第81話



 テンジの瞳は、500メートルほど先を徘徊している第21階層のボスモンスター「クジャンベアー」を捉えていた。

 これまでにテンジが戦ったモンスターの中でも、一番強かったのは三等級モンスターまでだ。それも、これまでの戦闘で千郷が段階を踏むように調整してくれていたからである。


(僕一人でどこまでやれるかな? まぁ、やれるだけやってみるさ)


 テンジは今一度気合を入れ直し、赤鬼ノ短剣をしっかりと握り直す。


 半二等級ボスモンスター、クジャンベアー。

 二つある瞳のうち、片方が緑色でもう片方が黄色をしている。半二等級、つまり三等級以上で二等級未満の狭間に住まうモンスターということだ。


 体長は四メートル以上、横幅も一メートル以上というボスモンスターらしい巨体だ。

 全身を覆う剛毛な毛並みは砂漠に紛れるための保護色で覆われており、四肢の先が岩石のように硬化しているのがわかる。指先には人間など一撃で木っ端みじんにできそうな凶悪な鋭い爪が備わっており、一度でも攻撃を受けてしまえばテンジも致命傷を負ってしまうだろう。


(確かリィメイ学長の攻略マップには……ブレスによる遠距離攻撃持ちで、盾役のような視線を誘導するスキルもあり、半二等級の割には皮膚が堅いって書いてあったよな)


 事前に調べていた第21階層ボスについての注意書きを思い出す。


(だけど、主体の攻撃はあくまであの堅そうな四肢を活かして接近戦。……まぁ、十中八九ステータス構成は接近系のモンスターと似ているだろうな)


 リィメイ学長の作成した攻略マップには、こんな文言も書かれていた。


 ――半二等級の中でも、かなり高位モンスターである。


 その言葉は単に、三級探索師以下の探索師は戦うな、ということを意味している。

 第21階層には四等級ボスモンスターも徘徊しており、わざわざ格上であるクジャンベアーと戦う必要はないという意味も込められているのだ。

 しかし、攻略マップにはそこまで噛み砕いた説明は書かれていない。

 それもリィメイ学長が趣味の片手間で作っているマップであるということもあるが、マジョルカエスクエーラに入学するほどのレベルの高い生徒たちのために、わざわざ書く必要もないということなのだろう。


 ここに入学するほどの者ならば、それぐらい理解しろ、と。


「クジャンベアーってちょっと可愛くない?」


 テンジが真剣にどう戦うかを分析していた時、隣で暇そうに大好物のミルクを飲んでいた千郷が問いかけてきた。

 しかしどっからどう見ても……クジャンベアーは可愛くないのだ。

 返答に困ったテンジは、話題を逸らすためにも「僕もちょっと飲んでいい?」と言って千郷のミルクを所望するのであった。


「いいけど……ちょっとだけだよ?」


「うん、わかってるよ。戦う前の補給だよ。ねぇ、今の僕じゃあ攻撃力だけはクジャンベアーに対抗できると思うんだけど、速さだけはどう頑張っても勝てないと思うんだよね。確かクジャンベアーって巨体の割に素早いんでしょ?」


