第3話 宝石と瘤


 王都セレス。エマはここが好きだった。

 田舎と違って、根も葉もない噂話に現を抜かしている余裕などない。そんな活気づいた雰囲気が好ましかった。

 可愛いものやお洒落なものが沢山あって、キラキラと輝いていて、この街の道を貴族然とした馬車で進み平民を見下ろす時、エマの心はいくらかスッキリするのだ。


 王宮に着き、レオンは国王に会いに謁見の間へと、エマは使用人に連れられ庭園へと別れる。


「じゃあエマ、殿下に失礼のないようにね」

「はい。お父様」


 素直に返事をするエマに若干複雑な表情を浮かべるレオン。

 そんなやり取りを経て、エマは庭園へとやってきた。

 ガゼボの柱の陰に隠れた金髪を見つけ、足早に駆け寄る。


「ユーリ様!」

「あれ…エマ様…? ということは、もうそんな時間だったんですね」


 お迎えに上がれず申し訳ありません、と大人びた調子で話し、手に持っていた本を閉じたのは、ウィレニア王国第二王子、ユーリ・シア・ウィレニア。

 澄んだブルーグレイの瞳に、少し癖のある透けるような金髪。幼いながらも整いきっている顔立ちは、まさに物語の主人公といった風で、今は可愛らしいと、将来はかっこいいともてはやされるだろう少年。

 エマと同い年。そして──婚約者である。


「いいんですよ。ねえ、何の本を読んでらしたの?」

「ああ、これは……」


 エマが王子と会うのは、これで五度目になる。

『王国の第二王子』そんな肩書きを聞かされていたからか、エマは初対面からしおらしいお嬢様を演じている。

 相変わらずの猫被りに、離れた場所から仕えているニーアは溜め息を吐いた。

 子どものうちからこんな様子では、成長すればどうなってしまうのか。

 流石は、地位や権力に貪欲だったという魔女から生まれた子だ。

 ニーアは再度吐きそうになった溜め息を何とか飲み込んだ。


「ユーリ様、むずしい本を読まれるのですね」

「そうでもないですよ」

「わたしも本は読みますが、物語ばかりで」

「そうなんですか」

「何かおすすめがあれば、教えてください」

「じゃあ、これを」

「え?」


 にっこりと作り物のような笑みを浮かべたまま、読んでいた本を差し出したユーリに、エマはポカンと呆けた。


「僕は図書室で別のものを探してきますので」

「え、いや、あの」

「お気になさらず、読んでいてください」


 あー……。

 二人のやり取りを見ていられないとばかりに目を閉じたニーアは、「お嬢様、本格的に避けられています」と心の中で呟いた。


 エマとユーリの間には決定的な温度差があった。

 幼い頃から様々な大人に囲まれて過ごしてきたユーリは、他人が自分に向ける視線、その種類を見分けることに長けている。

 つまるところ、エマの媚びはバレバレなのだ。


 エマが自分に惹かれているのは、肩書きのせい。

 ユーリからすればこれまで何人も見てきた有象無象の一人にすぎない。

 それでも公爵家のご令嬢で、父親同士が仲が良いとなると、ほぼ雁字搦めである。

 決まったものは仕方がない、そういうものなのだと婚約を受け入れているユーリは、もちろんエマに向ける大した感情は持ち合わせていなかった。


 一方エマはというと、田舎町の小汚い子どもたちとはわけが違う、ユーリ様は美しい宝石だ。そんな特別な眼差しを彼に向けていた。

 そして、この宝石は自分のものだ、なんて思い込んでおり、宝物を取られたくない幼い子どもそのものだった。


「ユーリ様、わたしも──」

「殿下、紅茶いれてきました」


 エマの言葉を遮って現れたのは、気だるげな雰囲気を纏った少年。

 ティーワゴンを押しながら、頭の上には何やら奇妙な生物を乗せている。


 赤黒い髪に、鋭い金色の瞳。執事服なんて到底似合いっこない顔付き、改めて、エマは初めて会った時と変わらない印象を受けた。

 エマ、ユーリと歳を同じくする少年、リュカ・フレロ。

 ユーリの従者である──が、ユーリは友人だと言い張っている。

 二人の関係についてはエマにとってどうでもいいことなのだが、如何せんリュカは目の上の瘤だった。

 警戒心が高く、ユーリに害を及ぼすものには誰彼構わず噛みつくぞといった風な狂犬である。

 当然のように、エマとの相性は最悪だった。


「ありがとう。じゃあ読書は一旦止めにして、冷めないうちにいただこうか」

「スコーン焼き立てですよ」

「やった。僕、紅茶味のがいいな」

「はいはい。わかってますから」


 目の前で仲の良さを見せつけられているようで、つい愛想笑いが引き攣った。


 リュカはてきぱきと紅茶を注ぎ淹れ、スコーンを取り分け、テーブルに並べていく。

 その間、一度もエマの方を見ない。

 というのに、お茶を注ぎ終えユーリの斜め後ろで仕えている時は、じっとエマを背後から見つめるのだ。

 いや、見つめるなんて生易しいものでなく、監視するように睨んでいる。

 肩に付いた埃を払うためにと触れようものなら、目にもとまらぬ速さで先を越される。まだ話していたいのに「殿下、そろそろ」と邪魔を入れて会をお開きにするのはいつもこの男だ。

