第2話 シュペティウに着いてもやることは
・・2・・
9の月7の日
午後2時45分
旧シュペティウ市街地・仮設前線司令部アカツキ参謀長執務テント
九の月に入ると、先月の汗ばむ陽気のような暑さが減りつつあった。夜ともなれば秋冬用の軍服も必要になってくるこの頃、僕は連合王国国境から約百五十キーラ離れた旧シュペティウで国内と変わらない事務仕事に追われていた。
「失礼します、アカツキ参謀長! 物資輸送の最新状況を提出しにまいりました!」
「ありがとね。書類はそこへ置いておいて」
「はっ!」
「失礼します参謀長」
「えっと、今度は?」
「武器弾薬の搬入状況です。シュペティウは兵站の大拠点となりますので」
「それが現況が書いてある書類?」
「はっ。正午の最新分です。この後、夕方にももう一便到着予定です」
「了解。それも置いといて」
「分かりました」
「両名ご苦労だったね」
『失礼しました!』
シュペティウに到着したのは今月二の日。それからもう五日が経過したけれどずっとこの様子だ。
シュペティウとワルシャーの他に各地を結ぶ大小街道の整備状況、勝利の道作戦の進行度合、道路整備と並行して進む食糧・武器弾薬の物資搬入の進捗具合、ルトゥミヤなど一定以上の都市に設置されるデポの設置状況。兵站ライン関連だけでもこの仕事量。
さらにここへ偵察飛行隊による各地偵察や今後の進軍等戦略戦術関係の仕事まで含めれば膨大になる。
アルヴィンおじさんからは若手の参謀や事務仕事の補助をする士官を相応に派遣してくれたけれど、書類の山は中々減らなかった。
「まるで統合本部で軍務にあたっている気分だなあ……」
リイナは副官として師団長や現場の高官へ僕からの伝言を送りに行ったり、アルヴィンおじさんやルークス少将から届く書類を貰いに行ったりと彼女も忙しく、派遣人員も各所にいるからこのテントにいるのは僕一人だ。
なのでコーヒーを自分で作り、軍の携行食である魔法で長期保存可能にしているクッキーを取り出し小皿に入れ、執務机に置く。
「うーん……、やっぱり美味しさは国内で食べるより劣るよね……」
当然というべきか、戦闘糧食にあたるクッキーは屋敷や街中で食べるものより美味しくない。不味くはないんだけど、味気ない。コーヒーや紅茶などは輸送されてそこそこのものが送られてくるのが唯一の救いかな。
「マスター、しかめっ面をしてどうなさったのですか?」
「焼きたての美味しいクッキーが食べたいなあって。ケーキの類は帰国しないと無理だしと思ってさ。エイジスはご飯いらないんでしょ?」
「魔法粒子で稼働しておりますので」
「便利な体だなあ……」
明後日には建設した仮設司令部が完成するからこのテントも明日まで。そのテントには誰もいないから必然的に会話の相手は召喚武器のエイジスだ。
「マイマスター、ここは国境線から百五十キーラの土地で、開発地帯ならともかく未開地に等しい場所です。野菜やミルクなど生鮮品の類も氷魔法で中期飲食可能にしてあるとはいっても、国内のようにはいきませんから。乾燥食糧など携行食に関しては問題なく輸送されていますよ」
「まあねえ。朝と昼に頼めばカフェオレを飲めるだけマシだし、そもそも三食採れてるだけ兵站は機能している方だよ」
「充実した甘物は帰国してからの楽しみにしましょう」
「だね。ショコラ系とか、クレープ系が食べたいよ」
「旦那様ー、今戻ったわよー」
角砂糖を一個入れたコーヒーを口に含みながら、脳内でデザート類を食べることを夢見ていると、仕事を終えたリイナが戻ってきた。彼女もまた少し疲れ気味だ。
「お疲れ様。コーヒーはご所望?」
「ええお願い」
「砂糖は二つだよね?」
「いえ、いつもと違ってブラックで頂戴。ふわぁあ、頭を醒ましたくて」
「眠たそうだね。ここ三日は動き詰めだから仕方ないか」
「旦那様もね」
僕は彼女の分のコーヒーを作りながら労うと、リイナは微笑して返す。互いに仕事に追われているとはいえ、銃弾や魔法が飛び交う地ではないから余裕はまだまだあった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう旦那様」
「おわっと」
王都別邸から持ってきたリイナ用のコーヒーカップとソーサーを渡すと、彼女は机にそれをおいてそっと唇同士が触れるだけのキスをする。僕は彼女の突然の行為にちょっとビックリしてしまった。
「ふふっ、不意打ち成功ね」
「もー、少し驚いたよ」
「補給よ、補給。私達以外いないだから、これくらいはいいでしょう?」
「まあ、二人きりなら」
僕は頬をかきながら言うと、彼女はイタズラがうまくいった子供みたいに微笑んでいた。
「本当はもっと楽しみたいのだけれど軍務中だもの。伝える件を話していくわね」
「うん。どうだった?」
お茶目な事をするリイナではあるけれど、切り替えも早い。彼女はコーヒーを一口飲んで早速仕事の話を持ち出してきたので、僕も机に座ると目の前にはリイナが持ってきた書類を目の前に広げていく。けれど、彼女が立ったのは椅子の後ろだった。僕は首だけ後ろに振り返ると。
「え?」
「旦那様はずっと座り仕事と筆仕事でお疲れでしょう? さぞかし肩が凝っているんじゃないかしら?」
「……自分でたまに揉むくらいには、かな」
「ならマッサージが必要でしょ? エイジス、火属性魔法をほんの微量に調節。肩にあててあげなさい」
「解しやすくする為ですね。かしこまりました」
「再確認事項も多いから、受けながら聞いてでいいわよ」
「ありがとう、二人とも」
「どういたしまして」
