探偵 二
三
人探しが専門の探偵、それも、警察からの依頼で動いていると聞いたうえで、さらに武器を携帯していないことを確認してからようやく、中年男はザックを信用する気になったらしかった。
「しかし、なんで警官じゃなくてあんたが来るんだ? 捜査ってのは警官の仕事だろう」
「担当の捜査官が負傷した。俺は一時的な代理だ」
「へえ、そうかい……」
ザックの言ったことはおおよそ真実だった。実際、カイル・ブランフォードなる新人警官は顔を大きく腫らした状態でザックの事務所に姿を現した。
だがたとえ負傷が事実だったとしても、代理というなら別の警官で構わないはずだ。少なくとも表面上はお堅い警察が、そう簡単に部外者に協力を募るとは考えにくい。
とはいえ、それも事が急を要するとなると話は別だ。一分でも一秒でも早く、というほどに状況が差し迫っているのなら、人手はどれだけあっても困ることはない。それに、なにも誰かを逮捕したり、法的根拠うんぬんに基づいて拘留しようという話ではないのだ。要は特定の人物、及びグループの所在を把握しようという、ただそれだけのことなのである。本当に信頼できる私立探偵ならば、SLPDから情報提供の要請を受け取ったとしてもあながち不自然な話ではない。
ところが、やはり男は穿った見方をしたがった。
「あんた、市警に貸しでもあるのか?」
「まあな」
「なるほど、小遣い稼ぎってわけだ。報奨金を狙っているんだろう?」
「ああ、そうだ」
「やっぱりな、思ったとおりだ」
バーテンダーらしき男はすっかり落ち着きを取り戻していた。その理由についてはザックにも思い当たるふしがあった。己が姿を省みれば推して知るべし、といったところである。
ザックは一見、不気味な風体こそしているが、それは危うさを感じさせるたぐいのものではない。単に薄気味が悪いというだけである。顔かたちの雰囲気でいえば四十絡みといったところだろうが、古ぼけ、掠れたような色合いの革のジャケットから想像されるとおり、現実にまともな生活を送っているとは言い難い。要するに、それほどのやり手には見えないのである。そのうえで丸腰ときたならば、いったい何を臆することがあるだろうか。バーテンダーの男が平常心を取り戻した背景には、突然の来訪者に対するそうした精神的な優位性があるのだろう。
以上の推測がどこまで当たっているかのは、当のザックにも判断が付けられなかった。ともあれ現在のところ、バーテンダーの態度に不安感のたぐいは認められなかった。
「悪いけどな、やっぱり何も教えるわけにはいかないぜ。こっちだって事情ってものがあるからな」
「事情?」
「ああそうさ。ご存知のとおり、世の中の誰もが警察を好きなわけじゃない。関わり合いになりたくないって奴らも少なからずいるってことさ。悪いが、俺は誰を売るつもりもないね」
「そうか」
そこでザックは、バーカウンター上に視線を移した。その流れのまま、おびただしい数の酒瓶が居並ぶ、正面奥の陳列棚に目をやる。するとすぐに、その風景の中央に佇むマッカランの空きボトルに気が付いた。ごみごみと散らかったショーケースには不似合いな銘柄だ。
そんなことを頭の隅で考えながら、彼はまた訊ねる。
「俺より以前に、ベイカーについて質問をした奴はいるか?」
「いいや、あんたが最初だ」
「そうか」
ぷっつりと会話が途切れる。
その後、両者ともにしばらくのあいだ沈黙を守ったのち、やがてバーテンダーは焦れたようにこう言った。
「なあおい、満足したんなら出て行ってくれないか? 気が付いてないかもしれないけど、こっちは掃除の途中なんだ」
「脅かすつもりはないんだが、死んだベイカーについて調べているのは、なにも警察だけではない」
「ああ、あんたみたいなのもいるしな」
「そうだ。それに、捜索隊の名簿にはデモニアスの名もある」
「なんだって?」
「デモニアスだ。奴らもベイカー氏と、氏の仲間たちに用があるらしい」
ギャングの名が出た途端、バーテンダーは見る見るうちに顔面蒼白となった。
「そんな……いや、それならなおさらだ。さっさと帰ってくれ、あいつらとのごたごたに巻き込まれるなんて死んでもごめんだ」
「だが、お前はベイカーを知っている。遅かれ早かれ、奴らはお前と、この店のことを嗅ぎ付けるだろう」
「しかし――」
「お前は奴らに話すことになる。知っているかぎりすべての事情をだ。そうでなければ病院のベッドが一つ埋まる。入院生活は長引くぞ」
「あんた……俺を脅すつもりか?」
「そのつもりはないと断ったはずだ」
「ふざけるな!」
怒声とともにモップの柄が床に叩きつけられる。すると、樹脂製の取っ手は必要以上にやかましい音を立てて跳ね返った。
男は怒りからそうしたわけではない。察するに、彼は恐れたのだ。神経を貫く痛みを。精神をずたずたに引き裂く拘束を。そしてさらには、そういった苦痛の数々に敗北を認め、悪魔を前に膝を屈し、見知った顔の人間たちを贄として差し出すだろう未来の自分を。そうした逃げ場のない現実が想像の内側から飛び出し、現実にすり替わっていくことを。
男は、近くにあった椅子に崩れ落ちるような動作で座り込んだ。苦しげに歪められた顔のそこかしこに、内面の憔悴が無数の皺となって表れていた。
「しかし……もし、そんなことになったら、俺はいったいどうすればいいんだ」
「素直に喋るしかないな。奴らも、従順に従う者を無意味に痛めつけるような真似はしない。意味もないことに時間を割く必要はないからな」
「だがよう……たとえ俺が助かったとしてもだぜ、それであいつらがどんな目に合わされるか……」
「残酷なようだが、お前一人で『そいつら』を庇いきれるような状況だとはとても思えない。ただ、どうせ誰かに喋るのなら、なるべく早く警察に事情を伝えたほうがいいだろうな。できればギャングどもが動き出す前に、だ」
一方的にそう告げると、ザックは相手の顔を見ずに立ち上がった。続けざま、「言うべきことは言った」と態度で示すようにして、入ってきたときと同様に、またゆったりとした足取りで鉄製の扉に向かっていった。
「おい、おいあんた、待ってくれ」
慌てて引き止める声がザックを振り返らせる。
しかしそうして呼び止めたわりには、バーテンダーはなかなか口を開かなかった。無言の時間が流れるあいだ、ザックはぴくりとも動かず、また相手を急かすようなこともしなかった。相手の決心が固まるのを、彼はただ静かに待った。
「……あんたを寄越した、その警官に伝えてくれるんだな?」
泳ぎの最中にする息継ぎのような、切羽詰った声だった。
「ああ」
「わかった……わかった、あんたに話すよ」
「そうか」
そこでザックは、またもカウンター席に腰を落ち着けた。
事は思いどおりに進んだが、素直に喜ぶ気分にはなれなかった。これから彼が耳にする名前の多くは、近く、真新しい墓に刻まれることになるのだ。彼は死に行く者たちの名前を次々と手帳に書き連ねていった。まるで死神がそうするのであろう、そのままに。
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