第19話 皇帝レオニードが愉しむグレート・ゲームの盤は着々と駒が用意されてゆく
・・19・・
10の月20の日
妖魔帝国・首都
皇帝・謁見の間
十の月も下旬を迎えた妖魔帝国の首都では早くも雪がチラついていた。これから極寒を迎える妖魔帝国。行き交う人々は防寒具を着込んでいた。
さて、連合王国軍上層部が勝利に酔いしれていたのと対照的に、皇帝謁見の間にいた妖魔軍陸軍トップの陸軍大臣――見た目は中年で、四枚の黒翼を持つ引き締まった体格を持つ金髪の男性――は脂汗を流し、海軍トップの海軍大臣――やや細身でこちらも四枚の黒翼を持つ、暗い茶髪の男性――も冷や汗を流していた。目の前にいるのは粛清帝と呼ばれる程に恐怖と畏怖の象徴である皇帝レオニードがいるからである。
「妖魔軍は連戦連敗、ねえ」
「ジ、ジトゥーミラにおいては我が軍は圧倒的な敗北……。戦線後退を厭わず、援軍に向かった北方戦線軍も同様に……。これで、我々は北部戦線の大半を失陥した上に、同戦線において残されたのは山脈を越えた先のドロノダのみとなりました……。敗因は大火力もありますが、奴等は腹立しくも空まで支配しておりまする……。そして、これまでの損害は、対報告の戦線も含めて三十万を越え……。誠に、申し訳ございませぬ……」
「大敗北もいいとこだよな。普通なら相応の処分が待っているとこだけど……」
「ひっ……。我々も人間を侮り過ぎました……。どうか、お許し願いたく……」
「別にいいよ。元からこれは俺が命じたものじゃん。報告書にあった、空の軍だっけ? 流石にこれには俺もびっくりしたものだからさ。陸だけでなくて空までと来たらどうしようもないよ」
「へ……? 良いの、ですか?」
怯えていた陸軍大臣であるが、意外な答えが返ってきて間の抜けた声を出してしまう。
いくら皇帝の命令で装備も前時代的な上に軍の大半が低脳な魔物を送ったとはいえ、少しは人間共に損害を与えられるだろうと陸軍大臣はタカをくくっていたのである。それが蓋を開けてみればこちらから宣戦布告したにも関わらず僅か五ヶ月で妖魔軍は三十万を越える損害だ。陸では砲と銃と魔法の火力。空からは爆弾まで降り注ぐ有様だ。それらによって発生した損害はいくら人類諸国に比べて圧倒的な大軍を擁する妖魔軍とはいえ、無視できる数字ではない。
だからこそ、この責任を負わされると思っていた陸軍大臣であったのだが、どうやら処分は無いらしかった。故に彼は心底安心をする。
「妖魔軍の標準装備に比べれば昔もいいとこの装備だからね。勝てたら儲けものだと思ってたし。大体さ、陸軍大臣の貴様も俺の戦略は知っているだろう?」
「え、ええ。醜く低脳な民族浄化対象である魔物を肉の壁とし、人間共の軍を消耗させる。奴等の負担させるだけさせ、西方領奥深くまで誘引した所で、真の我が軍で撃滅を与えて一挙に逆侵攻を行う、でしたよね?」
「そうそうよく覚えてるじゃないか。俺の帝国は領土が気の遠くなる程に広い。山脈の向こうだけでも相当なものだろう? 奴等を誘い込んで、補給線が伸びきった所を叩く。それまでは敗北してもいいんだよ。想定された負けだ。死ぬのもどうせまだまだコマとして残ってる魔物と愚かにも刃向かってきた裏切り者共だけだ。痛くも痒くもない」
「た、確かにそうでありますな!」
色良い返答をしたものの、陸軍大臣は心の奥では戦慄していた。どうでもよい魔物はともかく、魔人すらも皇帝にとってはその程度の存在だったからである。
皇帝に刃向かった同族の魔人に対しては陸軍大臣も愚かなことだと思ってこそいたが、皇帝も同じ魔人のはずなのに駒扱いなのである。同じ種族故に陸軍大臣は異論を唱えたくはあった。しかし、次は自分かもしれないと思うと怖くて口が裂けても言えなかった。皇帝の冷たい瞳を見てしまえば尚更だ。
その皇帝はああそうだった、と何かを思い出したかのように口を開き、言葉を続ける。
「貴様等に今回の責任を問わないとして、今後はどうするつもりなんだい? 一応、聞いておこうか。まず、陸軍大臣」
「は、はっ! アルネシア連合王国軍は間もなく冬を迎え雪が降り出す為にこれ以上の侵攻は行ってこないでしょう。我々が動かないのと同様に、あれらも冬籠りでしょう。奴等は人間共の中でも頭が回ると我々も考えを修正せねばなりません。しかし、法国は違うと思われまする」
「へえ、あの宗教狂い国家だっけ?」
