ゴー、ジャッカル あるいは近未来の怪物創造
純丘騎津平
プロローグ
プロローグ
頭骨内の通信機からコールが届いた瞬間、彼はほとんど間を置かず呼び出しに応えた。
「ジャッカルだ。どうぞ」
ジャッカルと名乗ったその男は、黒い革のジャケットに、同じ色のレザーパンツを身に着けていた。
彼の静かな応答に、通信手は同じく静かに言葉を返した。
「こちらゴート、準備はいいか?」
「いつでもいける、大丈夫だ」
西暦二〇九四年、カリフォルニア州。西方と南方とを海に囲まれ、北西部に空港、南部に貿易港を持つ世界都市、サウスランドシティ。
このとき彼は、その街路の一角に身を置いていた。油の滲む路地の匂いと、息を潜めるような宵闇のさ中だった。
地面が弱く振動した。人々の足音と、路上にタイヤを擦り付ける車両の鼓動と、地下鉄網を駆け抜ける鋼鉄の重量。それらのすべてが互いに共鳴し合い、街の脈動を形作っていた。
対照に、その路面の上にいくつも並び立つ中世の塔を思わせる高層ビル群は、ただひたすらに黙したまま、網目のごとき光芒が伸びる道路を見下ろし続けていた。あたかも、もう何千年もそうしてきたかのように。
時刻はちょうど深夜を迎えたばかりだった。長短二本の針が真上を指し、日付が変わる。何をするにも、またどこへ行くにも遅い時間ではあるが、この街ではこの境界線をこそ住処とする人間も少なくない。ゆえに、大通りの喧騒はいまだ盛況であった。
彼は、無数の通行人が行き交う繁華街に背を向けて路地に入った。月と街灯だけが光を注ぐ裏道。そこが今日の仕事場だった。
「四人だ、ジャッカル。その先にいる四人が標的だ」
「間違いないのか?」
「ああ、近くの監視カメラから確認した。顔も照合済みだ」
ゴートの言葉どおり、ジャッカルはほどなく前方に四つの人影を認めた。左右を高い建造物に挟まれた、細長い裏路地の中腹で、だ。
四人組は何をするでもなく、壁にもたれかかったり、大きなダストボックスに寄りかかるなどしながら無為に時間を過ごしているように見えた。だが実際には、その男たちはれっきとした目的を持ってそこにいた。その薄汚れた場所、暗き路上こそが、彼らの「店舗」であったのだ。ある種の薬物にしろ、あるいは凶器にしろ、そういった物を必要とする人間が、夜毎ここに集う。この点についても、あらかじめ調べはついていた。
男らはそれぞれ思い思いの服装に身を包んでいた。一人は丈の長いTシャツ、別の一人は幾重にも重ねたジャケット、また別の一人はブランドロゴの入ったスポーツウェアといった具合に、これといって統一感のようなものはない。
だがそれでも、この四人が一つのグループであることは一目瞭然だった。自分たち以外のほぼすべてに向けられた敵意と、どこか怯えているようにも見える、一様に窪んだ目元のせいだ。
ジャッカルの目に映る情景はリアルタイムでゴートにも送信されている。それを意識したうえで、彼は訊いた。
「目標を視認した、いつ始める?」
「すぐだ。ゴー、ジャッカル」
ゴートの返事を耳にするや、ジャッカルは足早に男たちへと近付いていった。ブーツの踵を地面に打ちつけながら、最短距離を真っ直ぐに詰め寄る。
当然、相手方の四人も来訪者の存在に気が付いただろう。黒尽くめの怪しい男、それも、六フィート五インチの背丈を持った大男だ。警戒をしないはずがない。
両者間の距離が十ヤードまで縮まったところで、四人は一斉にジャッカルへと視線を注いだ。突き刺すような鋭利な視線だった。しかし、当のジャッカルはまったく歩速を緩めなかった。
来訪者に怯む様子がないのを見て取ると、四人のうちのひとり、最も横幅のある男が警戒のレベルを引き上げた。声による警告を始めたのだ。
「おい」
低く、しゃがれた声だ。酒やけしているようにも聞こえた。
「ここは通行止めだ。ほかから回っていくんだな」
言いながら、男はレンガ色の壁から背中を離し、右手を腰の後ろに回した。そこに何があるかは想像に難くない。わからないのは口径ぐらいのものである。同時に、その他の三人も、それぞれに似たようなポーズを見せはじめた。
そんな男たちに対し、ジャッカルは警告なしに事をはじめた。一対四ならそれぐらいのハンデはあってもいい。それに、彼はすでにゴーサインを受け取っているのだ。
自らの太腿に目一杯の力を込めると、彼は濡れた地面を蹴って駆け出した。途端、彼の身体は、その体積には似合わぬほどの速度で躍動した。
