第103話



 稀に、別のモンスターに擬態するモンスターがいる。

 元から擬態能力を有していないモンスター種でも、ごく稀に『擬態』という特殊能力を持って生まれることがある。

 その多くは自分よりも等級の低いモンスターに擬態し、ひっそりと殻の中に潜み好機を伺う。そうして弱いと決めつけて襲ってきた探索師たちを、逆にひねり殺してしまうのだ。


 擬態を持つモンスターは一様に、狡賢く、知能が高い。


「嘘……擬態? それも一等級!?」


 ミナの声が静まり返ったこの広場に響き渡る。


「グロォォォォォォォォォ……」


 彼らの目の前に悠然と立ち尽くすのは、悪魔とも比喩される世界的にも有名なモンスター。

 漆黒の毛並みをゆらゆらと逆立て、三つの首はそれぞれ別の生徒を視界に捉えている。その瞳は吸い込まれそうなほどに綺麗な赤色をしており、それは一等級モンスターの特徴でもあった。


 そして、テンジにとっては苦い記憶を思い出させる。


「ブラックケロベロスだ」


 テンジは思いのほか冷静にその言葉を言い放った。

 見慣れたというわけではないが、心のどこかでいつの日かブラックケロベロスと再会を望んでいたからかもしれない。

 あの時はよくわからないギフトとかいう力でブラックケロベロスを倒した。でも、それは自分の力ではなく、未知の力によってなされた結果に過ぎない。


(僕が……)


 テンジは「僕が戦う」と言いたかった。

 今のレベルで勝てるかはわからない。それでも周囲の助っ人をいつでも呼べるこの状況で、自分の正確な現在地を、どれだけ力を手にしたのか試したかったのだ。

 力も才能もなかったあの日から、もうすでに半年近くが経過している。


 だけど、それはすぐに諦める。


(悔しいけど……ここは三人に任せよう)


 テンジはそう考え、数歩後ろに下がった。

 その行動を視界に端で捉えていたチェウォンとミナは、テンジの前に躍り出てブラックケロベロスに強い敵対視線を向ける。

 二人も本気なのだ。本気を出しても勝てるか勝てないか微妙な敵が、今の二人とってはブラックケロベロスだった。


「チェウォン。本気で行くよ」


「わかってるよ。ミナの方こそ、怖気づいたわけじゃないよね?」


「まさかだよ。こういう時のために、守れる誰かを守るために……私たちは努力してきたの。ここで力を見せないで、いつ見せるって言うのさ」


「そうだったわね……行くよっ!」


「了解!」


 チェウォンとミナは本気で駆け出していく。

 その頼もしい後ろ姿を見て、テンジはどこか懐かしい記憶を思い出していた。


(あの時とはまるで違う……。周りには一級探索師に成り得る力を持つ探索師が三人もいる。そして……僕もあの時とは違うんだ)


 あの時、つまりテンジがブラックケロベロスと初めて出会ったとき、テンジは天職すら持っていないただの青年だった。いや、ただのではなく、何も持っていなかったか弱き青年だった。

 周りにいたのは一番強くて二等級天職を持つ五道正樹で、そのほかの探索師も三級探索師ばかりだった。


 あの状況から考えると、今のこの状況はずっと整っている。


 黒繭の中から擬態したブラックケロベロスが出てくると、リィメイ学長も予想してはいなかっただろうが、未だに教師の誰も姿を現さないということは試験続行という判断なのだろう。