「はっ。イリス法国は連合王国に比べて南に位置しており、南部方面は冬も雪があまり降らないかほとんど降らない土地柄。故に冬季でも侵攻は可能です。また、天候の要因だけではありませぬ。法国は連合王国が勝利した事で自身も勝ち馬に乗ろうとするでしょう。奴等は南部戦線の際にヴァネティアまで我等の侵攻を受けており、あの連合王国の手助けもあって押し返しましたが、連合王国のようにそれ以上進んできてはおりませぬ。しかし、そろそろ軍も完全では無くとも回復した事でしょう」
「つまりだよ。貴様の見立てではこの冬に侵攻を仕掛けてくる可能性があると?」
「作戦本部では可能性が高いと見ております。連中も前の大戦でかなり領土を失陥しておりまする。宗教狂いの国家であれば、きっと領土回復運動だ聖地奪還運動だと名目を立てて必ずやってくるでしょう」
「全くもって愚かだなあ。俺が耳にした情報ではイリス法国はアルネシア連合王国ほど軍は強くなく、国自体が赤字らしいじゃないか。しかも法国が失った領土は連合王国より広い。それを全て取り戻そうとすれば、自ずと補給線が伸び切るぞ?」
「陛下の諜報機関から情報は随時頂いておりますが、それによるとどうやら法国の頂点たる法皇は連合王国があれほどまでに勝利しているのに、神の御加護を受けた我々が出来ないはずはないと宣っておるようで、市中でもしきりに噂になっているとか」
「宗教で視野狭窄になっている国家の長なんて、浅ましいにも程があるね。いっそ将兵達に同情したくもなる」
発言では裏腹に嘲笑する皇帝レオニード。陸軍大臣もここで初めて余裕のある笑みを浮かべる。
「陛下に同意でございまする。未開の地にしたままの西方領は進軍するにも物資補給に一苦労する土地でありまする。しかし法国軍は次へ、そのまた次へと進軍を重ねるでしょう。そうして奴らは罠があるとも知らず、奥深くへ。偽りの勝利だとも知らずに突き進みます。そこに」
「れっきとした我が軍が大挙して出現。愚かな人間共に一撃を加える、だな。さらに一撃を加えて壊滅させた後には逆侵攻。再び法国へ侵入した後に蹂躙する。うん、素晴らしいじゃないか。今から奴等の絶望の表情が見られると思うと楽しみで仕方ないよ」
「さぞ愉悦を味わえるでしょうな。侵攻軍を薙ぎ倒してしまえば、法国本国には大した人間共は残っておりますまい。容易に侵略出来ましょうぞ」
「うんうん。いいシナリオだ。首尾よくやってくれよ?」
「はっ!」
すっかり上機嫌になったレオニードは陸軍大臣に笑顔を向けると、続けてこれまで無言だった海軍大臣へ顔を向ける。
「海軍大臣。貴様の方はどうなっている? 艦隊の強化は進んでいるか?」
「はっ! 陛下から授かりし予算にて数年前から増強を重ねておりますが、まもなく完了致します。極北艦隊は不凍港がない性質上あまり拡充はしておりませんが、南方のヴォルティック艦隊は大増強致しました。精鋭かつ頑強な大艦隊でございまする」
「いいねえ! 極北艦隊は冬は動かせないのが残念だけど、こればかりかは不凍港を得ないと解決しない。凍らない港は欲しいけれど、それは連邦を侵略してからだ。今はヴォルティック艦隊中心で構わないよ。で、いつ動かせる?」
「ヴォルティック全艦隊は来年の春には完了し、夏には戦力として出撃させられます。法国の弱小艦隊なぞ屠ってみせましょう」
「素晴らしい! 活躍を想像すると胸が踊るものさ! ここまでは陸軍が中心だったけれど、貴様の海軍にも出番が回る。その時が訪れれば蹂躙してみせろ。砲火で街を焼いてしまえ。上陸したら虐殺してしまえ。女子供分け隔て無く、死を与えろ」
「お任せ下さい。我等妖魔海軍は必ずや陛下の期待に応えてみせましょう。無論、陸軍にも協力してもらいますよ?」
「ふんっ、分かっておるわ。人間共に格の違いを見せてやる」
「遠慮なくやってしまえ。俺はこの戦争を楽しみたくて仕方がないんだからな。まずは頭のイカれた法国を、その後にメインディッシュの連合王国軍を平らげようじゃないか!」
『はっ!』
「二人共ご苦労。下がっていいぞ」
レオニードはにこやかな笑みで陸海軍大臣を謁見の間から下げさせる。
一人となったレオニードは、横にあるテーブルから資料を手に持ち眺める。そこには法国だけでなく、連合王国や連邦についてある事柄が書かれていた。
「くくくっ、くくくくくっ。今はせいぜい用意してやった勝利に酔っていればいいさ。連邦での工作も順調だしね」
戦争狂の本性を現し、口角の端を曲げて嗤うレオニード。そして彼はもう一つの書類に目を向ける。
「なあ。連合王国の
レオニードの筋書き通り敗北と後退を続ける妖魔軍。しかし、彼が用意したグレート・ゲームの盤はまだ遊戯が始まったばかりであった。
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