 時たま目が合ったと思えば、しれっとした無表情を崩すこともなく、挨拶なんて「どーも」くらいのものだ。

 舐めている。使用人のくせに。


『ユーリ様、この男をどこかへやってもらえませんか』


 苛立ちのあまりそんなことを口走ってしまったことがある。

 これが、ユーリとの間に大きな溝を作る最大の原因となってしまった。

 あれは失態だったと、エマは今でも後悔している。


 こんな犬のことは放っておけばいいんだ。

 もう婚約は成立しているのだから、あとはユーリに寄り添っているだけで自分はお姫様になれる。


 ──わたしは魔女なんかじゃなくて、お姫様になる女の子なんだ。


 エマの中に根付いているコンプレックスは、最悪の形で彼女の意欲を掻き立てていた。

 輝かしい未来の想像に胸を躍らせたエマはいくらか機嫌が良くなり、スコーンをパクパクと口に運んだ。

 王宮の料理人が作ったというだけで、ただのスコーンとは一味違って感じる。


「エマ様」


 ユーリに名前を呼ばれ、無心でスコーンを頬張っていたことに気付いた。


「す、すみません、はしたなかったでしょうか……」

「いえ、そうではなく」


 首を傾げるエマに向かって、ユーリは自身の口の端をトントンと指先で叩き、


「付いていますよ」


 エマはパッと掌で口元を覆った。

 いくら背伸びをしようがまだ十歳のエマ、口元に食べかすが付いてしまうこともある。

「お恥ずかしい」と誤魔化すように笑いながら、さっと払おうとしたところで、ふと、静止する。


「……ユーリ様、取ってくださいませんか?」


 そう言ってエマは、ユーリに向かって前のめりに顔を突き出した。

 お姫様は、王子様に甘やかされるもの。

 こういったシチュエーションに憧れるのも、まだ残されているエマのあどけない子どもらしさを表していた。

 ユーリの笑顔が冷え冷えと青ざめているなんてことも、お構いなしである。


 目を閉じ、期待した様子で待つエマ。

 ユーリは持てる全ての優しさと愛想を総動員させ、壊れたブリキ人形のような動きで腕を持ち上げる。


 彼の指先が、エマの口元に触れる──


「んぐぅ……!」


 その前に、乱暴にハンカチで拭われた。


「はい。きれーになりましたよー」


 そんな棒読みが背後から聞こえ、エマは愛想笑いを取っ払っていつもの仏頂面で勢いよく振り向いた。

 柵に手を掛け、ガゼボの外へと身を乗り出し、


「少々無礼が過ぎるのではなくて?」


 あくまで最低限の体裁を守りつつ、リュカに言い放つ。

 人を凍らせてしまいそうな冷たさを孕んだエマの目に怯むことなく「失礼しましたー」とわざとらしい棒読みで答えるリュカに、流石のエマもなりふり構わず青筋を立てた。


「こらリュカ。エマ様、リュカが失礼を働き申し訳ありません、ですがどうか落ち着いてください」


 仲裁に入ったユーリの声に意識が向く。駄々っ子に言い聞かせるような口調だった。

 諭すように言われ、ついカッと頭が熱くなった。


 エマの手元から冷気が漂い始めたところで、辺りの使用人たちが一斉に駆け寄ってくる。

 ああ、ついにお嬢様の癇癪が、そんなことを思いながらニーアは急ぎ彼女のフォローに回ろうとする──それらよりも早く、当初からずっとリュカの頭の上に乗っていた生物が、目を開いた。


 丸々と太っているせいで原型を留めておらず、一目見ただけでは巨大なマシュマロだろうかと見紛うソレは、魔獣、カーバンクルだった。

 額にあるルビーのような美しい魔石が、じわりと光を帯びた。

 魔獣はエマとリュカの間に飛び出し、そして、


「キュゥーーーーーー!!!」


 鳴き声と共に──火を吹いた。


 瞬間的にボッと広がったそれは小さな風船が弾けたような小規模なもので、精々威嚇程度の威力でしかなく、なにに燃え移る事もなく瞬く間に消えた。


 しかし目の前で広がった鮮烈な赤と熱さに、エマは絶叫した。


 恐怖で目が回り、息が詰まる。

 視界が真っ暗になった。

 全身が硬直し、後方へと倒れ込む。

 ティーセットを巻き込んで倒れたその音を、どこか遠くで聞いているような気がした。

 それを最後に、エマは意識を手放した。

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