第12話

 


 モンスターの強さを判別するには、瞳の色を見ればいい。


 これは探索師にとって常識だ。

 五等級モンスターの瞳の色は『紫』、四等級は『青』、三等級は『緑』、二等級は『黄』、一等級は『赤』、そして零等級は『赤紫』。

 探索師がモンスターと一対一で戦う場合、同等級のモンスター1体と対峙するのが基本だ。もし同等級モンスターが二体以上いる場合、協会は逃げることを推奨している。


 自分の探索師等級よりも二等級以上高いモンスターが現れた場合、仲間の死を選んででも逃げ延びろ、これが協会の文言である。


「半一等級モンスターだと?」


 右城の現実を受け止めきれていないような声が、シンと静かになったこの場に響き渡る。


 その言葉の重みをここにいる誰もが理解していた。

 このレイドにいる中で、最高の探索師等級を持つのはチャリオットの正規メンバーたちである。

 五道は二等級天職を持ちながらも、探索師としての階級を三等級と下ぶらせている理由は、純粋な戦闘天職ではないからだ。

 要するに、この場にいる全員の探索師等級はモンスターの等級よりも二つは低い。

 もし協会の言葉を信じるならば、この場は犠牲を伴ってでも逃げ出すべきなのだ。


 しかしこの状況において、それができないのは誰もが明白に知っていた。


「ど、どうします? 正樹さん。逃げ場なんてどこにもないですよ」


「あぁ、知っているさ。どうしようもこうしようも……死ぬ覚悟決めて、戦うしかないだろ」


 リーダーの言葉に全員が従うしかない。

 それしか生きる道はないのだから。


「右城は嬢ちゃんと連携を組んで一撃入れろ。お前が一撃入れられないのなら、尻尾切りする他ないからな。気合入れていけ」


「……尻尾切りですか。分かりました、最高の一撃を決めます」


「それまでは全員がやつをかく乱するぞ。なに、人数はこっちが上手だ。半一等級なら難しいことじゃな――は?」


 五道はそう言いかけ、そこで言葉を止めた。

 いや、止める以外何をどうすればいいのか分からなかったのだ。



「グロォォォォォォォオ」



 半一等級の蜘蛛型モンスターの背後から、もう一体のモンスターが現れた。


 全てを吸い込んでしまいそうな漆黒の毛並みをゆらゆらと逆立て、蜘蛛型モンスターと引けを取らないほどには大きい牛並みの体格から三つの首が生えている。

 威嚇のような底冷えする鳴き声がグロォォと漏れ出し、口からは息でも吐くように黒い靄が湧きだしている。

 その口には人間など一噛みで瞬殺できそうなほどに大きな犬歯が二本生えており、その異質さを見るだけで鳥肌が止まらなくなってしまう。


 黒い毛並みの奥には、神々しいほどに赤く輝く二つの瞳があった。


 赤い瞳。

 それは正真正銘、一等級モンスターであることを意味していた。


「う、嘘だろ……まさか。いや、まさか……」


 誰かの狼狽える声が全員の耳に聞こえていた。

 そして、誰もがその言葉に頷く他なかったのだ。


「ブ、ブラックケロベロスだよな? あれ? お、おい!? だ、誰か答えてくれ!」


 その青年が答えを求めるように少し大きな声を出した。

 たったそれだけの行動が、ブラックケロベロスの癪に障った。


「グロォォォオッ!」


 ブラックケロベロスは自然な動作でただ口を大きく開いた。

 口内には、黒い靄が球体状に渦巻いており、それがその青年探索師――チャリオットの正規メンバーではない他所の四級探索師、魚田うおたけい――へと向けられた。


「ひっ!?」


 それが彼の最後の言葉だった。

 ブラックケロベロスの口の中を見てしまった瞬間、黒い球体から極細のレーザーが飛び出し、彼の脳天を針でも通すかのように貫通したのだ。

 気が付けば、彼の眉間には十円玉ほどの穴が開いていた。


 その様子を、他の探索師たちはただ見ているだけしかできなかった。

 息をすることも忘れ、瞬きすることも忘れ、自分が自分であることを忘れていた。

 ただただ目の前にいる敵からどう生き延びればいいのか、それだけを一心に考えていた。


 誰もがその場から一歩も動けずに、立ち尽くしていた。


 その時だった。


「グロォォォォッ!」


「キシャァァァァアッ!」


 モンスター同士が戦いを始めたのだ。

 ブラックケロベロスが先に噛みつこうとその場を跳躍し、それに対抗するべく蜘蛛型モンスターが四本の足を威嚇するように天へと掲げた。


 その一瞬を、五道が見逃すはずなかった。


「今だ! 逃げろっ! 何としても生き延びるんだ!」


 その言葉にはスキル『言語鼓舞』の効果が上乗せされており、ほぼ強制的に全員の硬直が溶けていた。

 全員が死に物狂いで血相を変え、怪物たちへと背を向け、先の見えない一本道へと駆けだした。


 この時、誰もが自分のことしか考えていなかった。

 周りを確認するほど、余裕のある者はいなかったのだ。


 そう、五道正樹でさえ自分のことで精いっぱいで、ただの荷物持ちを気にしている余裕などなかった。



