57話 戦士は聖職者に震える


 違う。俺の知ってるソアラじゃない。


 あの優しくてほわほわしている彼女はどこに行ったんだ。


 お荷物だった俺をいつも根気よく励ましてくれて、疲れた時にはさりげなく水を用意してくれたり。

 無理をした時はいつだって率先して癒やしを施してくれた。

 聖職者の鑑のような彼女がなぜ。


 まさか洗脳の影響で人格に――。


「こっちが猫かぶるのが上手いからって、いい気になりやがってよぉ! ちょーしこいてんじゃねぇぞ〇〇野郎が!!」


 じゃないみたいですね。

 ずっとソアラじゃなく、ソアラさんでしたか。


 彼女は頭をかきむしり、もう一つのベッドに勢いよく腰を下ろした。


「ふぅ、あの愚か者には天罰を下さないといけませんね」

「ソアラ」

「はい」

「元に戻ったんだよな?」

「ええ、トールのおかげで御覧の通り」


 にっこりと微笑むソアラが怖い。


 笑顔なのに殺気が噴き出しているのだ。

 というか目が笑っていない。


 どす黒いオーラに、カエデとフラウが俺の背中に隠れた。


「あの方、とても怖いです」

「ヤバいわよあいつ。よくあんなのと一緒に育ったわね」

「普段はすごく良い奴なんだよ。洗脳が解けて、その反動でおかしくなってるだけなんだ……たぶん」


 自分で言っていてまったく説得力がないのが分かる。

 ネイはああはならなかったのだから。


 ソアラがカエデ達を見て目を細める。


「それが新しい仲間ですか。奴隷とは」

「しょうがないだろ。あの時は、疑心暗鬼でまともに仲間を作れる精神状態じゃなかったんだよ」

「……そうでしたね。トールは何も悪くありません」


 口調が元に戻り始めてほっとする。


 だんっ。めきめき。


 床を踏み抜き、右足が床にめり込む。


「あのクズが全て悪いんです。勇者のくせにまさか禁忌のスキルを持っていたなんて、怒りを通り越して心底呆れますよ。ふふ、ふふふふ」

「は、腹は空いていないか! 空腹でいらついているんだろ!」

「お気遣いありがとう。でも、不思議と空腹は感じないの」

「いや、少しでも胃に入れた方がいい! 俺としても落ち着いて話をしたいんだ!」


 冷たい顔がふわっと笑顔に変わる。


「そうですね。あのウンコクズを始末する為には、話し合いが重要ですし」


 こぇぇ、こぇぇよソアラさん。

 今まで戦ってきたどんな敵よりもこぇぇよ。



 ◇



「――なるほど、ではトールが漫遊旅団だったのですね」


 そう言いながら彼女は、酒の入ったグラスをテーブルに置いた。


 テーブルにはすでに開けられたボトルが数本。

 知らなかった。こんなにも飲む奴だったなんて。


「ネイを助けてくれてありがとう。今までずっと後悔していたんです。あの時、どうすれば助けられたのだろうと」

「今頃は無事に村に帰ってるさ」

「彼女はああ見えてもろいですからね。私のようにはいかなかったのでしょう」


 寂しそうな表情を浮かべる。


 ネイとソアラは特に仲が良い。

 きっと今の今まで激しい後悔を抱えていただろう。


「でも、ネイはずいぶんと心配してたぞ」

「あの子にもこの性格は秘密にしてましたからね。ほら、我が家は聖職者の一族でしょ、慈愛を与える側の人間になる為、色々と矯正を受けてきました。でも、その反動でよりねじ曲がった気はしてますけどね」


 あー、まてよ、小さい頃のこいつって結構やんちゃだったよな。

 外見は男っぽかったし、すぐにネイと殴り合いをして泣かせてたっけ。


 すっかりなりを潜めてたから忘れてたが、ソアラは元々喧嘩っ早い人間だ。


「これからどうするつもりだ。もし行くところがないならウチに来るか」

「遠慮します。今の私では貴方の隣に立つ資格はないでしょうし」

「そんな、資格なんて必要――あげ!?」


 いきなり空のボトルで頭をぶん殴られた。


 頭の上で粉砕してガラス片が散らばる。


「ないといったらないのです。今はまだ。少なくとも一年はお清めを行い、神に許しを請う祈りを捧げ、贖罪の奉仕活動をしなくてはなりません。そして、偽りの愛を打ち消すために、真の愛を己の中で再確認しなくては」

