第2章 覚醒編(下)

第35話


 ガヤガヤと鳴り響く生徒の話し声。

 キィーと椅子が床を擦る不快音。

 ドタドタと廊下から聞こえる玄関へと向かう足音。


 放課後間近の学校はいつもよりも喧騒としていて、1-Bの表札が掛かった教室内で、テンジは窓際の席に座りながら外の景色をぼーっと眺めていた。

 世間の学生たちは、今が浮かれる時期である。ちょうど今日は7月の終わりで、もう少しで待ちに待ったパラダイス、夏休みが始まるのだ。思春期真っ盛りな高校生たちが浮かれるのも致し方ないことだろう。

 かく言うテンジも、少々浮ついた気持ちで学校が終わるその時を待っていた。


「帰りのホームルーム始めるぞ、席に着け~」


 ガラガラと鳴る教室の扉を開け、1-B担任の教師が入ってくる。

 黒髪、黒目、黒ぶち眼鏡に理科教師っぽい白衣を纏ったその教師は、怠そうに前屈みで何かの書類を持ちながら、教壇の前に立った。


 この日本探索師高校の教師は、全員が元探索師であり、ダンジョン第一期時代から活躍していた人たちが招聘されているのだ。とはいっても、彼らはすでに一線を退いた元探索師が多いのが現状だ。中には、一昔前に英雄探索師なんて呼ばれていた世界的に有名な元探索師も、教師として講義をしてくれていたりする。


 もちろんこの担任も一昔前に活躍していた探索師の一人である。


 テンジの担任教師――市丸いちまる紅瀬こうせ、39歳、天職《マッドサイエンティスト》――は眼鏡のブリッジを軽く持ち上げ、さっさと鎮まるように生徒たちへとアピールする。

 腐っても生徒たちは探索師を目指す卵たちである。探索師として有名な市丸先生の言うことに対し、反抗的な態度を取る者は一人もいなかった。


「えっとだなぁ……まぁ、目を通した方が早いか。委員長、これを配ってくれ」


「はい!」


 市丸先生の指示に、一番前の席で静かに待機していた女子生徒がはきはきと返事をし、先生からみんなへと配る用のプリントをもらい受けた。それをすぐに配っていく。テンジの手元にも届き、後ろの席の生徒へと手渡ししながらプリントの文章を目で追っていく。


(カリキュラムの変更?)


 見出しには「後期よりカリキュラムが変更になります」と大きく書かれていた。

 そのまま細かな内容を追っていくと、市丸先生が話を始めた。


「おーし、貰ってないやつはいないな? ということで急遽だがカリキュラムが変更となる。天職の獲得は通常『3年になるまで』とふわっとした決まりだったんだが、後期からは『2年に進級するまで』と変更になった」


「先生! なぜですか?」


 一人の生徒が手を挙げて、質問を投げかける。

 市丸先生は眼鏡のブリッジを上げ直し、その生徒へと視線を向けた。


「そりゃあ、御茶ノ水ダンジョンの等級が格上げになったからだろ。政府は一刻も早く戦力になる探索師が欲しくてたまらないんだよ。最近はめっきり天才と呼ばれる探索師は生まれてなかったからな、日本では。……あー、でも一人いたか。今じゃあ、どこに行ったのかもわからんが」


「御茶ノ水ダンジョンってことは……二等級以上の天職持ちを増やしたいってことですか?」


 現在の御茶ノ水ダンジョンの等級は、正式にWSAより『二等級ダンジョン』であると認定された。

 よって、例外を除くと四等級以下のライセンスを持つ探索師は、もう御茶ノ水ダンジョンには入ることすらできなくなってしまった。三等級以上の探索師しか、入場の申請が通らないのだ。

 しかし、現状ではその三級探索師の数が圧倒的に足りていなかった。


「その通りだ。とはいっても、学生で就ける天職なんてたかが知れてるからな。この高校の卒業生という資格を持っていれば、天職はいつでも削除できるからあんまり考えこむなよ? あとだ、それに伴って後期からは仮免を取得するためにダンジョンにも入ることになるから、夏休みの間に準備しておけ。そういうことだ」


「どんなものを準備すれば大丈夫ですか?」


「んなもん自分で考えろ。武器やらスーツやら色々とあるだろ。つーことで彼氏彼女で呆けるのもいいが、ダンジョンへの準備を怠るな。いいか?」


『はい!』


「はい、てことでホームルーム終わり! 夏休みを謳歌しろ! 思春期ども!」


 市丸先生の号令で、テンジたちは日本探索師高校での前期、つまり半年の学びを終えたのであった。一年生たちは思い思いに立ち上がり、友達に元へと駆け寄っていく。

 天職の話、買う武器の話、何等級のインナースーツを買うかの相談、などなど聞こえてくる相談はどれも探索師の卵たちらしい内容であった。


 再び、教室内が喧騒としていく。


 明日からは待ちに待った夏休みが始まる。

 彼らは自分たちの天職に思いを馳せ、未来の英雄としての姿を妄想する。

 かっこよくて、お金持ちで、誰もが尊敬する探索師。これが彼らの想像する探索師の像だ。そのためには何を準備すればいいのか、どんな行動を夏休みという貴重な期間を使ってするべきなのか。