 ここにいるパインもチェウォンもミナも、全員がブラックケロベロスを倒す可能性を十分に秘めた生徒である。


 それを考慮した、親虎の判断なのだろう。


 ミナが最初に動き出した。


「――『聖域展開』ッ」


 バトルアックスの柄を地面に叩きつけると、周囲の空気を神々しく感じる真新しい空気へと変えた。


 ユ・ミナ。

 純朴そうに見えて実は全く純朴ではない彼女は、一等級天職《ユリウスパラディン》という純粋な攻撃役と盾役の両方をこなせるハイブリッドな探索師だ。

 聖域を展開することで、彼女のステータス値は全数値が1.45倍に跳ね上がり、信頼する仲間のステータスを1.1倍に昇華させる。


 そんなミナの斜め後ろには、チェウォンが追行している。

 チェウォンは自分の武器であるステンレスのような色合いのロッドを地面に引きずりながら、ブツブツと何かを詠唱していた。


「――『海樹千齢かいじゅせんれい』ッ」


 チェウォンがスキル名を唱えたその瞬間、ブラックケロベロスの足元の地面から無数の木の根が出現し、牛ほどの巨体を拘束しようとわらわら縦横無尽に動き出す。


 ソン・チェウォン。

 韓国アイドルのような美貌を持ちながら初心な彼女は、一等級天職《フォレスタンマジック》という樹木系魔法を得意とする探索師だ。

 棍棒のような武器――ロッド――を媒介に、自然に力を借り、モンスターと戦う。


 そんな二人の攻撃速度は、ブラックケロベロスの想像を超えており、少し焦りを見せた。

 そこに――。


「おらぁ! 『聖グラビティエッジ』ッ」


 ミナが聖域の恩恵を最大限生かした高速移動をしてみせ、瞬間的にブラックケロベロスの目の前に立ち上がった。

 その手には重厚なバトルアックスが握られており、スキルの効果を付与して振り下ろそうとする。


 と、そこでようやくブラックケロベロスも打って出た。


「グロォォォォォォォォォオッ!」


 耳を塞ぎたくなるほどの轟音を響かせると、周囲をうろちょろとしていたチェウォンの樹木攻撃を一瞬で蒸発させてしまったのだ。

 その勢いでミナのバトルアックスに齧り付こうと、飛び上がった。


「あっ、やば」


 ミナのそんな声が聞こえてきた。

 彼女の使用したスキル『聖グラビティエッジ』は効果が終わるまで、止まることができないスキルだったのだ。ゲームで言う、スーパーアーマー状態である。

 避けたくても避けられない、そんな状況だった。


「グロォォォォォォオッ!?」


 しかし、その噛み付き攻撃はミナに届くことはなかった。


 突然、ブラックケロベロスは雷に打たれたように体中をバチバチと弾かせ、跳躍しようと屈んだ状態で硬直し始めたのだ。

 その様子を不思議に思いながらも、チェウォンとミナは急いで大きく後退する。


「危なかったね。ブラックケロベロスは攻撃が多彩だから、正々堂々戦っちゃだめだよ。相手の裏をかいていかないと」


 まるで霧が晴れていくかのように、パインが姿を現した。

 パインのステルスボルテッカーはブラックケロベロスの横腹に突き刺さっており、濁流の如く電撃攻撃を繰り出していた。


 モハメット・パイン。

 彼女の天職は、一等級天職《ラベンダーヒットマン》。暗殺系の中でもかなり異色で、姿を完全にくらますことのできる能力をいくつも併せ持つ。

 特典として手に入れたそのステルスボルテッカーも、彼女の天職能力と相乗効果を発揮し、隠密性を最大限生かしてくれる。


 そんなパインもMPの消費を考えてか、電撃攻撃を断念しその場から一度離脱した。


「グロォォォォォォ」


 ブラックケロベロスは、パインの奇襲攻撃に怒りを顕にする。

 口元から零れ出ていた黒い靄が、さらに多量に吹き出し、全身を纏うゆらゆらお揺れる炎のような靄もその量を増大させた。


(これ……怒り状態が近いのか?)


 電撃攻撃は相当の攻撃力を有している。

 たったの一撃で、ブラックケロベロスの怒り状態を引き出す寸前まで陥らせたのだ。


 そこでチェウォンとミナが徐に作戦を練り始める。


「正々堂々がダメって……私じゃ無理じゃん」


「ミナは確かに相性が悪いね。良くも悪くも、正々堂々が基本だからね。じゃあ、ここは私に任せてよ」


「わかったよ。それまでの防御は私が全部担当する」


 ミナがチェウォンとテンジを守るような位置取りをして、バトルアックスを中段で構えた。

 それを見て、チェウォンも自慢のロッドを構える。


 その時には、すでに三人の感知範囲からパインの姿は消えていた。同時に、そこら辺に倒れていたはずのジョージも遠くの木陰で背中を木に預けながら、こちらを心配そうな瞳で見つめているのが見えた。


(凄いな、パイン。いつの間に戦場を整理していたんだ)


 隠密に長けたパインだからこそ、戦場の整理をして戦いやすい場所を作れたのだろう。

 これができる隠密系の探索師は世界を見ても、あまりいない。それほど凄いことをこの一瞬でやってのけてしまったのだ。


(やっぱりマジョルカの生徒は水準が高すぎる。みんながみんな……世界最高レベルの人材なんだ)


 改めて彼らの戦いや行動を見て、テンジはそのことに気が付く。


「ミナ、私の前は任せるよ」


「うん、全部の攻撃をいなしてみせるよ」


 チェウォンとミナはお互いを信頼し合っている。だからこそ、チェウォンは隙の多い大技を繰り出せるのかもしれない。

 途端にチェウォンの存在感が何倍にも膨れ上がった。近くにいると圧迫されてしまいそうなほどのMPの奔流が、彼女の周囲に吹き荒れ始めたのだ。


「すっご……」


 テンジの口からは賞賛の声が零れていた。


 と、その時であった。

 不穏な流れを感じ取ったブラックケロベロスが攻勢に出るために、大きな口をさらに大きく開いた。


 口内には黒い靄の塊が渦を巻いていた。

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