第177話



 その奇襲に反応した者はいなかった。


 ――はずだった。


 たった一人、天城テンジを除いて。


 なぜか今日はずっと調子が良かった。

 言うなればスポーツ選手のゾーンに近い状態だったのかもしれない。その上向き調子が功を奏し、最高の結果に、人命の救助に繋がった。


 彼女が走り寄ってくる瞬間のことだった。

 テンジは視界の端で見えない何かが空気を揺れ動かすような、なんとも曖昧で根拠のない感覚を肌で感じ取っていたのだ。超感覚にも似たそれは、ただの嫌な予感ではなかった。


 指を組んでいる時間はないと瞬時に理解したテンジは、声だけで発動できる盾スキルを発動した。

 やはり防御力は十分ではなく、すぐに子飼いに撃ち破られてしまったが、一瞬の迷いを誘うことと、僅かに攻撃を妨害することには成功した。

 結果、子飼いの攻撃は薄皮一枚のところで空を切ったのだ。


 ブゥンと空を切った子飼いの攻撃を見るよりも前に、テンジはスキルを駆使して炎鬼刀を振りかぶっていた。そして首を焼き切ったのだ。


 着地を考えない突撃攻撃に、テンジは案の定着地に失敗した。

 前傾姿勢のまま地面へと倒れ込み、受け身をとる形で地面をゴロゴロと転がっていく。近くの木にぶつかることでようやく止まった。

 間抜けな姿で着地したテンジは、慌てて振り返る。


「はぁ、良かった。間に合った」


 ほっと胸を撫でおろした。


 ――その時だった。


「何が間に合っただ。学生が出しゃばるな」


「いでっ」


 こつんと優しく頭を誰かに叩かれたのだ。

 慌てて声の聞こえた方向に目を向けると、そこには呆れた様子の九条がいた。


 何がなんだか分からずに、はてとテンジは首を傾げていた。


「はぁ、分かっていないようだな。やはりまだまだ学生だな」


「え?」


「今はお前が飛び出したが、私や炎、他の探索師だって今の奇襲を対処する術を持っている。例え一瞬気が付くのが遅れたところでどうにかできる場面……なのだが、いきなりお前が奇声あげながら飛び出したもんだから、こっちが手を出しづらいだろうが。もう少し周りに気を配れ、プロを信じろ」


「あっ……す、すいません!!」


「まぁ、今のは良い攻撃だった。火力も申し分ない……いいだろう、天城テンジ。私たちと一緒に殿をやるぞ。仲間たちが崖上に辿り着くまでの時間を稼ぐ。いいな?」


 九条団長は最後に笑って片手を差し出してくれた。

 説教されつつも、今のは九条団長がテンジの成長を想っての言葉だと知った。それに直接褒めてくれるようなことなんてあまり経験したことのないテンジは、思わずぽっと顔を赤く染め上げた。


「は、はい! 頑張ります!」


 その細くて、頼もしい手を取りテンジは立ち上がる。

 そして九条団長の隣で炎鬼刀を構え、遠くから走ってくる子飼いたちを見つめる。周りにはすでに子飼いたちと戦闘を繰り広げている殿の探索師たちに加え、冬喜の姿もあった。

 ここは戦場だ、戦いが止むことなどほとんどない。


(ふぅ……落ち着け、僕)


 少し、ハイになりすぎていたとすぐに反省するテンジ。

 それでも反省はここまでだと割り切り、気持ちを目の前の敵へと切り替えていく。


 そんなテンジに突然、遠くから声が掛かる。


「ありがとうございます!!」


 テンジが助けた女性の感謝の言葉だった。


 マリィと呼ばれていた治癒役の探索師は大きな声で感謝を伝えると、かばってくれた探索師と一緒に全速力でリィメイの元へと駆け寄っていく。

 そのまま地面に膝を着くと同時に体の状態を確認し、治癒が可能だと判断するやいなや、即座に本格的な治癒を開始した。


 それらの行動を見て、テンジは安心したように頬を緩めた。


「良い刀だな」


 そんなテンジに対し、戦況をジッと観察していた九条団長が話しかけてきた。

 その瞳は戦場を捉えつつも、テンジの持つ炎鬼刀も視界に捉えているらしい。さすがの視野の広さにテンジは思わず驚く。


「はい! ありがとうございます!」


「よし、少しは落ち着いたようだな。お前も今から殿部隊に加われ、リィメイ付近の敵を殺してこい。その刀があれば余裕だろ? 強さは申し分ないし、炎とも遜色なく肩を並べられるだろう。期待している……頑張れよ」


「はい!」


 そっと九条はテンジの背中を押してくれた。

 その勢いのままテンジは再びリィメイの元へと駆け出し、殿部隊へと参加するのであった。




 それから間もなく、九条は殿部隊の面々にも撤退を命令した。

 運が良かったのか、運が悪かったのか――チャリオットに未だ死者は出ていない。


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