第142話 夜の森

 体を小さく揺り動かされているような気がして、ポピルは目を開けた。


 どうやら時間は夜らしい。暗い天井をしばらく見つめながら意識の覚醒を待つこと数分、ポピルは自分の見つめているのが宿泊室の壁ではなく布地だということに気が付いた。さきほどからずっと自分を揺り動かしているのは動く馬車の振動だ。


 ポピルはむくりと上体を起こした。額に当てられていた布が太ももに落ちる。


「目が覚めたか」


 正面から声を掛けられてポピルが視線を向ける。数メートル先でツアムが歩きながらこちらを見つめていた。やはり時間は夜だ。ツアムの背後には瞬く星と、月に照らされた木々が見える。どうやら自分はほろ馬車の中で横たわっていたようだ。


姐御あねご…俺はどれぐらい眠っていたんだ?」


「丸一日と少し」


 ツアムが短く答える。


「馬車で移動しているのか? ここは…どこだ?」


「タズーロから出た先の森の中だ。直に野営する場所を見つけるから詳しいことは止まってから話そう。今は安全だ。もう少し横になっているといい」


 優しい口調でそう言われたので、ポピルはツアムの言葉を信じて再び馬車の中で寝そべった。


 十五分ほどして、馬車は止まった。ポピルがツアムの手を借りながらほろ馬車から降りると、ナナト、スキーネの姿を見つける。どうやらここは道から外れた森の中らしい。開けた場所でナナトたちが小さいテントを設営していた。


「ポピル! 具合はどう?」


 起き上がってきたポピルを見つけたナナトが駆け寄ってきた。


「まだ夢の中にいるようで地に足が付かない…ナナト、ここは一体…」


「とにかく座って」


 ナナトは組み立て式の木椅子を用意し、ポピルをそこへ座らせた。そしてすぐにほろ馬車の中から水と大豆クッキーを持ってきてポピルの前に置く。


「戻ってきたようだ」


 ツアムが顔を上げて森の中を見た。ツアムの視線の先からルッカが現れる。


「どうだ?」


「尾行者はいません。少なくとも一時間で追いつける範囲では」


「そうか。ありがとう。念のため今夜は火を焚かず、明日の朝は日の出と共に先へ進もう」


「はい」


 ルッカは疲れた様子も見せずに頷いた。


 タズーロを出発後、ルッカは一人、あえて隠れながらツアムたちよりずっと後方を歩いてついてきた。もしダーチャの息のかかった者が追いかけてきても、ツアムたちと挟み撃ちにできれば戦闘がかなり有利になる、とツアムが考えたからだ。


 ナナトたちは月と星明かりの下で円を作るように座った。水筒に入っていた水を飲みほしたポピルが一息ついて四人を見つめる。


「だいぶ頭が冴えてきた。話してくれ。俺が寝ている間に何があったんだ?」


 ナナトとスキーネ、それにルッカが不安げな表情でツアムを見た。ツアムが静かに口を開く。


「ポピル…落ち着いて聞いてほしい。お前にとっては辛いことになる話だ」


「…言ってくれ」


「アトラマスでベネアードと軍が戦争していることは知っているな? 今朝、タズーロの街で号外があった。それによればドルツェガイム城がベネアード一派に落とされ、リシカルフ国王と家族は奴らの手に落ちたらしい」


 ナナトは改めてツアムからの説明を聞き、事態の重大さを認識し直した。


 ツアムによると、ドルツェガイム城とはアトラマスの首都にある国王が住んでいる城のことで、そこがベネアードに落とされたということは、つまり国の首都が陥落したことを意味するらしい。


 城だけが敵の手に落ちただけならまだよかった。国王さえ健在なら一時的にどこか場所を移して首都奪還に向けた軍事作戦の指示が出せるからだ。だが国王は逃げる途中で家族と共に敵に捕まった。西の国アトラマスは十代続く王制で統べている。国の首都と、国のトップの人間がなくなればそれはもはや国家として体を成さない。ツアムが言ったように、事実上、アトラマスという国は崩壊したのだ。

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