「何を言ってるのかわからん」


 というかボトルで殴るなよ。

 少し前のソアラだったら「めっ」と言って叱ってくれたのに。


 レベル300台なんて言ったのは早まったか。


「トールのおかげで少し落ち着きました。ずいぶんとはしたない姿を見せてしまいましたね。申し訳ございません」

「別に構わないが……」

「貴方は変らないですね。いつだって揺るぎなく堂々としている」


 いやいやいや、めちゃくちゃ揺らいだよ。

 驚きすぎて反応に困ってるだけだから。


 でもさ、この方が俺にとっては良かった。


 ソアラの心が壊れなくて。


「もちろんセインを殺すのですよね?」

「そのつもりだ」

「でしたら、私は最寄りの教会で祈りを捧げます。罪深き者に裁きを与えなければ。あの男は私とネイの心と体を踏みにじりました。神の下僕たる聖職者に手を出したこと、後悔させてやります」


 再び黒いオーラが噴き出し、持っていたグラスを粉砕する。

 カエデとフラウは恐怖から俺に身を寄せた。


 二人ともずっと黙って話を聞いていたが、やはり今のソアラには慣れないようだ。


 ソアラの怒りはもっともなのだが、もう少し落ち着いてもらいたい。


「安心して眠くなりました。少し休ませていただきます」

「あ、ソアラ」

「なんですか?」


 彼女は振り返る。


 その姿は未だにぼろきれを纏ったままだ。

 髪も顔も汚れていて見栄えは良くない。


 しかも白い胸元がよく見えていた。


「明日、服を買いに行くか」

「服……? あ!? そ、そうですね! お願いします!」


 彼女は開いた襟を両手で隠す。

 それから顔を真っ赤にして逃げるように去って行った。


 恥ずかしさを思い出してくれて良かった。


 ちょっと目のやり場に困ってたんだよ。


「ごしゅじんさま~! ごしゅじんさま~!!」

「なんだよ!?」

「ソアラって胸が大きいわよね」

「誤解だ!」


 カエデに泣きつかれ、フラウにジト目で見られる。


 そりゃあ確かにちら見していたが、あれは男なら自然な反応だ。

 どちらかと言えば俺の理想はカエデの――ってなに考えてんだ、俺。


 とにかくカエデを抱き寄せて頭を撫でてやった。



 ◇



 聖職者らしい姿となったソアラが教会の前で一礼する。


「またトールには恩ができましたね」

「まぁ、気にしないでくれ」

「いいえ、大事なことです。私は貴方が幼なじみであり……であることを心から幸せに感じています」

「ん? なんて?」


 ぎゅむ、つま先を踏みつけられる。


 つまり余計なことは聞くなと。

 だんだんとソアラの本当の性格が分かってきた気がする。


 よく今までバレずにやってこられたな。


 今回の件がなければたぶん、一生騙されてたと思うぞ。


 彼女はカエデへと向き直る。


「トールをよろしくお願いします。この人は荒っぽくて、周囲のことなんかほとんど気にしない人ですが、実はとても優しくて傷つきやすい。どうか支えてあげてください」

「はい。ご主人様にどこまでも付いていくつもりです」

「ちょっと、フラウを忘れてない!」

「そうでした、貴方にもお願いしておかないと」


 カエデとフラウの手を、それぞれぎゅっと握り深く一礼する。


 これでしばしお別れか。

 ソアラはこの教会で数ヶ月ほど過ごしてから、バルセイユの教会本部へと向かうそうだ。


 すでに旅の資金も渡している。


 それに加え、ジョナサン宛の手紙も渡してあるので、バルセイユまで無事に送り届けてもらえるはずだ。

 できれば直接送り届けたかったが、ソアラが断ったのだ。


 そんな暇があるならウンコクズを追え、なんて腹パンされた。


「そうそう! 忘れていました!」

「うぉ!?」


 ソアラに腕を掴まれ強引に引っ張られる。


 どこへ行くのかと思えば、行き先はこの街の奴隷商だった。


 彼女は俺を奴隷商へと突き出す。


「彼を主人とし、主従契約を行いなさい」


 えええええええっ!?




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