こんにゃくアドベンチャー
20文字まで。日本語が使えます。
第1話
私たちは地味な生き物である。あまり花を咲かせないとか、いざ咲かせてみれば妙に大きな花を咲かせてみたりだとか、典型的な花の匂いとは少し違う匂いを発してみたりだとか、まあ誰にだってそれくらいの個性はあるだろう特徴を持った、しがない一つの生き物である。
幸か不幸か、それほど多くの生き物たちが私たちに見向きすることはない。食べられた時に警告物質を出す生き物というのは結構いて、土の中も地上の空気にもそういった物質の存在を頻繁に感じ取ることができる。だが、そんな当たり前のことも私たちにはほとんど無縁の世界だ。
別に呆れるほど食べられてしまったって、そんな生き物たちがすぐに死ぬことはない。生きとし生けるものたちの輪環の中で利用し利用され、失った葉っぱも誰かの命となっていく。または典型的な美しい花を咲かせて、様々な羽音を響かせる生き物たちをおびき寄せてみてもよい。それもやっぱり何かしら花粉とか花蜜とか失ってしまうわけなのだが、そうして無くしたものが生命の連環を繋ぎ留めていく。
別にそういう派手な世界に憧れはない、なんてことは強がりでだって言うことはできない。そんな生き方をする生き物たちが周囲を埋め尽くす中、それも一つの目標とすべきなのかもしれないとは思っている。
だが、そうは生きられないこともわかっている。
こうして生まれてきたんだから、この姿はもう変えられない。同じ場所に暮らしているからといって、いちいちその振る舞いに影響されているようでは生き延びていけないのだ。
気まぐれでも花を咲かせて、あまり他の花の周りにはいない虫たちでもおびき寄せておこう。それが大きな花だったとしても、それ以上にありとあらゆる色に満ちた世界の中では地味な存在を脱することはできない。
私たちは己の姿を受け入れている。鮮やかな森の中の、たった数色だけを担う地味な存在。それが私たちの姿だ。
慎ましく生きよう。あまり多くの生き物たちと関わることもなく。
それを受け入れようとした、だけなのに。
異変はすぐに察知された。
これまでほとんど見向きもされなかった私たちが、頻繁に、それも地上部を根こそぎ奪われるようになった。せいぜい虫たちが花に集るくらいでしか他の生き物たちとの繋がりはなかったから、なお一層その驚きは大きかった。それまでも根こそぎ引きちぎられることがなかったわけではない。だが、それが毎日のように起こるとなると話は別だ。
今日も私たちの仲間がその身身体を無理矢理へし折られて、微かな断末魔を残しながら去っていった。その叫びが、重い記憶となって私たちの身身体に残されていく。仲間の声は茎を通して直接受け取ることもあったし、土中の物質を通して間接的に感じることもあった。それらは急速に蓄えられていき、新しく生えてきた仲間たちにも違和感が感じられるだろうほどになっていた。
消え去っていった仲間からもう二度と声を聞くことはできない。ただ抜き取られたというその悲鳴が残されるだけ。何かが私たちの穏やかな暮らしを奪い去っていくが、その何かは正体を現すことがない。一つの生き物なのか、あるいは複数の生き物たちによるものなのかすらわからないまま、ただ一つの手がかりすら掴むことができない。得体の知れないものに脅かされる暮らしの中で、それでもただ今まで通り過ごすしかなくて、次々と生まれくる新しい仲間たちへの後ろめたさを感じながらも、どうすることもできないままただ日の浮き沈みを感じているだけだった。
そんな中でも、救いの光は差し込んできた。
偶然がもたらした光だった。私たちの中のある一群に、異様に多くの化学物質を蓄えている者たちが現れた。彼らは私たちと同じように根や茎を伸ばしていたが、彼らのいる領域は無傷のことが多かった。たまに抜き取られることがあっても、そこから次々と抜き取られるようなことはなかった。
その物質はほとんど私たちだけが持つものだった。これまでから私たちの周囲と他の生き物たちの周囲とでは感じられる土の味が違っていた。それが私たちが持つ化学物質によるものだと、何となく認識はしていた。今、異様なほどその物質を増やした彼らの周囲は、仲間のはずの私たちにでも感じられるほどに味が違っていた。私たちにとっては慣れたはずのその物質なのに、彼らのような濃度で存在していると、不快感さえも感じられるほどだった。他の何もかもは自分たちと同じだと認識できるのに、そこだけが異なっていて、しかもその感覚は好ましいものではなかった。
だが、その強い不快さは、私たちにとって光なのだという確信をもたらすのに十分だった。私たちでさえこれほど不快感を感じるのであれば、他の生き物たちならなおのことだろう、と。
彼らはすでにその物質を蓄える術を身につけていた。そもそもがすでに私たちが蓄えていた物質なのだ。その量を身体の中で増やすのにそれほど難しい仕組みも必要なかった。ほんの少し、身体に変化がもたらされるだけで、私たちの内からも同じ強さの不快感が溢れ出してくる。その感覚が、私たちが根こそぎ奪われずに暮らしていけるのだという確信へと結びついていく。
