第67話 デシラ

 作業着を着たキツネの獣人とライフル背負った少年が手をつないだまま人通りの中を駆けていく。


 露店を開けだした商人や曲芸の準備に取り掛かろうとする大道芸人の一団の前を通り過ぎていくなかで、ナナトは周囲の人から自分たちに向けられる視線を感じ取った。前を走るクインリーに聞きたいことはたくさんあるが、ひとまず一番聞きたいのは行先だ。


「どこへ行くの?」


「こっちよ。いいから付いてきて」


 素っ気ない返事が来たのでナナトはこれ以上質問するのをやめ、ただクインリーの後をひた走る。細かい路地に入り、何度かの角を曲がったあと、やがてクインリーはある建物の前に到着した。


 辺りが暗くなっていたこともあり、何に関する建物なのかナナトにはわからなかったが、クインリーはその建物の裏口と思われる扉へと前へと立つと、そっと木製のドアを開けた。


「さ、中へ入って」


 ナナトは言われるままに中へと入る。

 中には灯かりがなく、大通りから露店の明かりが月光のように差し込まれるだけで、何やら荷物が置かれてあるぐらいしかわからない。クインリーは走るのをやめると、ナナトの手を引っ張ったままスタスタと歩を進めた。と、ナナトは何かに足をぶつけ、ぶつかったその何かが倒れる音が室内に響く。


「あら? ごめんなさい。ヒトの目だから何があるのか見えないのね?」


 クインリーはようやく立ち止まってナナトの手を離すと、自分が背負っている荷物を床に置いた。


「痛くなかった?」


「足は大丈夫。それより僕、今なにか倒しちゃったんだけど」


「ああ、それは心配しないで。立てかけてあった木材が倒れただけだから。ここは大工の職人が資材を置いておく倉庫なの。この時間帯ならもう誰もいないから安心して」


 ナナトは周囲を見回した。室内の様子はまだぼんやりと輪郭しかわからないが、暗闇に目が慣れればそのうち見えてくるはずだ。クインリーにいろいろ尋ねようと思ったが、先に口を開いたのは彼女だった。


「ねえ、どうして私の変装がバレたの?」


「え?」


「背の高さ? 歩き方? それともフードの下から毛が見えた? 内装作業者の姿を借りて劇場から抜け出したのに、見破って私の後をついてきたんでしょ? ね、何が原因?」


「匂いだよ」


 ナナトが説明した。


「劇場の廊下で作業者の一団とすれ違ったとき、微かに白檀びゃくだんの香りがしたんだ。あれはステージの上で焚かれていたでしょ? 演劇関係者以外は劇場ホールに入れないってバエントさんが言っていたのに、作業者に匂いが付いているのはおかしいと思って後をつけたんだ」


「じゃあ、私が変装して作業者たちに紛れ込んでいたとは気付かなったのね?」


「うん。さっきの空き地でクインリーさんの姿を見たときは驚いたよ」


「なあんだ。良かった」


 クインリーは安堵した様子で資材に腰かけた。不思議に思ってナナトが尋ねる。


「良かった?」


「私、変装技術にはかなり自信を持ってるの。今回だってボロを出したつもりはなかったから、見破られたとしたら演者としてショックだったわ」


「そういうこと。でも、どうして劇場から抜け出したの?」


「そうね。一から説明するわ。どうせ日が落ちるまでもう少しあるし。こっち来て隣に座って」


 ナナトは判然としない暗闇の中をゆっくりと進むと、クインリーが腰かけている資材に座る前に、座ろうとする場所を手で触って確かめた。


「大丈夫。木が積んであるだけで崩れはしないわ、さ」


 ナナトの不安を見透かしてクインリーが請け負ったので、ナナトは銃を下ろして隣に座った。クインリーが一つ深呼吸して喋り始める。


「私には、小さい頃から同じ劇団で友人がいたの。名前はデシラ。リスの獣人よ。私たちは二人とも親から劇団に引き取られた仲だった。この街はね。劇団や雑技団が年中、子供を募集しているのよ。子役や、子供の軽い体重を活かした曲芸を教え込むために。もちろん全員が全員受かるわけじゃない。他の子と比べて外見がいいとか、運動神経がいいとか特徴がないと振るい落とされるわ。私は劇団の公募に受かり、一年後にデシラも受かった」


 ナナトが悲しそうな表情を見せたので、クインリーは笑いながらかぶりを振った。


「勘違いしないで。私たちは別に親から劇団に無理矢理売り飛ばされたわけじゃないから。ただ経済的に育てるのが難しかったんで、駄目元で劇団に応募してみたら受かったというだけなの。うまくいけば役者として出世できるしね。子供を奴隷として売り払う家庭も珍しくないことを考えれば私は幸運だったほうよ。今も親とは手紙でやり取りをしてる」


 ナナトはほっと胸を撫で下ろした。


「それでも最初は私も親から捨てられたと思い込んで悲しかったわ。もう次は絶対に捨てられたくないと思ったからいろんな大人に愛想を振りまいた。特にカッシュに懐こうと必死だったのを覚えてる。ほら、昨日私の部屋に昼食を届けにきた熊の獣人。でもやっぱり夜になると寂しくてね。すっかり心が弱って荒み切っていたとき、デシラと出会った」


「キツネとリスの獣人だけど、私たちはすぐに仲良くなった。一緒に演技を勉強したり、買い物行ったり、悪戯して叱られたり。一番嬉しかったのは、私が役者として有名になっても友達として態度が変わらなかったことよ。舞台が評判になって段々と劇場が大きくなっていくと、私の周りにいた人はだいたい二つのパターンに分かれていったの。私を演劇の神様かなにかと過大に評価してよそよそしくなるか、稼ぎと名声のおこぼれに預かりたいと調子のいいことしか言わなくなるか。わかるのよ、私、そういう人。普段自分が演技してるから。でもデシラは違った。子供の頃から何も変わらず笑いかけてくるし、しょっちゅう、くだらない喧嘩もしかけてきた。彼女、食い意地が張っていてね。よく私に届けられたファンからの差し入れをつまみ食いして喧嘩になったの。でも、面と向かって悪口を言い合っても、決して陰口は叩かなかった。お互いね。そんな友達って実は貴重なのよ」


「半年前だった。急にデシラが帰郷するって言い出して姿を消したの。彼女が演じる舞台劇の公演日も決まっていたんだけど、引き継ぎも何もかも放り出して本当に突然だった。一週間ぐらいして手紙が来たわ。お父様が亡くなったから式を挙げなきゃいけないって。私はお悔やみの言葉と、いつでも待ってるから心が落ち着くまで家族と過ごしてと書いて返信した。それでも二、三週間もすれば帰ってくるだろうと思っていたわ。だって彼女の仕事はここにあるし、役者として演技するのが大好きだったから。でも二か月経っても帰ってこなかった。喪に服すにしたって長すぎるでしょ? 私は何度か手紙で近況を尋ねたんだけど、デシラからの返事はどれも要領を得ない内容だったの。母が憔悴しきって側に居てあげないといけないとか、ご近所が土砂崩れに遭ってその復興のために働いているとか。まるで劇場に戻りたくないから様々な言い訳を思いついて書いているように感じたわ。私は日に日に心配になっていった。そんなあるとき、私のファンの中でデシラと同郷の人と偶然出会えたから、彼女のことを聞いてみたの。その人はデシラの家族と顔見知り、というよりデシラ家の伝手を使って劇を観に来てたんだけど、その人が言うには…」


 クインリーはナナトの顔を見て、言った。


「デシラのお父様はご存命だったの。彼女、嘘をついたのよ」

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