「えっ?」



 テンジの素っ頓狂な声が響いた。

 テンジは五道の指示と共に血相変えて振り返り、自分の全速力で走り出した。


 しかし、すぐに学生たち三人はプロの探索師たちに追い抜かされていた。

 天職持ちと天職持ちではない場合、元の地力が天と地ほどの差になるからだ。


 最後尾は必然と、学生組三人となっていた。


 朝霧愛佳は、一番逃げ道に近かった場所で元荷物持ちとしてバッグを一つ持つよう五道に指示を受けていたために、後ろの二人を見ていなかった。

 いや、気にする余裕なんてこのとき誰もなかったのだ。


 本当の最後尾を走っていたのは、テンジと稲垣累。


 累は五道の指示でテンジの持ち分であったバッグを二つ背負っており、テンジは未だに糸が体に纏わりついており、上手く走れないでいた。

 それでも必死に逃げ走っていたのだ。


 その時、累がテンジへと激しくぶつかってきた。


 テンジは突然横からのタックルを受け、さらに糸が全身に絡まていたこともあり、自然と足が絡まり合い、一人転倒した。

 累はその様子を冷徹な瞳で見下ろしていた。


(すまない天城。叔父も言った通り、今は尻尾切りが必要なんだ)


 尻尾切り。

 それは探索師間で使われるスラングであり、「蜥蜴の尻尾切り」から引用された意味を持つ残酷な手段の一つだ。


 つまり――彼らが生き残るために、生贄が必要だったのだ。


 これはモンスターの習性を逆手に取った手段であり、意外と理にかなっている。

 モンスターが人間を襲う理由、それは人間を丸ごと喰らうことで自身を強化するためだという研究結果がアメリカの大学から発表されている。

 その信ぴょう性は非常に高く、もし逃げなければならない場面に陥った時、生きた人間を一人置き去りにすることで、モンスターは食事に時間を費やす行動を取る。

 生きた人間でなければならないのは、その方が強くなる効率がいいからだと言われている。


 だから、稲垣累はこのレイドの中で一番生贄にふさわしい人間を見繕い、生贄にすることを決めていた。

 それが累にとっては、天城典二、という荷物持ちの人間だった。


 食料だって残り少なく、戦えない人間に配給する分は無駄だ。

 それに固有アビリティでさえ役には立たず、荷物持ちなんて役割は誰にだってできる。

 それこそ自分にだって。


 累はそう考えた。


 結果、この場で生贄にするのは天城典二が妥当だと判断したのだ。

 心ではすまないと思いつつも、累は意外と冷徹な瞳でテンジを見下ろしていた。


 走りながら転倒した勢いで、テンジはごろごろとダンジョンの凹凸した地面を転がり、頭を強く打ち付けたところで止まった。


「えっ、ちょっと待――」


 何が起きたのか訳が分からず、テンジは慌てて地面に両手を着き、立ち上がろうとした。

 そこでテンジはようやく気が付いた。


(……今、僕は稲垣に転ばされた?)


 その事実に気が付き、テンジの脳はぐちゃぐちゃになっていた。

 まるで解けなくなった二本の糸の思考が複雑に絡み合い、自分でも何を考えているのか分からなってしまうほどに。


 それでも体は逃げようと、自然に立ち上がろうと片膝を上げた。


 しかし、時はすでに遅かった。


「グロォォォォォォオ」


 後頭部の薄皮一枚ほどの距離からやつの声が聞こえてきたのだ。

 テンジの体は恐怖のあまり、完全に硬直して動かなくなってしまった。

 意志では「動け動け動け動け動け」と何度も何度も自分の体に言い聞かせているのに、筋肉が強張り、足が地面から離れなくなってしまい、息をするのが怖くなっていた。


 死んでいた八人の探索師の顔が脳裏からこびりついて離れない。

 脳天を貫かれた、彼の最後の顔が忘れらない。


 次は自分の番だ、と知ってしまったのだ。


「グロォォォォォオ」


 ぴちゃり、ぴちゃりとブラックケロベロスの悠然と歩き始めた音だけがテンジの耳には聞こえていた。

 そして、テンジの視界の端……いや、すぐ真横にブラックケロベロスの顔があった。


 ブラックケロベロスはすぐ横からテンジの顔を覗き込み、餌を検分するかのように周囲を回り始めた。

 ぴちゃり、ぴちゃりと血の池を踏みしめる音が、無性に怖かった。

 この血は脳天を貫かれた彼の血だと分かっているのに、次は自分がこの血の池を作る番だと思うと寒気が止まらなかったのだ。


 そして――。


 ぴたり、とブラックケロベロスがテンジの正面で止まった。


「グロォォォォオッ!」


 大きくて真っ黒な口が大きく開き、腹など容易に貫通してしまいそうな二本の牙が剥き出しになる。


 それがテンジの脇腹へと噛み付いた。


「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

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