 彼らは一人では考えずに、周囲の生徒たちと情報を交換し、話し合いながら決めていくのである。


 そんな中、一人のんびりと窓の外を見つめる生徒がいた。


(経験値があと120でようやくレベルが一つ上がりそうだな。一日平均で24の経験値を得られるから、単純計算であとちょうど5日くらいか。一体、どんな変化が起こるのか……楽しみだな)


 その生徒とは、閻魔の書を見つめるテンジのことであった。

 テンジは窓の外をぼーっと見つめる素振りをして、実は閻魔の書をずっと分析してたのだ。

 閻魔の書はどうやら他人からは一切見えていないようで、このようにどこかを見つめている素振りをして観察するような習慣がついていた。


 この一か月間、テンジは講義を聞きながら天職について色々と分析や試行を繰り返してきていた。その中で新たに判明したことがいくつかあった。

 その結果をまとめたスマホのメモ帳をテンジは開く。



・最初に契約した『小鬼くん』以外の地獄獣は消去することが可能。

・再召喚に5ポイントを消費することで『小鬼』を召喚できる。

・小鬼は超強い。(ただし腕相撲、対モンスター戦は不明)

・閻魔の書はどうやっても消えない。(燃えない、濡れない、不味い、破れない、など)

・閻魔の書は、テンジから一定距離以上は離れない。500mも離れると目の前にシュポンと現れる。

・閻魔の書は、他人が触れることも見ることも感じることもできない。故に閻魔の書の浮遊能力を使っての物理的な攻撃も不可。

・赤鬼リングは他人から見えず、テンジにしか見えていない。

・赤鬼刀はおそらく三等級か四等級相当の切れ味や耐久力を持つ。



(まぁ、大体こんなものかな。割と色々な検証をしてきたけど、まだ小鬼が戦う姿だけは見れていないんだよな)


 このような細々とした検証は一か月の間にいくつもできた。しかし、ダンジョンへの入場申請が下りない今、どうやっても小鬼とモンスターを戦わせてみることができなかったのだ。

 だから、テンジは腕相撲なんかをして色々と検証していたのだが、小鬼は恐ろしく力が強いことがわかった。明らかに手を抜かれているのに、テンジは小鬼の手首を一ミリも動かすことができなかったのである。

 ぽけーっと顔して、恐ろしい地獄獣だったのだ。


(あとは固有アビリティについての推測がたったことも収穫だな)


 今、固有アビリティはこのように表示されている。



 ――――――――――――――――

【固 有】 小物浮遊(Lv.5/10)

【経験値】 20/22

 ――――――――――――――――



 以前は「3/22」だったのが、今は「20/22」へと変わっている。

 この法則を模索していくうちに、経験値が1上昇するのに「12時間使い続けること」が条件なのだと知った。

 なんとなく市丸先生に「固有アビリティに上限があるって聞いたんですけど、本当ですか?」と質問してみた。すると、「本当だ」と答えがすんなりと返ってきたのだ。そのまま話を聞いてみると、どうやらアメリカの酔狂な研究者がとある法則を導き出したらしい。


 ――おおよそ2年間常に使い続けると、固有アビリティの使用感が上限に達する。


 こんな推測を立てていたのだ。

 とはいってもその推測は協会に認定されておらず、先生もあくまでそんな論文を見た覚えがある程度の話し方だった。

 そこでテンジは時間と経験値の法則を計測し、12時間という条件を導き出したのである。それからは常に閻魔の書に対し、固有アビリティを使用することで経験値を稼ぐ裏技を編み出していた。


 元々閻魔の書は意のままに浮遊させたり、宙を移動させたりできる不思議な物体だ。くるくると地球儀のように回ることもできるし、指先一つで思いのままなのである。

 他人からは見えていないということが好都合で、テンジは意味もなく閻魔の書に固有アビリティを使い続けていた。

 自分の固有アビリティにあまり意味を見いだせていないテンジではあるが、伸びるなら伸ばしたいと思っていた。いつか化けてくれることを信じての投資である。


「さて、帰ろうかな」


 ぽつぽつと生徒たちが帰り始めた頃、テンジは机の中にある教科書たちをバッグへと仕舞い始めた。

 テンジに友達がいないということはない。それでも荷物持ちとして入学当初から公休を幾度も取得していたため、心を開いて話せるような友達がいないのは事実であった。


 必然と、テンジはクラスでも浮いた存在として認識されていた。


 そんなテンジの横に、一人の生徒が近寄ってくる。

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