探偵 七
タイラー・ローソン、イーストン・ショー、ランドン・ピアース、そして最後にコルトン・ミルズ。この〈コルトン・ミルズ〉という名を、ザックは以前に聞いた覚えがあった。昨日、例のバーテンダーから聞き出したスパイクボーイズ構成員らの名前のなかに、一致するものがあったのだ。やはり、この四人は運び屋の関係者と見て間違いない。そうするとこのタイラーなる男、己が前腕にクリケットバットのタトゥーをいれたこの男が、〈クリケット〉と渾名される人物であるのだろう。
察するに、この者たちは不安だったのだ。自分たちのボスが何者かに強襲された挙句、あまつさえナイフで刺されたとあっては当然、平穏ではいられまい。タイラーたちは仲間の身の安全と、日々の生活を守らんがために行動を起こしたのである。
彼らは彼らなりの方法で、敵の正体を突き止めるべく行動した。それが自発的な行為なのか、それとも、ボスのダンフォール・ハリスからの命令によるものなのかは、このときのザックにはわからなかった。
ともかく、ダンフォール氏の動向を探る怪しい人物――すなわち、ザックである――を発見したタイラーたちは、どうしてもその人物を見過ごすことができなかった。この点では、ザックがスタンリーの提案を蹴ってまで単独行動にこだわったことが功を奏したと言える。
ダンフォール宅を見張る不審な男はただ一人。それに比べ、自分たちは四人一組と数の面で大きく勝っているうえに、拳銃という強力無比な武器さえ備えているのだ。最初の一手を打ち損ねさえしなければ、遅れなど取ろうはずがない。
が、現実には、あらゆる局面においてこの油断こそが仇となった。素性のわからぬ相手に対し性急に行動を起こしたこと。捕囚への身体的拘束を半端に済ませたこと。見張りの人数を絞ったこと。何より致命的だったのは、予備の銃器を用意しておかなかったことだ。相手に利用される心配がなく、たとえどんな苦境に置かれたとしても、逆襲の芽となりうるだけの威力を備えた攻撃手段。そういう物でなければ、切り札と呼ぶことはできないのである。
そうして幾重にも重なった不備が、この結果を生み出した。どこまでも冷静な一人の男と、彼の前に跪く四人もの捕虜たち。人数差の逆転した歪な構図。
「なあ、もういいだろう? いい加減、俺たちがどうなるのか教えてくれよ」
と怯えた声で言ったのはイーストンだった。最前から黙り込んだまま、じっと手元を見つめるばかりのザックに、イーストンは焦れていたのだ。
「ああ、そうだったな。そうだ……さっきも言ったが、医者にはすでに連絡をしてある。近いうちに迎えがくるだろう。そのことについては保障しよう」
正式に傷の治療が受けられる。その事実だけで、イーストンの心は多少の余裕を取り戻したらしい。彼は安堵を息を零していた。それもそのはず、医者に診てもらえば後遺症や感染症に悩まされる可能性はぐっと低くなるし、のみならず、痛み止めの恩恵にも授かれる。それに何より、この不愉快な状況から脱することができるというのだから、この四人からしてみればそれこそ願ってもない僥倖というものだろう。
「ただし」
一息つきかけたタイラーたちに向かって、ザックは突き放すようにこう告げた。
「俺が連絡した相手は闇医者だ。それは『正式な免許を持った医師ではない』という意味でもあるが、それ以上に、『やましい世界と繋がりを持っている』という意味でもある。ついでに教えておくが、お前たちを追う敵の正体はギャングだ。くだんの闇医者とそのギャングたちとは、そう……交遊があると考えて差し支えない」
実のところその闇医者にとって、デモニアスらは主要な商売相手の一つである。であれば当然、両者はそれなりに友好な関係を保つべく努める必要がある。もしもギャング側から「差し出せ」との要請を受け取ったなら、その闇医者とて、預かる患者をかばいだてするのは難しいはずだ。いくらかは融通を利かせられるかもしれないが、そうたいした効果は期待できまい。
そのことを理解したうえで、ザックはバリーに連絡を取った。結局はその闇医者も、ザックも、また彼に調査を依頼したスタンリーも、個人個人の心情というのはどうあれ、デモニアス、ひいてはマルドネス親子の手先に過ぎないのだ。
さきのザックの言葉を聞いて、運び屋の四人組は一様に顔を青くした。色濃い驚愕を顔一杯に刻み付けつつ、唖然とした様子で死刑宣告に聞き入った。
たとえ無事に搬送され、治療を受けたとしても、その後の命の保障はない。
仮初めの希望が仮面を脱ぎ、失望という名の素顔を晒す。その落差が与える衝撃は、憐れな虜囚たちにとって、まさに地獄の責め苦とも呼ぶべきものであった。
十
ザックは数時間ぶりに愛車のシートに腰を下ろした。親しみ深い車内の空気で肺を満たすと、それはすぐさま重い溜め息となって口をついた。
(疲れが溜まっているだけだ)
ザックは自分自身にそう言い聞かせた。
事前に想定していたとおり、例の四人組を迎えに来たのはどこかの犯罪グループの使いっぱしりたちであった。デモニアスの一員かもしれないし、また別の勢力の者かもしれない。いずれにせよその使いっぱしりたちは、バリーなる闇医者に〈医療スタッフ〉として割り当てられた連中だ。必要に応じて救急車やボディーガードなどの代わりをするのである。また本当に必要な場合には、タクシーとして探偵の足になることもある。港の廃倉庫から愛車の元へと移送されるさなか、ザックは運転手と一言も言葉を交わさなかった。余計な詮索をする必要はないし、されたくもない。
