第78話



「おっ、グリザムリンじゃん。ちょうどいいの見つけた」


 テンジが単独行動中、視界の先にグリザムリンを発見し喜んでいた。

 グリザムリンは緑の瞳を持つ三等級モンスターであり、この第11階層ではあまり見ない強さを持つモンスターである。

 この階層では五等級と四等級がほとんどで、三等級と出会えばラッキーか不運と言われているくらいなのだ。


 すかさずテンジは赤鬼ノ短剣を召喚する。


 赤鬼の短剣は刀身が黒く、柄が赤い紐で覆われている三十センチほどの短い得物だ。

 それを順手で構え、テンジは力強く駆け出した。


「グッ!?」


 ドンッ、と音が感じ取ったグリザムリンは反射的にその方向へと視線を向ける。

 そこには猛スピードでこちらへと向かってくる一人の青年がいた。その手には禍々しい短剣が握られており、慌てて鋭い爪を構える。


「――さて、何回目で泥酔状態になるかな?」


 テンジがにやりと笑みを浮かべて、獰猛に呟いた。

 その瞬間、グリザムリンの視界から青年の姿が消えた。さらに速度を上げたテンジの速度に動体視力が追い付かなかったのだ。


「グリィッ!?」


 気が付いた時には、頬に赤い一の文字が刻まれていた。


「おっと、発動しないのか。やっぱり確率厳しいなぁ、これ」


「グリィッ!?」

「グィッ!?」

「グガッ!?」


 グリザムリンはまるでテンジの姿を捉えられていなかった。

 気が付いた時には体のあちこちに赤い線が刻まれ、体中をゆっくりと赤い血が流れだしていたのだ。


「おっ、五回目か」


 その青年の声が聞こえたときには、グリザムリンの頭は思考力を著しく低下させていた。

 頬が自然と熱くなり、頭がぼーっと熱くなる。そして、足取りもままならないほどには千鳥足になってしまい、思わず近くの木へと体を預けた。


「グィィィィ……グヒッ」


 まともに自立できなくなったグリザムリンを見て、テンジはスマホを取り出した。

 そこに『グリザリン、五回目で泥酔デバフ』とメモを残す。


 これはここ最近で検証していた、泥酔の確率実験だ。

 文字では20%と書いてあるが、その体感覚を知りたかった。だからこうやってちょうどいいモンスターを見つけるとすぐにはトドメを刺さずに、かすり傷だけを負わせることで泥酔デバフを掛けていた。


「まぁ、大体で計算しても五回に一回の確率で泥酔のデバフが入っているな。……っと、結構な確率で上書きされちゃうんだけどね」


 突然、泥酔デバフが解けたように立ち上がったグリザムリンを見て、テンジはスマホを仕舞う。さらに短剣も閻魔の書へと戻した。

 そして新たに赤鬼刀をその手に召喚する。


「グリィィィィィィイッ!」


 怒り状態だ。

 グリザムリンは極度の恐怖を感じたことで、怒り状態へと移行した。

 こうなったモンスターはすべてのデバフ効果を体の中から排除してしまうようで、赤鬼ノ短剣の泥酔デバフもすぐに掻き消されてしまった。


「――ほいっと」


 テンジは必死の形相で走り向かってくるグリザムリンに合わせて、赤鬼刀を振るった。

 すぅっと首に切っ先が入っていくのを見て、さらに勢いよく刀を振り斬った。


 グリザムリンは声を上げる間もなく、首から上がぬるっと滑り落ちていく。

 体だけは二、三歩だけ歩くと、前屈みにドタッと倒れ伏した。その死体はすぐに端からメキメキと鉱石化を始める。


「ラッキー、三等級魔鉱石ゲット。これで20ポイント以上は確実だ。じゃあ、小鬼くんはいつも通りこの場で待機してて」


「おん」


「魔鉱石が手のひらサイズまで小さくなったら僕のところに持ってきてね」


「おんおん」


 テンジはそれだけ伝えると、適当に森の中を進み始める。


 今は新たに小鬼を召喚できる赤鬼種の地獄領域枠がないため、ポイントは地獄婆の売店で鬼灯を買うことくらいにしか使い道はない。

 それでもいつか大量に必要になる可能性を考慮して、テンジは集められるだけ魔鉱石を集めてポイントに変換していた。

 マジョルカに来て一週間は経過しているので、すでに所持ポイントは1000を超えている。


(ポイントは貯金一択だよね。それじゃあ、もう少し泥酔の検証をしてから千郷ちゃんの元に戻ろうかな)


