第231話



 ――警報が鳴る三十分前。



 テンジのいる場所から十キロ以上離れた場所。

 そこでは多くの選手たちで限りあるポイントの争奪戦が繰り広げられていた。


 それも仕方のないことだった。テンジの召喚した賽を見た選手たちのほとんどは「モンスターがいる」と運営へと報告し、その場所から一時離脱を図っていた。

 だからこそ、この場所では過激なポイントの奪い合いが始まったのだ。


「……足音がどんどん増えてる?」


 そんな中で立花加恋は耳を澄ませて、この一帯の足音を数える。


「八、九、十……十四人。ダメだ、このままじゃここにいる人たちで無駄なポイントの奪い合いが始まっちゃう。どこか別のエリアに行かないと」


 これまでの最終予選を通して、加恋はあることに気がついていた。


 この予選で最も得点源となるスイカというターゲット。

 それはどこか一か所に集中して配置されているということではなく、一つのエリアに対して絶対数が決まっているような配置の仕方をされていたのだ。

 だから、どこか一か所で留まってばかりだとどう足掻いてもポイントは稼げない。


 このヒントにいち早く気が付けるかどうかも、上位陣に食い込むための一つの要素として最終予選には取り入れられていた。


 それに気がついていた加恋は移動しようと後ろへと振り返る。


「音の静かな方に行こ――」


 小さく呟いた、その時だった。

 加恋の頬を鋭くとがった石の破片がかすった。


 気がつくと、赤く綺麗な血が頬を伝って流れ出ていた。


「や、やめるんだ! それ以上近づくなッ!! 鵜飼さんが黙っ――」


 そこまで遠くない場所からそんな言葉が聞こえてきた。

 嫌な悪寒が全身をぶるりと震わせる。


 初めてこの世のものではない霊を見たときの感覚に似ていた。


 おぞましい何かがすぐそこにいるのだとわかった。


「お前ぇプロだろぉ? 雑魚だなぁ、弱くて弱くて俺ぁ涙が止まらねぇぜ」


「このクソ野郎。死――」


 次の瞬間、加恋の足元に人の首が転がっていた。

 自然とそれと目が合う。


 信じられない、とその目が訴えてくる。


 その目から生の灯が消えていくのが手に取るようにわかった。


 ぞくりと体が意に反して震える。


 震えが止まらなくなっていた。


 足が文鎮のように重たくなって、動かなくなっていた。


 初めて――人の死を見てしまった。


「……………………」


「ガキがいるなぁ。弱っちいプロがいたなぁ。一体何をやってるんだぁ?」


 クレープのポップなイラストが描かれた小さく廃れた店の中から、一つの影がのそりのそりと亀のような足取りで現れる。そいつは面倒くさそうに欠伸をもらすと、ぼさぼさな前髪をかき上げるように逆立てた。


 黒いたてがみで威嚇してくる虎のような男だと思った。

 どこからどう見ても筋肉質ではなく、むしろガリガリな体のはずなのに異様に高い身長がその男の圧迫感を演出していた。まぶたの下にはもう何年も取れていないだろう濃くなじんだくまがくっきりと見える。


 男の目はとても眠たそうに弛んでいるのに、絶対に目を離してはいけないと直感がそう囁いてくる。


「答えてくれよぉ。俺ぁお前に聞いてるんだぞぉ?」


 瞬きの刹那だった。


 再び瞼を開けると、加恋の瞳の数センチ先に――男の若葉色の瞳があった。

 ぎょろりとこちらの瞳を覗き込んでいた。あきらかに距離感がばぐっている。


「――っ!?」


「子猫みたいだなぁ。すり潰していいかぁ。猫をつぶすのは好きだぁ」


 ふと、視界から男の若葉色の瞳が消えた。


 そして――加恋の耳には紫色の音が聞こえてきた。


(……むらさき)


 加恋は反射的に上半身を後ろへとのけぞらせる。それからゼロコンマ数秒後に、加恋の二つの瞳があった場所に男の二本の鋭い人差し指と中指が通過していった。


 あきらかに殺意を持った目つぶしだった。


 しかし、加恋は止まらなかった。

 手に持っていた長手の槍を一気に下から振り上げると、長年の訓練で身に着けた反射的な反撃へと出ていた。


 体が思うように動かなくとも、この一年の厳しい訓練は彼女の体を勝手に動かしていた。


「おぉっ!? 反撃かぁ!」


 男の驚くような声が聞こえてきた。

 しかし――ブゥンと槍が空を切る鈍い音が鳴り響く。


「でも遅いなぁ、遅ぃ――ゴアッ!?」


 余裕な笑みを浮かべていた男は、苦悶の声を上げる。

 気がつくと加恋が繰り出した蹴り上げの攻撃が、男の顎を直撃していたのだ。


 槍だけが反撃だと思い込んだ男の慢心だった。


 体の柔軟性を駆使して反撃を繰り出していた加恋は、そのままバク転するように後方へと距離をとっていく。その間にもすぐに男は首を横に傾げると、自分の頭を横から勢いよく何度も何度も何度もたたきつけた。


 まるで自傷行為を楽しんでいるかのようにも見えた。


「あぁ……脳がしびれたぞぉ。今のは効いたァァァ」


「…………」


 加恋はすぐに態勢を立て直すと、ようやくいつも通りの構えを見せる。

 この一年でさんざん師に教え込まれた今の自分ができる最高の準備だった。その心には恐怖という悪魔はすでにいなくなっていた。


(やらなきゃやられる……この男は私を本気で殺そうとした)


 本気の瞳の輝きが男を襲う。

 それが男にとっては子守歌のように心地よかった。


「あぁ……これだぁこれだぁ。これが欲しかった」


「あなたブラック探索師でしょ? この大会に手を出してただで済むと思ってるの? この一帯には数えきれないほどのプロが待機してるんだよ。今投降すればこれ以上傷口を広げることはない。だから――」


「ごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるせぇなァァァァァ!! ビッチは黙って――生きて見せろよ」


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