とにかく、スパイクボーイズに関する調査はこれ以上なく順調に進んでいた。四人の身柄を押さえたということは、すなわちそれだけ信頼できる情報源が増えたということだ。こうなるとボーイズらの全容を掴むのも時間の問題か。
スタンリーと進捗状況のすり合わせをしたかったが、あいにくとまだ太陽は昇りきっていない。街はまだまどろみから覚めぬままだった。警官が寝床を這い出すまでには、それこそ数時間ていどの猶予がある。
焦る必要はない。いまは休息を優先すべきだ――。
ザックはエンジンを始動させた。心地よい振動がシャシーを伝う。何をさて置いても、まずは車を移動させなければならなかった。張り込みの位置を優先した都合上、正式な駐車スペースには停めていなかったのだ。夜中だからというのもあっただろうが、レッカー車の世話にならなかったのは事実、幸運だった。
住宅街をしばらく走ったあと、さほど目立つことのない適当な位置に車を止める。そうしてからザックは、おもむろにシートの下部に手を伸ばした。リクライニングレバーを操作し、座席を倒す。傾いた背もたれに上半身を預けると、途端に瞼が重たくなった。
透明な窓の向こう側には夜明け前の青黒い空が広がっている。結局、夕刻前に調査を開始してから、そのまま一晩を明かしてしまった。ザックも不惑は過ぎている。多少の疲れが出るのも無理はない。ほとんど無意識的に腕を組むと、ほどなく浅い眠りに意識を奪われた。
それからほとんど間を置かず、というような心持ちでザックは目を覚ますことになった。硬い半身を起こしつつ、ばたばたと震える携帯電話をポケットから引きずり出す。アラームの類ではない。どこからか着信が来ているのだ。霞む目で画面を睨むと、そこにはスタンリー・コーラーの名が表示されていた。
通話アプリケーションを起動する。と同時に、ザックは言った。
「ザックだ」
「ああ俺だ。どうだ、張り込みは順調か?」
この両者が最後に言葉を交わしたのは、ザックがダンフォールの自宅を監視し始める以前のことだ。スタンリーがその後の経過を知らないのも無理はない。
そこで、昨夜の一件がどういう顛末をたどったか、ザックは手短に説明した。
スタンリーは素直に驚いた。
「本当か、それは? いや、なんというか……凄いな。まさか一晩で四人も捕まえるとは」
「相手が勝手に自滅したんだ」
「謙遜するなよ。正直、にわかには信じられんほどの成果だ」
「それより、アレックスから連絡はあったのか?」
「いや、今朝はまだだ。やっこさん、どうするか決めかねているらしい」
アレックス・マルドネスが何を「決めかねて」いるのかと言えば、それはつまり、運び屋たちへの処罰の内容ということであった。
相手が同業者でないのなら、なにも命を奪うまでのことはないのでは?
昨晩、スタンリーがそう提案すると、アレックスはそっけない調子で「保留」という答えを付き返した。とりあえずは追跡を実行しておき、標的を捕らえてからその処遇を検討しようというのだ。気が変わればまた連絡する、とアレックスは言っていたが、どうやら一晩では考えは変わらなかったらしい。
ともあれ、スタンリーは会話を続けた。
「まあ、今日も昨日と同じさ。どうあれ奴らを追うしかない」
「ああ」
「こっちは、書類仕事を片付けたらまたアレックスのところに行ってみるつもりだ。その四人から引き出した情報も確認しなくちゃならないしな。そっちは?」
「差し当たり、例の廃倉庫に戻ってみようと思う。俺を連れ込んだ場所が奴らの本拠地だとしたら、そこで何か手掛かりが得られるかもしれん」
真新しいタイヤ痕。足跡。指紋。皮膚片。サンプルさえ取れれば何でもいい。また、もし監視カメラの一つでも見付けられれば、それだけですべてが事足りる可能性もある。くだんの運び屋グループを一網打尽にすることさえ有り得るのだ。
そうしたザックの考えと同種の期待が、スタンの内にもあったのだろう、彼は通話口の向こうから明るい調子で応えた。
「オーケイ、注意を怠るなよザック。何かあれば応援を送るからな。いやそれにしても、調査開始から一日でこの成果とはな。今回の騒動は、思ったより簡単に片が付くかもしれん」
「さあな」
「まったく、あんたに酒でも奢ってやりたい気分だ」
「またいつかな」
「そう、またいつかだ。それじゃあ、進展があり次第、連絡する」
「わかった」
通話を終えると同時にザックは時計を確認した。現在時刻は午前九時半。ほんの二、三十分で仮眠を終えるつもりが、気付けば三時間は眠っていたことになる。
(歳を取ったな)
えも言われぬ感傷が彼を襲った。疲労それ自体は仕方がないにしても、休息にかける時間を誤るというのは衰えと言うより他にない。
ともあれ、追跡対象に逃亡の恐れがあるいま、これ以上の時間を無駄にはできない。ザックは文字どおり軋む背骨をぐっと伸ばすと、すぐに車を発進させた。
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