しゃがれ声の男が銃を構える。九ミリ口径のセミオートピストルだ。だが、男の照準がジャッカルを捉えることはついぞなかった。男がセイフティを解除するころには、すでにジャッカルの右手がその銃身を握り込んでいたからだ。
ジャッカルは力ずくで銃口を逸らした。相手の抵抗をまるで許さない常人離れした筋力でもって、男の手首を捻じ曲げたのだ。同時に、骨や腱の砕ける音と、短い悲鳴とが、路地の闇のなかにこだました。
そこでようやく、「これはただごとではないぞ」と気が付いたらしい、しゃがれ声の男の仲間たる三人も、慌ただしくそれぞれの得物を構えた。
だが、ワンテンポ遅い。ジャッカルはしゃがれ声の身体を盾代わりにして射線を切っている。こうなれば、仲間ごと撃つ気にならないかぎり手出しはできない。そしてこの三人のうちには、それほどの気概がある人間は一人もいないようだった。
その代わりと言うべきか、三人は扇形を作るように、それぞれの立ち位置を調整した。道幅の狭い路地のなか、なんとか敵を包囲しようというつもりであるらしい。四方八方から狙いを付ければ、どこかには隙が見えるはずだ――おそらく、そう考えたのだろう。
そういう相手方の思惑を察知するや否や、ジャッカルはすぐさましゃがれ声の男から手を離した。素早く動くには邪魔になるからだ。続けざま、三人のうちのひとりに向かって突進する。先と同様ほんの数瞬のあいだに、両者間の距離は肉弾戦の範囲まで縮まった。
ただし今度は、相手方にも抵抗するだけの余裕があったようだ。
束の間に発砲音が鼓膜をつんざく。眩い光がぱっと広がったかと思うと、やがて硝煙がもうもうと立ち込めた。凄まじいまでの速度で射出された銃弾はしかし、目標を射抜くことはなかった。狙いが上手く定まっていなかったためだ。焦りか緊張か、あるいは薬物の影響があったのかもしれない。いずれにしろ、充血し、虚ろで、焦点すら合わないような目では、照準など上手く合わせられようはずがない。ジャッカルはそういう相手をわざとに選んで、突進していったのである。
相手はせっかくの好機を無にした。ならば、なにも二度目をくれてやることはない。ジャッカルは、敵の腕と喉笛とを一度に掴み上げると、相手の身体を振り回すようにして投げ飛ばした。それも、別のひとりがいる位置を目掛けてだ。いわば、人体で人体を殴りつけるような様相である。
一塊になって倒れた二人を傍目に、最後に残された男は、はっきりと動揺しているように見えた。手中の銃だけはどうにか前方に差し向けているが、引き金にかけた指は震えたままである。むろん狙いは定まっていない。直後に射出された二発の銃弾は、どちらも空しい結果を生み出すのみに終わった。
もはや怖気づいてさえ見えるこの男に、ジャッカルは容赦なく拳をめり込ませた。爪先から手の先端まで、綺麗に力の伝わった右ストレート。鼻の軟骨を砕くには充分すぎるほどの威力だった。
そうして最後には、ジャッカル一人が立っていた。四人組はそれぞれに負傷し、うずくまる者、倒れる者、仲間を置いて逃げ去る者と、そして腰を抜かし呆然と座り込む者とに分かれていた。
「いいぞジャッカル、それぐらいで充分だ」通信機からゴートの声が届いた。
「上々の結果だな。警察が到着する前に帰ってこい」
「了解。いまから引き上げる」
その日の目的はあくまでも動作テストに過ぎなかった。ジャッカルに与えられた身体能力について、それが過不足なく機能するかという、いわば確認のための行動だったのだ。となれば、余計な面倒ごとに巻き込まれるのは是が非でも避けるべきだ。真夜中とはいえ繁華街付近での発砲、それも三発ぶんともなると、さすがの警察も黙ってはいまい。対応はすぐに行われるはずだ。つまり、赤青二色の回転灯を光らせた緊急車両と武装した警官の派遣である。敵に回すべき相手ではない。
ジャッカルは、最後にもう一度だけ、四人組――もとい、一人が逃げ去って三人組となった男たちに向き直った。
敵方は全員が戦意を喪失していた。それも致し方あるまい。不意を打たれたとはいえ四対一。しかも、銃を隠し持った四人と素手の一人とで争って敗れたのだ。三人は化け物でも見るかのような目で、ただ黒尽くめの来訪者を見上げるばかりであった。
そういう三人の様子を見届けると、ジャッカルは男らに背を向け、そのまま街灯とネオンとの切れ間に身体を滑り込ませた。まるで一仕事を終えた科学者のように、その歩調はどこまでも優雅であった。
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