第7話
エドワードの怪我から数日が経ち、屋敷内で発生していた熱気も少し収まりつつあった。
私はようやく落ち着いて過ごせると安堵の深い息を吐く。
誰が見ても酷い怪我を負ったエドワードが、アベルの渡した薬の効果でその日から問題なく動けるようになったのだ。
この薬はなんなのか、何処から来たのか、と言うのがしばらくの間の屋敷の中の話題だった。
アベルとカリナは何も言わなかったけれど、その場に居た私に期待の目を向けられるのは、ごく自然のことだと言える。
幸いなことに、と言っていいのか分からないけれど、アベルが私のことを自身の最重要な客だと言っていたおかげで、直接聞きに来るような人は居なかった。
それでも私が持ち込んだ薬だとか、中には私が作ったのだとか言う人もいた。
間違っていないので強く否定するようなことをアベルもカリナもしなかったけれど、やんわりと詮索するような真似はするなとたしなめていたらしい。
おかげで内心はどうなのかは分からないものの、屋敷内で大っぴらに薬の噂をする人は居なくなったようだ。
そんな話を今日アベルから聞いた。
「ところで……あの薬なんだけど、量産することは可能なのかな? あ、いや。月に一、二本でも十分だけど」
「えーっと、それは……返答は少し待ってもらえる?」
「ああ! 無理にとは言わないんだ。おそらくあれにはカリナが渡した素材以外の素材も必要なんだろう? それをこちらで用意する準備もあるけど、それ自体を教える気もないというのも理解出来る」
「あ、えーっと。うん。そうだね」
アベルは私の機嫌を損ねないようにしたいのか、少し大袈裟な身振りを見せる。
恐らくこれからもあの薬をどうにか扱いたいという商魂によるものだろう。
こちらの国の物価はまったく分からないけれど、アベルが前に作った薬を全て買い取りたいと提示した金額は、村に住んでる間には聞いたことも無いようなものだった。
それだけ、高額でもすぐに売り手が見つかると考えたのだろう。
私についてはどう思っているか分からない。
本心かどうかまだ分からないけれど、どうやら何か『特別な素材』があの薬に入っていて、それがあの効果をもたらしていると思っているようだ。
「そういえば両親のことは何かわかったのかい?」
「あ、それが!」
薬のことからいったん話を変えようと思ったのか、突然私の両親の話題が変わる。
それについてはどう答えるか既に決めているので、予行練習した通りに答える。
「実は、残念なことに既に亡くなっているということが分かったの。だから……国に戻ろうと思って」
「そうか……それは本当に残念だね」
これでここを出てどこかでひっそりと暮らそう。
国に戻ると言うのはもちろん嘘だけれど、離れておけばバレることもないだろう。
「国には他に誰か待つ人がいるのかな?」
「え?」
思いもよらぬ返しに私は素の声を出してしまう。
そして思わず首を振る。
村には知り合いが沢山いるけれど、追放された私が彼らに会うことはもう不可能だ。
それ以外に身寄りのある人なんていない。
「じゃあさ。もし良ければ、もう少しここに滞在しないか? 今度向こうの国に買い付けに行く用事があるんだ。俺が入れるのは国境のアーズだけだけど、そこまで送ってあげられるよ」
「え?」
もう一度間抜けな声を出してしまう。
正直なところ困った提案だった。
国に帰ると言うのは嘘だから、送ってもらうのはまずい。
かと言って一人で向かう、となるとその理由が必要だ。
「いえ。それは大丈夫。申し訳ないし」
気の利いたことも思いつかないのでダメ元で言ってみる。
そして返ってきたのは案の定の言葉だった。
「そんなことないさ! なんならずっとここにいて欲しいくらいだからね。って、あ、いや。今のは言葉のあやで……」
「じゃあ、申し訳ないけど、もう少しだけお世話になるかな。送ってもらうかどうかはまた今度で……」
どうすればいいか迷って提案への回答を先延ばしにした返答に、アベルは嬉しそうな顔をした。
これは邪推かもしれないけれど、恐らく薬を私がまた作ることを期待しているのだろう。
商人なのだから仕方の無いことだけれど、もう少し欲に対する感情は抑えられるようになった方がいいと思う。
こんなに素直に笑顔を作ってはダメだと、私ですら分かる。
「それじゃあ、まだしばらく居てよ! この部屋は好きに使ってくれて構わないから。あと、何か必要な物があったら、どんなものでも遠慮なくカリナに言ってくれ」
「うん。分かった」
それだけ言うとアベルは陽気な足取りで部屋を出ていった。
それを見送った私は一度おおきなため息をつく。
「もう。エリスは嘘が下手なんだから。どーすんのさ?」
「そんなこと言ったって! でも、やり手の商人なのだから、もう少し本心は隠した方がいいわよね。薬がそんなに欲しいのかしら」
「え!? あー。まぁいいか。エリスは鈍感だからね」
「なに? どういう意味?」
エアが何か私をバカにしているのは分かったので、口をすぼめる。
それに対してエアは両方の羽の付け根を、器用に少しだけ上げただけだった。
☆
「なにか御用でしょうか?」
「うん! カリナに聞きたいことがあるんだけれど」
翌日、昼を過ぎた辺りで私はカリナを呼び出した。
ある目的のためだ。
「この近くで甘いお菓子を食べられる場所を知らない?」
「甘い……お菓子でございますか?」
私は強く首を下に一度振る。
実は私は三度のご飯も大好きだけれど、更に甘いものが大好物なのだ。
村で取れる甘い蜜を含んだ果物や、煮詰めると甘い汁が取れる草などで毎日のようにお菓子を作っては食べていた。
だけど、王都に行ってさらにここに来てからは、たまに出てくる食後の甘味以外、何も食べていない。
そろそろ私の甘味袋の緒が切れそうなのだ。
「そうですね……もしよろしければ、少々歩きますが、この近くにわたくしのおすすめの甘味処がございますので、そちらにご案内差し上げますが」
「え!? 行く行く! どこだって行っちゃうよ!」
「かしこまりました。外出する旨、申し伝えて参りますので、少々お待ちいただけますか? すぐに戻りますので」
「うん! 楽しみ!!」
程なくしてカリナが戻ってきた。
外出するためか、普段腰に巻いているエプロンが外されていた。
「それでは参りましょう。少し見た目は驚かれるかもしれませんが、味は保証いたしますので」
「うん!」
屋敷を出てしばらく歩いた後、カリナのおすすめの店にたどり着いた。
店の中に入り、カリナは私の代わりに注文をしてくれた。
その間に店内を見渡す。
こんな店は村になかったから見るもの全てが興味深い。
「あちらのテーブルにお座り下さい。支払いは済ませてありますので」
「え!? 悪いよ! 私もアベルから薬の代金としてもらったお金があるんだし」
しかしカリナは固辞した。
私に払わせるとアベルに怒られてしまうのだとか。
仕方なく私は指定された椅子に座り、カリナが運んでくれるのを待っていた。
やがてカリナが持ってきたものは、カップに入ったドロリとした黒い液体と、小さなお皿に乗った、それまた小さな丸く黒い物体だった。
「こちらはショコラ、というものでございます。カップの中は熱くなっていますので、お気を付けてお飲みください」
「えーっと、これ本当に……甘いの?」
念願の甘味を期待していた私は、かなり戸惑っていた。
だけどいい意味で、私の期待は大きく裏切られることとなる。
そしてこれがきっかけで、カリナとの距離が大きく近付くこととなるのだった。
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