第152話



 ――第75階層。


 そこには雲一つない、真っ青な空があった。

 鳥のさえずりも、虫の鳴き声も、カエルの合唱も、生の音が何も聞こえてこない。それでも柔らかな春の風が吹き、青々とした木々の葉を揺らす音だけがこの階層には静かに流れていた。


 今までの第1階層から第74階層では少なくない虫や小動物が生きていたのをテンジたちはたくさん見てきた。このマジョルカのダンジョンにはモンスターとは別に普通の動物たちも生きている。理由は不明だが、このようなダンジョンは他にもある。


 しかし、なぜかここには生き物一匹いなかった。


 ここに階層転移してきたテンジと冬喜、千郷の三人はゆっくりと瞼を開けた。

 眩しい太陽の陽ざしが視界を埋め尽くし、徐々に目が慣れ始めていく。


 ぱちりと目を開けた三人。

 目の前の光景を見る否や、驚きのあまり目を瞠った。


「「「…………」」」


 そこは奇妙なもので溢れかえっていた。


 ベージュ色の様式で統一されたテントの群生地、まさにその様相であった。

 しっかりと区画を決められており、見渡す限りずらりとそれが立ち並ぶ。壁の無いタープだけのテントやソロ用の小さなテント、ファミリーサイズの大きな軍用テントなど、大きさや形は様々であるのだが、色やシリーズは統一され用途ごとに区画を決められているようだった。


 誰が見てもその違和感には気が付くだろう。

 この階層では確かに、”何か”の準備が始まっているのだと。


 人類最高到達階層であるはずの第75階層で”何か”が着実に進んでいた。

 それが何なのか――その詳細までテンジには分からなかったが、目の前に広がる殺伐とした仮の拠点群が何かを強く物語っているように感じた。


 テンジは広がるテントだけではなく、そこにいる「人」にも注目してみた。


 テントの合間を縫うように様々な国籍のプロ探索師たちが忙しなく行き交い、物々しい雰囲気で戦闘の準備を始めていた。

 そのプロ探索師の中には、テンジのような情報が制限されている一介の学生でさえ、動画やテレビなどで一度は見たことあるようなプロ探索師が数え切れないほどにいた。その有名すぎる顔ぶれにテンジの視線は思わず右往左往してしまう。


 ロシアの最恐ギルドと名高い【プラービリナ】や中国の三強ギルドとも言われる【四川炎帝しせんえんてい】――それらのギルドの中でも名だたるプロ探索師たちが殺気を纏うように、そこで待機していたのだ。


(えっと……ここって本当に人類の最高到達階層なんだよね? 戦争でも始めるのか聞きたいくらいに有名な探索師たちが座ってるんだけど――)


 第75階層には数人の探索師しか到達していない、そう聞かされていた。

 実際に生徒たちに配られる資料にも、マジョルカの住人に配られる資料にさえ、ここに到達できた者は両手で数えられる数だと明記されていた。そこに正確な人数や到達者の名前までは記載されていなかったが、それにしてもおかしいという話だ。


 その資料に真実は書かれていなかった、とテンジは初めて気が付く。


 目の前には数人なんかでは説明できないほどに多くのプロ探索師がいて、何かを始めようと準備をしている。物資を運び、武器を整備し、筋トレをし、精神を統一し、作戦のような会話が至る所から聞こえ、ヒリヒリとした緊張感が漂い――大規模な攻略を開始するのか、はたまた戦争でも始めるのかと聞きたくなるような不思議な状況だった。

 聞き耳した情報とはまるで違う状況に、千郷と冬喜は少なくない戸惑いを見せていた。


 対してテンジはその緊張感と殺気漂う圧迫感に、思わず息を飲んだ。



 ちょうど――そのときだった。



 観光客のような初々しい反応を見せていた三人の目の前を、一人の探索師が通りすがった。


 黒い髪に、黒と茶の中間にある綺麗な瞳、白く輝くインプラントの歯。上背180近くはあり、細身の割に筋肉質な体を誇る男性。その男性の特徴である黒い膝丈までのマントには、日本のトップギルドの一つ、【Chariotチャリオット】の戦車と槍のシンボルが刺繍されていた。


 それはチャリオットギルドの正装。

 つまり戦闘装束として日本では知らぬ人などいないほどに有名なシンボルマークだった。


 思わず、テンジは「あっ」と声をあげていた。


「――福山さん!?」

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