 このマジョルカに来てから、テンジは生き生きとしていた。

 その理由はいくつもあるが、一番大きな理由は当分のお金問題が解決したからであろう。

 ここに来る前、テンジは二年分の食費や生活費、授業料など様々な支援を千郷個人から受けていた。それに加え、マジョルカでの出費はすべてが千郷持ちになったため、少し前の次の日の食費を意識しながら生活していたあの日が嘘のように変わったのだ。

 7000万円の借金についても、1年間マジョルカで千郷が文句なく生きていけるように家事全般を行うことで全額返済したことにする、というリオンとの契約書も結んだ。いや、正確には半強制的に結ばされたという方が正しいだろう。


 お金の心配がいらない。

 たったのこれだけでテンジの気持ちは驚くほどに軽やかになっていた。


 と、その時であった。

 スマホのアラームが森の中に鳴り響く。うるさい音を慌てて止め、テンジは時間を確認する。


「ありゃ、もうこんな時間だったんだ。千郷ちゃんのところに戻らないと」


 すでに時刻は11時45分を迎えており。あと20分も経てばダンジョン実技演習の講義が終わる時間となる。

 この後は千郷たちと合流し、第三階層のトュレースセントラルパブロの噴水広場に戻って、安否や講義終了の名簿に名前を書かなければならないのだ。

 そうしないと、この講義は終わったことにならない。


「さてと――」


 ググッと背伸びをして、テンジは気持ちを切り替える。


「お昼ご飯を食べて、午後の本格訓練だな。頑張ろっと」


 すぐに小鬼たちを呼び戻し、魔鉱石をポイントに変換しながら千郷たちと合流を目指すテンジであった。



 † † †



「――はい、今日もお疲れ。解散でいいよ」


 テンジ、千郷、冬喜の三人は問題なく合流した後、トュレースセントラルパブロの噴水広場に戻ってきていた。

 そこでは学園の事務員の女性が待機しており、渡されるタブレットに講義終了のサインを千郷が代表して書く。そうすることで、この講義は問題なく終了したということになるのだ。

 教師も教師でわざわざ学校に連絡をする必要がなくなるため、こんな形になったのだとか。


「お昼ご飯、何食べよっか?」


 千郷がわくわくした表情で二人へと聞いた。

 しかし、テンジは未だにマジョルカの美味しい料理屋さんとかには詳しくないため、すぐにここに二年年近く住んでいる冬喜へと視線を向けた。

 冬喜は「まぁ、俺だよね」と小さく呟き、千郷へと振り向いた。


「何系が食べたいとかある? 海鮮系とか、イタリアンとか、スペイン料理とか、分厚いステーキとかさ」


「うーん……うーん……ステーキ!」


「了解。じゃあ、一階層に凄く有名なステーキ屋さんがあるからそこに行こうか」


 ステーキという名前を聞いただけで、テンジの口からはだらだらと唾液が溢れ出していた。

 もちろん千郷もきらきらと目を輝かせて、冬喜を見つめていた。


「あははっ、本当に二人とも美味しいごはんとなると目がないよね。それじゃあ、早めに行こうか。あそこは人気だから、混むんだよね」


「今すぐ行こう! ステーキ!」

「走らない? 走った方がいいよ? ステーキだよ? あぁ……いつぶりのステーキだろうか。絶対に美味しいはずだよ、絶対にね」


 食のこととなると、暴走気味になる千郷とテンジだ。

 さすがに数日間も一緒にいればそのことに気が付いていた冬喜は、自分がストッパーにならなければという親にも似た感情を抱いていた。


 ただし、二人の欲望は少しだけ違う。


 千郷は単なる食への欲求が人一倍強いだけだ。

 対してテンジは、貧乏生活からの反動で美味しいものとなると盲目になるのである。


「はははっ、あんまり走らないでね」


 千郷とテンジは、冷静な冬喜の両手をグイグイと引っ張っていき噴水の前へと半強制的に引きずっていく。

 もはや冬喜はその光景に苦笑いするほかなかった。


「「第1階層、セントラルエントラーダパブロへ」」


 テンジと千郷の声がハモった。

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