 テンジは千郷から受け取ったミルクを、口を潤す程度だけ飲み込みすぐに返す。

 その心配そうな言葉を聞き、千郷はうーんと唸る。


「あっ! じゃあ、これ貸してあげる!」


 解決策を思いついたらしい千郷は、左手の薬指についていたゴールドピンクの指輪を外し、テンジへと満面の笑みで渡した。

 その指輪のことをずっとただのお洒落だと勘違いしていたテンジは、思わず「えっ?」と素っ頓狂な声を上げていた。


「あっ、もしかしてお洒落だと思ってた? まぁ、こっちの指輪はお洒落で付けてるんだけど、この指輪はちゃんとアイテムだよ?」


「どんな効果なの?」


「さぁ? リオンが去年くれたんだ! なんかね足がバネのようにふわふわなる効果があるよ。テンジくんならもっと詳しく分析できるんじゃない?」


「あぁ、そうだね。ちょっと借りるね」


「うん、壊さないでね? クジャンベアーと戦うときだけだよ、貸すのは」


「わかってるよ。さすがに千郷ちゃんの物を壊したりはしないって」


 テンジは早速、受け取った指輪を左手の小指に付けようと近づける。


 ダンジョンで手に入るアクセサリー系のアイテムは、ほぼすべての物に自動調節機能という効果が付与されている。

 たった少しの大きさの違いで、誰かが着けられないということは起きないのだ。

 それを知っていたからこそ、テンジは迷わず小指に指輪を装着する。そしてすぐに閻魔の書のステータス欄を確認する。



 ――――――――――――――――

【名 前】 天城典二

【年 齢】 16

【レベル】 1/100

【経験値】 3706/5000


【H P】 1028(1012+16)

【M P】 1016(1000+16)

【攻撃力】 2049(1155+16)(×1.75)

【防御力】 1043(1027+16)

【速 さ】 1792(1008+16)(×1.75)

【知 力】 1043(1027+16)

【幸 運】 1045(1029+16)


【固 有】 小物浮遊(Lv.7/10)

【経験値】 33/90


【天 職】 獄獣召喚(Lv.1/100)

【スキル】 閻魔の書

【経験値】 3706/5000

 ――――――――――――――――



(うわっ……赤鬼バングルの速さバージョンだよ、これ。速さを1.75倍にするアイテム……一体、いくらするんだろう。そもそもリオンさんってこれほどのアイテムをプレゼントできちゃうような人なんだなぁ)


 テンジの元の速さは1024であった。

 それが指輪一つで1792へと、ちょうど1.75倍へと変わっている。


 ステータスが1000後半から2000近くもあれば、二級探索師相当の身体能力を手にしたことと同義なのだとテンジは推測していた。


 それはテンジの最大攻撃力で証明ができていた。


 二級探索師である千郷と腕相撲をした結果、テンジがギリギリの采配で勝てた。

 しかしそれ以外の項目、つまり防御力や速さ、知力などでは千郷の半分以下の結果も出せないでいたのだ。

 その結果から、ステータス値が2000近くにもなれば二級探索師と対等になれるのだと気づきを得た。

 要するに、今のテンジの速さは二級探索師に切迫している値なのだ。


「どうだった?」


「これ凄いよ。速さのステータス値が1.75倍になってる。もしこれをオークションに出したら、数億から十数億円はくだらないんじゃないかな? ……リオンさんは貢ぎ上手だね」


「へぇ~、そんなに凄いものだったんだ。リオンってこんなアクセサリーたくさん持ってるからね、一個くらい無くなってもどうでもいんじゃないかな?」


「あはははっ、さすがは零級探索師だ。スケールが全然違うや、僕のスケール感で測っちゃだめな人だったわ」


 テンジはここにはいないリオンに向かって、心の中で謝罪する。

 いつもはのんびりとソファで寝ているか、千郷ちゃんとゲームをするか、少しエッチなお店に行くか、ご飯を食べるかの四択しか持っていない人だが、改めてダンジョンの中では異常な人なのだと理解した。もちろんリオンのことである。

 マジョルカに来るまでのテンジは少なくない回数、【暇人】ギルドにお邪魔していたので、少しだけだがリオンの生態を理解していた。


「まぁ、零級探索師は完璧な探索師だけど、人間としては欠落者だからね」


「ん? どういうこと?」


「あ~、聞かない方がいいよ? 夢が壊れちゃう。それよりクジャンベアー倒しておいでよ。早く倒さないと今日中に24階層まで行けないよ?」


「そ、そうだね」


 明らかに、意図的に『欠落者』という意味を隠そうとした千郷。

 それに気が付きながらも、テンジは突っ込んではならない領域なのだと悟り、口を閉ざした。


(よし、打倒……クジャンベアー!)


 千郷の「早く戦ってよ」という視線を感じながら、テンジは一キロほど先でのんびりと徘徊しているクジャンベアーの元へと駆け出した。


「おぉ……凄い。これが二級探索師たちの見ている世界なのか」


 千郷から借り受けた指輪の効果で、テンジの走る速度は二倍近くまで上昇している。

 いつもよりも一段と早くなった世界を見ながら、テンジはにやりと口角を上げた。

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