第116話 宿屋

 ルッカは部屋の窓際の椅子に座り、なんともなく空を見上げていた。いつ雨が降り出してもおかしくない空模様となっている。部屋の扉が開いた音がしたので、ルッカは安心して笑顔を向けた。


「おかえりなさいませ、スキー…」


 帰ってきたのはツアムだった。換金を終え、大金の入った大きな麻袋を二つ手に持っている。


「あたしだ。スキーネはまだ帰っていないのか?」


「はい…」


 ルッカの表情に影が差した。ツアムがベッドの傍に麻袋を置く。


「保安署の対応はどうでしたか?」


「時間の無駄だった。担当の保安官にディーノと出会ってからの経緯を十分かけて説明したんだが、そのあと二十分かけて口説かれたよ。一応、スラムへ保安官を派遣して仲間を助けてくれたらデートすると色目まで使ってみたが、あの態度では当てにできないな。それよりも…」


 ツアムはルッカの顔と、窓から覗く空を交互に見て言った。

 

「スキーネが出て行ってからじきに一時間は経つな?」


「はい。さすがに遅すぎます……まさか!」


「いや、加勢はあり得ない」


 ツアムが冷静に言った。


「スキーネの銃弾の予備は全部この部屋にある。ナナトとポピルが使う弾は七ミリでスキーネの銃は四ミリ。先に出発したナナトたちから弾を融通してもらうことはできないし、スキーネが持っている所持金じゃ途中で十分な弾を買うこともできない。いくらスキーネでも充分な弾もなく凶悪とわかっている犯罪者と戦う真似はしないだろう」


「だとしたら、何か事件に巻き込まれたんじゃ…」


 ルッカとツアムの視線が交錯した。


「私、街に出て探してきます」


「待て。あたしも行く。弾の準備をするから今のうちに書き置きを残してくれ。あたしたちと入れ違いになったときのために部屋に待機しておくよう書くんだ」


 ルッカは了解して、素早く部屋に備え付けられていた紙にペンで走り書きをする。


 二分後、ツアムとルッカはもしものときのために十分な弾丸と防弾ケープを持ち、部屋を後にした。宿を出ると、往来する大勢の人の前で立ち止まり、ルッカが困った表情でツアムに尋ねる。


「どこを探しましょうか…行先に見当をつけないと街は広すぎます」


「そうだな。まずは保安署に行って情報がないか聞き、場合によっては捜索願を…」


 ツアムが言葉を切り、目の前を注視した。


 高級感溢れる黒の漆喰。細部まで緻密な装飾が施された形状。車輪には、つい最近ぬかるみにでもはまったのか泥の跡がついている。


 貴族御用達である箱型四輪馬車が、ツアムたちのすぐ前を横切った。

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