「いえ。それでは施術を開始します」
エイジスが僕の両肩にじんわり暖かい程度に魔法をかけると、リイナはどこで覚えたのか毎回思うくらい上手にマッサージを始める。王都にいる時、仕事で疲れが溜まると互いにこうやってマッサージをしていたんだけど、リイナは部下などからコツを聞いていたらしく、するようになってからメキメキと腕を上げていた。
だから程よく力が加えられた肩もみに思わず僕は。
「んんっ……、んー。あー、きぃー、くぅー」
「ふふっ、とてもリラックスしている声が出ているわよ」
「こぉー、れはー。すーごーい……。コリが解れてくぅー」
「マスターの精神状態が安定傾向へ。効果は
「ほーら、やっぱりかなり疲れていたじゃない」
「たーすーかーるー」
「くふっ、じゃあ話をするわよ。寝ないでよ、旦那様?」
「たぶん、大丈夫ぅー」
どんどんと肩の疲れが取れていくのを意識していたけれど、軍務の話となればしっかりと耳を傾けないといけないからそっちにも意識を集中することにした。リイナはそのタイミングを見計らって。
「まず兵站面に関してね。報告は受けていると思うけれど、糧食面は予定通りに進んでいてこちらは問題ないわ。代わりに武器弾薬類が少し遅れているわ。特に修理整備用部品の到着が遅れているみたいで、全体を鑑みると完了予定は三日後とというところかしら」
「三日後なら大丈夫だ。ゴーレム達を用いた建設等で復旧整備は予定より早く動いているからね。総合的には遅延なしで収まると思うよ」
「エルフ達や召喚士達の助けが無かったら早速遅延になるところだったから良かったわ。次に情報線の構築だけれど、こちらも予定より半日程度の遅延見込みよ。これだけの大規模な物資輸送は連合王国でも初経験で、日常的に訓練していてもやっぱり現場には多少の混乱があるみたい。ただ、既に設置された魔法無線装置で届く物資の把握などの通信も行われていて大きな混乱にまではならなかったみたいよ」
「ならそっちも問題なしと捉えていいよ。五日を越えなければ対処は可能だし。水の方は?」
「旧東部領は水が豊かな土地だから確保に心配はいらないわ。井戸をある程度掘れば出てくるもの。作業も魔法蒸気機関重機とゴーレム部隊で手早く済ませられそう。あとこれからの季節は川の増水を起こしそうな大雨はない時期だから、進軍に関しても不安になる要素は無いわね。どちらかというと、気にするべきはやっぱり雪かしら」
「大昔の統計で心許ない点はあるけれど、気温は例年よりやや高め。早めの寒波が襲う事は無いと思うけれど、いつもより遅めにやってきてくれると助かるなあ」
「理想としては?」
「十一の月中旬。雪がチラつく程度になるのが十一の月の頭くらいだからさ。けど希望的観測は禁物かな。大抵ロクなことになんないし」
「軍を動かす人間がやるには悪手だものね」
「まったくさ」
僕は前世の所属していた日本軍ではなくて、旧日本軍、大日本帝国の方の軍を思い出して強調し言う。当時の帝国陸海軍は希望的観測の極みで戦略を見てしまい、兵站の軽視や見積もりの甘さもあって結果的に敗退を重ねている。日本軍が残ったのはソ連の暴走により日米が戦っている場合じゃなくなったなんて、大局からしてありえない選択をあの国がしでかしてくれたから起きた奇跡の産物のお陰だ。もし一九四五年半ばまで戦争が長引いていたら本土決戦も大いにあったんじゃないかと思う。
…………話はこの世界に戻すけれど、戦争を遂行する以上はこうだったらいいとかああだったらいいといった望みで動くのは御法度。目標を立てる分にはいいとしても、それだって綿密な計画に則って動かないといけない。『鉄の暴風作戦』はやや性急に動かした点はあるけれど、かつての計画の改良案だからやれた芸当だし、現場と後方の努力によってここまではつつがなく進んでいる。
だからこそ、ここからも冷静かつ迅速に作戦を進めないといけないと僕は思っている。
「――以上が正午現在の最新の状態よ」
「ありがとう。これならシュペティウ出発も事前の計画通りもしくは大目に見ても一日遅れでいけると思うよ」
「勝利の道作戦で後方地帯が頑張ってくれているお陰ね」
「道半ばまでは大体順調だからね」
「ええ。よしっ、マッサージはこれくらいでいいかしら?」
「ありがとねリイナ、エイジス。お陰でかなら肩が軽くなったよ。確かこの後は」
「アカツキ准将閣下、失礼致します」
「噂をすればってやつだ。昨日の夜に聞いた件かな?」
リイナがしてくれたマッサージが終わった時、ちょうどこのテントに連絡士官の男性が入ってきた。
「はっ。その通りであります。間もなく作戦会議が始まりますので、お伝えしに参りました」
「分かった。すぐ向かうよ」
「了解しました。外で待っております」
彼は敬礼して言うと、テントの外に出る。
「じゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃい、旦那様。書類は分かりやすく整理しておくし、ここに誰かきたら要件についてもまとめておくわ」
「お任せするよ。リイナは優秀な副官だから」
「褒めても何も出ないわよ? 抱擁なら提供出来るけれどね」
くすくすと色っぽく微笑むリイナ。まだ戦火ではないとはいえ、こういう場所でもマイペースを貫いてくれるからこそ僕は余裕を持った考えでいられる。
リイナにしばらくの間代行を任せて、僕はアルヴィンおじさんやルークス少将がいる場所へと向かった。
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