第49話 猪鍋

 上天気が続いたものの、シウスブルまでは結構な距離があったため、今夜は野宿をすることになった。狩りを買って出たのはスキーネとポピルだ。ルッカも護衛という名目でスキーネに付いていくので三人は日が暮れる前に森の中へと入り、夕餉ゆうげのメインディッシュとなる新鮮な肉を求めて猟を行う。


 その間、ツアムとナナトは野営の準備やファヌーの餌やりなどをこなし、森の方角から十数発の銃声を聞いてから、満足そうな表情で猪を引きずってきたポピルたちを迎えた。


「見てくれ姐御あねご! 俺が仕留めた立派な髭猪ひげいのししだ! 若いからきっと肉も柔らかいぞ!」


 そう言って自慢げに見せてきた猪は、五人が食べるには十分すぎるほど大きさをした成体である。ツアムはタープを張ったその下に、折り畳み式の木製テーブルとイスを用意し、そのうちの一脚に座って編み物をしている最中だった。


「ご苦労さんと言いたいところだが、一頭仕留めるのに何発使ったんだ?」


「俺が十発。スキーネ嬢が二発だ。とどめは俺が刺したぞ」


「撃ちすぎだ。次からは半分以下の弾数に抑えてくれ」


「まあまあいいじゃない。明るいうちに食料を確保できたんだし」


 スキーネが機嫌よくそう言うと、ツアムの座っている椅子の対面に座り、両肘をテーブルについて顎の下に手を置くと笑顔でツアムを見つめた。


「んふふふふ」


「なんだその顔?」


「もう! わかってるくせに! ね、お願いツアねえ


「しょうがないな。ナナト、ポピル。まきをありたっけ集めてきてくれ。スキーネは野菜の皮むき。ルッカはあたしと一緒に猪をおろすのを手伝ってくれ」


「やった! 久しぶりにアレが食べられるのね! 愛してるわツア姐!」


 スキーネは子供のようにツアムに抱き着くと、軽い足取りでファヌーが引く荷馬車に中へと野菜を取りに行った。


「お。食事当番は姐御がやってくれるのか?」


「楽しみだなあ。ねえ、どんな料理を作るの?」


 ナナトの問いに、編み物を中断してテーブルの端に置いたツアムが立ち上がって答えた。


「できてからのお楽しみ」

 

 ツアムとルッカは慣れた手つきで猪の血抜きを行い、皮をなめ、無駄がないよう丁寧に肉をそぎ落として一口大に切った後、薪に火を起こして鍋の準備を始めた。一度火がついたあとは、ツアムが付きっきりで食材を入れて火加減を調整していく。


 まずは肉の表面を炒め、頃合いを見計らって一度取り出してから、鍋に水を入れて沸騰させる。次いで野菜を放り込んでひと煮立ちさせ、焼いた肉を入れて火の具合を見極めながら小一時間、ひたすら灰汁あくを取り続ける。


 その間に、ナナトたちは解体した猪の亡骸を野営地からやや離れたところへ深い穴を掘って埋めた。亡骸を放っておくと血の匂いにつられて他の亜獣が深夜、寝床までやってくるかもしれないからだ。穴を深くする理由も、地面の浅い部分では野犬が掘り返す可能性が高いためである。念には念を入れ、解体した場所の血が滴り落ちた地面には何重も砂をかけたうえで、炭化した薪を置き、徹底して匂いの消去に努めた。


「まだかよ姐御あねご~。もう腹が減って餓死寸前だ」


 木製テーブルの上で皿とコップを布で拭いていたポピルがぐだっとテーブルの上体を倒した。


「もう少し。あと十分といったところだな」


 ツアムが鍋をかき混ぜながら火から目を離さずに背中で答える。ポピルの対面に座り、同じように食器を拭いていたスキーネが強い口調で言った。


「我慢なさいポピル。ツア姐が作る料理は絶品なのよ。味は私が保証するわ」


こうばしい匂いがここまで届いているんだ。美味うまそうな料理であることは十分わかる。高級なレストランじゃないんだから早いとこ食べないか?」


「くどいわよポピル」


 ポピルのせっつきを気にすることなく、野菜と肉のとろみ加減を適度と判断したツアムは、仕上げに調味料とハーブで味を調えて弱火で煮込んだ。


「よし、完成」


 ツアムは木製テーブルの中央に鍋敷を置き、その上に鍋を乗せた。辺りはすっかり星のまたたく夜になっていたものの、テーブルの上や荷馬車の近くの至る所にランプを点灯して置いてあるため、食卓は適度な明るさに包まれている。


 ツアムが鍋の蓋を取ると、お腹の底をくすぐる芳醇な香りがテーブルを満たした。


「猪肉の特性ボルシチだ。ナナト、乾燥パンを取ってくれ」


 乾燥パンに、煮込み料理に、デザートはいちじく。テーブルの上に所せましと並べられた食器に人数分の料理が彩られる。ナナトが思わず声を上げた。


「うわ! 美味しいそう!」


「では早速…」


 ポピルは木製スプーンでボルシチを一口、口に運ぶ。


「なんだこれ! なんだこれっ!」


 ポピルは、乾燥パンや果汁などに目もくれず、ひたすら目の前の煮込み料理を猛スピードで食べ進めた。 “美味しい”という感想を口に出すのも忘れ、スプーンを握る手を動かす。


「あなたねえ、もう少し語彙を蓄えなさいよ」


 背筋を伸ばしたスキーネが優雅に煮込み料理を口に運んだ。


「野菜の育った大地さえ想起させる芳醇なコク。繊維の一本一本に味の沁み込んだ肉の触感。それらをこの上なく引き立てる胡椒の加減。この世に完璧という言葉が値するものは数少ないものだけれど、この料理はその呼び方以外に例えようがないわ!」


 横で見ていたナナトもすぐに頬張り、すぐさま目を輝かせた。


「美味しい! すっごく美味しいよツアムさん! 僕、こんな美味しい料理食べたの初めてだ!」


「この料理なら一週間続けて食べれますね」


 ルッカの感想が続く。


「ありがとう。そう言ってもらえるのが作り手にとって一番嬉しいよ」


 ツアムも微笑んでから食べ始めた。


 早くも皿を空にしたポピルが二杯目をおかわりして食べ始める。


「マジか…いやこれ…マジか…」


「ちょっとポピル! もっとゆっくり味わいなさい!」


「いやうん…マジか…そのうん…マジか…」


「えっもう三杯目? 駄目よ。次は私の番」


「僕もおかわり」


「私も」


「ナナト、ぶどう果汁を取ってくれ」


 こうして、五人が食べるにはいささか量が多いと思われた猪鍋は、一滴も残さず平らげられ、五人はその晩、満腹と満足に幸せを感じつつハンモックに揺すられてとこに就いた。

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