第8話 H

 2人死亡


 7月13日 PM7:09

 相馬達也と杉谷聖子は覆面パトカーの中でエッチをしていた。

 聖子が助手席、達也が運転席だ。

 達也のペ○スをレロレロと聖子は舐めていた。

「かっ、課長……アウッ、ソコは……」

「固くなってるのね?」

 聖子は達也のものをしごいた。

「そろそろ挿れて?アソコがジンジンしてる」 

 達也はゴムをつけてゆっくり、聖子の奥に進めた。

「グゥッ……」

「アッ……ハァッ!」

 ピストン運動をしてる最中に達也のスマホが鳴った。 

「なんだよ?こんなときに」

 達也は聖子と繋がったままスマホに出た。 

《警部補、俺です。郡司です》 

 郡司元太、今年の4月に騎士沢署刑事課に配属された新人だ。階級は達也の1階級下の巡査部長だ。

「どうした?」

《コロシです!》


 同日PM6:59、騎士沢駅近くの住宅街にて、銀行員の根室六郎が心肺停止の状態で乗用車の横で倒れているところを通報され、病院へ搬送されたものの死亡が確認された。


 この日、PM6:50頃に根室は会社から自宅に戻って来た。駐車場に車を停め降りたところを、待ち伏せていた犯人に撃たれたとみられる。犯行に使われたのは小型の25口径の自動式拳銃で、至近距離から4発の銃弾が撃たれ、そのすべてが急所に命中していた。

 

 翌日、現場近隣の小学校12校では、教師や保護者の同伴による集団下校が実施された。また、騎士沢市内や一部の市町村の学校でも、怪しい人物に注意する旨の文面が配布された。


 同年7月16日には根室の自宅で通夜が行われ、遺族や会社関係者など約30人が集まり、冥福を祈った。


 同年8月1日、犯人が逃走にバイクを使用した可能性が強まったほか、捜査本部などへの情報提供は300件を超えたが、犯人に結びつく有力情報は得られていない。


 8月10日、事件現場の近くで発見された遺留品から検出されたDNA型が九州の暴力団権藤会の組員、残摩丈一郎のものと一致したため、警察は九州方面を集中捜査することにした。達也と聖子も九州に向かうこととなった。


 8月11日PM11時、聖子たちは鹿児島空港にいた。

 鹿児島県は主に本土と呼ばれる九州島の部分(薩摩・大隅地方)と離島と呼ばれる薩南諸島(種子島・屋久島地方と奄美地方)に分かれる。天気予報の予報区分では鹿児島地方気象台が薩摩・大隅・種子島・屋久島地方、名瀬測候所が奄美地方、に分かれている。


 本土は、霧島山を除けば大部分はシラス台地の地質からなっており、水はけがよく非常に脆い。また、低地や平野が極端に少ないために、県内のほとんどの市町は周囲が山に囲まれている。それ故に各市町は本土の各地に点々と散らばっている。


 島数は605個あり、薩南諸島は種子島、屋久島を含む大隅諸島、トカラ列島、奄美群島からなる。最北端は獅子島、最南端は与論島で、また有人島最大は奄美大島、有人島最小は新島である。


 南北の距離は600km、海岸線は2,722kmに及ぶ。本土・島嶼部を合わせた県域全体の面積は 9,187 km2 であり、全国の都道府県中10位、西日本では最大。


 古くから活火山として知られる桜島をはじめ、噴火活動の頻度の高い火山が多くある。温泉の数も多く、泉源数は約2,730で、大分県に次いで全国2位で、県内の入浴施設のほとんどが温泉である。


 聖子たちは、鹿児島県警の逗子善吉って本部長に案内されて県警にやって来た。

 逗子は丸々とした体型のイガグリ頭だ。

「鹿児島市は鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、『東洋のナポリ』と称されています」

 逗子は九州弁ではなく標準語で喋った。

 応接室の窓からは桜島が見渡せた。

『西郷どん』や『篤姫』などの大河ドラマを聖子は思い出していた。蝉がジリジリ鳴いている。

 逗子から権藤会の詳細を教えてもらった。

 主に九州に勢力を有する博徒・的屋の連合組織である。歴代の権藤一家総長を重んじる組織である。

 2005年(平成17年)4月、雑司ヶ谷大輔は総裁の地味伝助の指名により権藤一家七代目を継承した。これに際し盃直しは行われなかった。またこれまで傘下のほとんどの団体の名称は「権藤会○○一家」であったが「権藤会権藤一家○○」と改めた。


 2014年(平成26年)4月、雑司ヶ谷大輔が会長職を退き、権藤会会長代行で権藤一家共和六代目・土肥萬太郎が会長に就いた。また、これまで一部を除いた傘下組織の名称を「権藤一家○○」としてきたが、権藤一家を外し旧来の家名とすることが決定された。  

 2015年3月および10月に直系組織の代目承継を実施した。

 2017年(平成29年)9月、地味伝助が死去。

 

 聖子たちは逗子の案内で桜島に向かった。

 24時間運航の桜島フェリーで行き来できる。以前は大正溶岩の跡と展望台ぐらいしかスポットが無かったが、近年は桜島港の横の「桜島レインボービーチ(人工海岸)」や「恐竜公園」ができ、家族連れでも楽しめるようになった。また2006年3月には赤水採石場跡地(長渕桜島コンサート跡地)に『叫びの肖像』も完成、長渕剛のファンを含め、音楽を愛する若者達の来訪も増えている。国立公園内のため周辺の景観に配慮した桜島限定の溶岩色をしたローソンやファミリーマートもある。

