第4話ㅤ楽しい人生

(そういえば素ってなんだろう)


 「本当の自分」がよくわからないノノアントはそんな愚問を抱いた。

 小さい頃から一人で、自分の意思を伝えるということを自然と学んでこなかった。

 何を思っても何が欲しいと願っても心の内に閉じ込めて口にせずただ呆けていた。

 そうするしかなかったから。無駄に動けば体力を使うだけ、いつの日かその体力さえ無駄なものに思えてきたことは今でも覚えている。

 それで、誰かに貰った食べ物を誰かに与えた。

 誰なのかは覚えていない。食べ物も気づけば手元にあったというだけで誰かに貰ったという確証はない。けれど″動いていない自分の手元にあった″というところを考えると誰かに貰ったのだろう。

 哀れみか同情か、そんなものどうでも良かった。もう全てどうでも良かった。


 そんな自分が今でも生きているのは何故だろうか。

 何を意味しているのだろうか。

 神が生きろと告げているのか、それともただ意地悪をしてそれを見て楽しんでいるのか。

 ただ純粋に楽しい人生を歩んでほしいのか。

 だとしてももう遅い。″楽しい人生″などという道を選ぶ岐路からもすでに外れてしまっている。



 ユーリスから貰ったパンは彼の前で完食した。

 途中、欲しそうにしている犬にでもあげようかと思ったがやめておいた。

 またユーリスが、「ボクがあげたパン……」などと泣くのではないかと後々面倒になるのは嫌だったから。それに彼の泣く姿は見たくない。

 誰が男の泣く姿など見たいと思うものか。

 本当のところは、誰かに貰ったものを違う誰かにあげるのは失礼だと単純に思ったから。

 ノノアントが食べるパンを行儀よくお座りし欲しそうに見上げるアンバスに気づいてユーリスは、持っていた半分のパンではなくて袋から取り出した新品のパンをあげた。

 人間よりも犬のほうが優遇されている。と思ったノノアントだが、ユーリスはなぜだか半分のパンを大切そうに持っていた。


 一個丸々あげて残しはしないかと心配したが、アンバスは美味しそうに無味のパンを食べ続けた。

 彼の味覚は犬と同等か。

 でも食べているうちに美味しいと感じるようになったような気がしたのはユーリスには言っていない。

 麦は噛めば噛むほど旨味が出るのか。逆によく噛まなければ味の良さはわからない、そんな深い食べ物なのだろうか。



 それからは彼と話す機会はなかった。

 たびたび廊下で妹に付き添う″妹の騎士″としてのユーリスに会うくらい。

 その視線は、話したい、と言葉通りもの言いたげだった。もちろん気づかないフリをしてさっと視線を外す。その行為を繰り返した。

 少し心の中の余地を見せれば入ってくる、そんなやつだ。わかっているからこそそんな余地は見せない。

 なぜ彼をこんなにも敬遠しているのか。

 別に理由はない。他の者にも、大切なものになろうとしてくる者たちにもしてきたことだ。

 小さい頃の唯一の友達だったとしても、特別扱いする気はない。


 大切なものなんていらない。

 どうせなくなってしまうなら、最初からそんなものいらない。

 悲しい思いをするなら、その元凶をつくらなければいい。

 どうしてわざわざ心を砕く元凶をつくらなければならない? どうしてわざわざ悲しむであろう選択をする?


 人は馬鹿で哀れで無惨にも悲しい。


 そうではない人間もいるのだろう。

 例えば彼、ユーリスとか。

 生きている、それだけで幸せそうだ。

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