。が、もしそのうちのどれか一つでも持ち合わせることができなかったなら、人は容易く落伍する。普通の人間から「出来損ないの人間」へと格を落とされるのだ。

 一度その烙印をおされてしまえば、そこから這い上がるのは並大抵のことではない。その日暮らしとまでは言えないまでも、はたして一年後、あるいは半年後、日常と呼べるだけの生活を送っているかどうかさえ分からぬ身の上だ。それに、よりひどい場合には、今日明日の命をさえ心配せねばならないほど追い詰められてしまう者もいる。日々の生活すべてがその有様では、まっとうな社会に戻ることなど夢のまた夢の話に過ぎない。

 貧しくても正しく生きる者はいる。ただ、度重なる不運に見舞われ、長く辛苦に晒され続けるうち、正しい道を見失う者もまた確かに存在しているのだ。それは無論、スパイクボーイズなる社会集団のなかにも、である。

 ダンフォールはそういう者たちを救いたかった。そして一度、面倒を見ると決めたからには、最後まで責任を果たしたかった。自力でその望みを叶えられなくなったいま、ダンは藁にもすがるような想いでザックに助けを求めたのである。

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