 聖子はファミマでファミチキとコーラのペットボトルを買って店先でおやつを食べた。

「課長は長渕聴きますか?」と、達也。

「ええ、『ひまわり』はいいわよね?」

 『ボディーガード』ってアクション映画の主題歌で、長渕が主演で出てた。聖子がまだ中学生の頃にやってたドラマだ。


 桜島を訪れる観光客は年間200万人とされる。火口から3.5kmにある「湯之平展望台」が自家用車で登れる火口に最も近い展望スポットである。かつては「湯之平展望台」から更に山頂方面に登った「引之平展望台」(火口から2kmの距離、標高563m)まで観光道路で登ることができた。しかし昭和35年に大きな噴石が飛来するようになり危険が増したために「引之平展望台」への車道が閉鎖され、現在は徒歩でのみ「引之平展望台」に行くことが出来る(火山警報にもよる)。「引之平展望台」から先は常時立ち入り禁止(南岳から半径2km)であるが引之平山頂には登山することは可能である。その他の観光スポットとしては溶岩原を望む「有村溶岩展望所」や「黒神ビュースポット」が知られる。また島内の野尻町には火山活動に関する資料を集めた「桜島国際火山砂防センター」が開設されている。


 鹿児島湾を挟んで北東対岸の霧島市福山町には「惣陣が丘展望所」(標高483m)がある。冬季に夕日が桜島の稜線に沈む瞬間が、宝石にたとえて「ダイヤモンド桜島」と呼ばれている。


 桜島は、大隅半島側の垂水市や霧島市との間には路線バスが運行されている。鹿児島市でありながら鹿児島市中心部とは海で隔てられているため、2000年頃に桜島大橋(仮称)が計画された。しかしながら、着工等の日取り等全く未定であり、頓挫している状態であったが、2010年に鹿児島県が「錦江湾(鹿児島湾)横断交通ネットワーク」についての基礎調査結果を発表し、「鹿児島 - 桜島」を中心に調査を進める予定である。

「今夜は霧島温泉に宿を手配しておきました。ごゆるりとしてください」と、逗子。


 宿についたときには午後6時を回っていた。霧島市は薩摩地方と大隅地方、また宮崎県を結ぶ交通の要所で国道・鉄道などの交通手段が発達し、古くから鹿児島県内有数の都市として発展してきた。また、鹿児島空港の開港、九州自動車道の開通による地理的な条件を生かし、国分隼人テクノポリスの指定を受けて、ソニーや京セラなどのハイテク産業が発展した。


 一方で日本百名山の霧島山や、鹿児島神宮の初午祭、霧島温泉郷や日当山温泉、妙見温泉などの温泉で知られる観光地でもある。民謡・鹿児島おはら節の歌詞にある「花は霧島 煙草は国分」の「霧島」とは当地が原産地とされるキリシマツツジ、「国分」とは合併前の国分市を中心に栽培されてきた葉タバコの銘柄である。2010年9月に霧島ジオパークが日本ジオパークに認定された。


 宿の女将は「コロナのせいで客足が遠のいていました。アナタたちはまさに救世主です」と涙を流して喜んでいた。

 聖子たちは温泉街を歩いた。

 霧島連峰の南中腹に広がる温泉地で、温泉市場を中心に10数軒の宿泊施設が点在する。湯量は非常に多く、至る所で湯煙を巻き上げる。ホテルは大規模なものが多く、様々な設備を整えたリゾートスパが主流。一方で、湯治向けの小さな宿も点在する。霧島観光の拠点として重宝され、スナックや土産物屋などもあり夜の街も発達、歓楽要素も持っている。

 温泉街の土産物屋の店頭には、足湯を備えた店もある。

 浴衣姿の聖子に、達也のアソコは固くなった。


 翌朝、残摩丈一郎の他殺体が西郷公園で発見された。

 現場は鹿児島空港より国道504号を挟んで真向かいにある。京都に建立される予定であった西郷隆盛像を有志が当地へ誘致したことに伴い、1988年に一帯を公園として整備した。

 入口は薩摩藩別邸をイメージしており、園内には西郷の遺品や西南戦争を題材とする53点の錦絵の展示施設や土産物屋が併設されている。

 北海道のテレビ番組である『水曜どうでしょう』の『対決列島』の最終対決の舞台になったことでも知られている。

「大泉洋、『ハケンの品格』に出てるわよね?」と、聖子。

「課長、こんなときに呑気過ぎますよ?」 

 達也は呆れていた。

 残摩は西郷どんの像の真下に仰向けに倒れていた。

「残摩も操り人形に過ぎなかった?」

 聖子が合掌する。

 残摩は血の海に横たわっていた。司法解剖の結果、鋭利な刃物で3箇所も刺されていたことが明らかになった。

 犯人は腹などに手加減なく刺したようね?3箇所の傷はどれも深い。動脈を切断したことなどが致命傷になり、残摩は即死状態であ殺意があった。犯人は権藤会の人間じゃない?

 聖子は、薄暗い給湯室で達也に尻を撫で回されながら推理した。

「課長、僕のこと真剣に考えてもらえません」

「誰がアンタなんか青二才……」

「クソ野郎……」

 達也は呻くように怒った。

 

 備前文吾は息子の遺影を眺めていた。

「勉三、敵は討ったからな?」

 息子は権藤会と、四国の坊城組との抗争に巻き込まれて死んだ。勉三はカタギだった。鹿児島一の繁華街、天文館にてキャバクラのボーイをしていたのだが、5年前の8月4日の深夜、息抜きをしていた権藤会を坊城組が銃で襲撃!勉三は流れ弾で死んだ。残摩は実行犯の1人だった。

 文吾は文具屋を営んでいたが経営難の為に、八角銀行から融資を受けていた。根室は融資担当だが、融資を断られた。

 2人とも死んで当然の人間だ。

 鹿児島空港に行く為には鹿児島中央駅からバスで約40分。こんなところでくたばってたまるか!!

 


 

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