張り巡らせた根や茎を通して、その方法を次々と伝えていった。その内に周囲の仲間たちがみんなあの強い不快感を纏ってくる。その感覚に初めは辛さを感じていたが、慣れと、先んじていた彼らが編み出した貯蔵の方法によって全く気にならなくなった。それは単純な話で、水やらなんやらが流れ続ける身体の軸から外して貯蔵すればいいだけのこと。身体を少し大きくすれば、不快な思いをせずともこれまで以上に蓄えられる。根こそぎ奪おうとしてくるのであれば、身体のどこに物質があろうと大差ない。私たちには感じられなくなったとしても、相手にはその不快感を大量に浴びせることができる。
物質の貯蔵が進み、私たしの集団全体が平穏な暮らしを取り戻した。かつてと同じように、小さな生き物たちがたまに羽音を響かせてくるだけの日々。意識しなければ気づけないほど身体の主軸から離れた場所に化学物質を蓄えている以外は、私たちにはなんの変化もなかった。
それでも偶然だろうか事故だろうか、たまに同じように根こそぎ奪われてしまうようなことはある。ただ、それが何日も続くことはなかった。
先んじていた彼らと同じような穏やかな暮らしを、私たち全員が送ることができる。派手な暮らしに憧れたこともあったかもしれない。だが、やはり私たちにはこんな地味な暮らしが向いている。
危機を乗り越えたことで、一層穏やかな日々をありがたく感じられるようになった。もちろん、たまに奪われてしまう仲間の身体には悲しみだって感じる。ただそれは私たちの存在を揺るがすような広がりを持つわけではない。
穏やかな暮らしがこれほどまでに素晴らしいものだったとは。
日々を追うごとに高まっていくその感慨は、私たちみんなに共有され、蓄えた化学物質と共に一体感を醸成していく。
だが、いつしかそんな気持ちも薄れていってしまった。
あれほど貴重だったはずの穏やかさは、その暮らしが当たり前となることで、なんの感慨ももたらさない日常へと変わっていった。
私たちがなんのために貴重な資源を費やして茎を膨らませ、そこに化学物質を蓄えているのか、その理由は感覚ではなく遠い記憶だけのものとなった。私たちの身体に刻み込まれた情報は、その背景やその時の気持ちまで余すことなく伝えてくれている。だが目の前でその危機を感じていた仲間が老いによって枯れていくと共に、その情報は、ただ時たま参照されるだけの情報としての価値しか持たなくなってしまった。刻み込まれた危機感は、今目の前で感じられる感情ではない。たまに根こそぎ奪われてしまう、その頻度が高くなっただけのことだと仲間たちは感じているに過ぎない。
ただそのことを責めることはできない。数少ない当時の生き残りである私たちでさえ、その当時の気持ちを今ここであの時と同じように強く抱くことなんてできなかった。
時を追うごとに失われていく、大切な気持ち。
それがもしかしたら油断となり、化学物質を減少させてしまったのかもしれない。
そんなタイミングで訪れた第二の危機。しかし誰もが初めは深刻に捉えようとしなかった。
抜き取られることは頻度は少ないなりにもずっと続いていたし、それでも私たちには蓄えてきた化学物質がある。第一の危機から時間も経ち、その時の記憶がほとんど残っていない中で、生まれ持った化学物質に対する信頼は揺るがなかった。記憶が薄れるほどの長い時間を、私たちはこの化学物質によって穏やかに生き延びてきた。その自負は、些細な危機で覆るようなものではなかったのだ。
鮮やかに危機を乗り越えることのできたかつての私たち。その主要因である化学物質は今も体内にしっかりと蓄えられている。昔の私たちが築き上げてきたもののおかげで、今の今まで穏やかな日々を過ごすことができた。今こうしていつもより多く抜き取られていても、いずれはその物質が私たちに平穏な暮らしを取り戻してくれるはずだ。
その確信が間違いだと気づかされるまでに、たくさんの犠牲が生まれた。
危機を乗り越えたというたった一度の成功によって生まれた信頼が、私たちに何か対処させることを拒んでいた。前回うまくいったのだから、今回も同じようになるはずだ。そんな楽観的な思いが私たち全体を取り囲んで、身動きを取れなくさせていた。いずれ化学物質が解決してくれるであろう危機に対して積極的に対処しようなんて思いようがなかった。
思えば私たちは変化に対して鈍感になり過ぎていたのかもしれない。他の生き物たちは、様々な関わり合いの中で出し抜き出し抜かれ、生き残るために変化を余儀なくされ続けてきたらしい。土中で触れる他の生き物たちが、ついこの前までの感触と異なる味を私たちに感じさせてくれた時もままあった。私たちは関わる相手が少な過ぎた。日常的に仲間たちだけで寄り添いあっているうちに、他の生き物たちが当たり前に行っている生き方を見失っていたのかもしれない。
化学物質だけを信じて、何もやらないままに時は過ぎていく。その間にも仲間たちが根こそぎ抜き取られていく。その数は、時を追うごとに着実に増えていった。
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