神龍殺しは少女のために⑩
起きてまず感じたのは薄らとした気怠さ。続いて全身の痛みと熱。目を開けると見慣れた自室……いや、自室ではないか。ニエから借りている一室だ。
よく死ななかったな。と自分の身体の丈夫さに感心しながら起き上がろうとすると、肩に重みを感じる。目だけそこに向けるとニエが俺に乗っかり、すーすーと寝息を立てているのが見えた。
可愛らしいが、このまま身体を動かしたら起こしてしまいそうだ。
しかし……起きているのに身体がひっついているのを放置するというのは少し変態っぽくないだろうか。空いている手を持ち上げるとぐちゃぐちゃに包帯代わりらしい布が巻かれている。
……これ、ニエの父母の服だった布だ。包帯になるように切られている上に血や体液が付いていて……もう元に戻ることはないだろう。
父親のスリングショットも壊してしまったし、俺はこの子から色々なものを奪っている。
……いや、奪っているではなく、もらっている……か。
きっとニエはそう思っている。目尻から薄らと出ている雫を指先ですくうと、少女の目がパチリと開く。
「……あれ、カバネさん……? か、カバネさんっ!」
「おはよう」
一瞬だけ惚けた表情を浮かべてから、すぐにぐちゃぐちゃに顔を歪ませる。既に一度涙を流したのか、目は真っ赤に充血していて顔には涙が渇いた後が残っていた。
「大丈夫、大丈夫ですか!? 怪我、酷くて……ボロボロで……なんで、こんな……無理をしたんですかっ!」
ニエは俺の服を掴んで、涙を零しながら縋るように俺の胸に顔を埋める。ニエの泣き声は、龍の咆哮よりもよほど全身に響く。
泣いているニエの声に思わず「ご、ごめんな」と言うが、ニエは許してくれない。
「その、でも、こうしてニエは生きてるし俺も生きている。これ以上ない結果だろ?」
「私は、どうでもよかったんです! カバネさんが傷ついてまで、生きていたくなんて!」
無理矢理身体を起こすと、全身が痛みを発する。火傷裂傷、切り傷、打撲、骨折、把握出来ているだけでもとんでもない数の傷が全身を覆っている。
けれど、そんな痛みは気にならなかった。
「……いいわけがないだろ。お前が、死んでいいはずがあるわけがない」
感情が漏れ出てくるのが分かる。
異世界に突然やってきて、ずっと堰き止めていた不安や心細さが限界に達して吹き出してくる。
「俺は、お前が、ニエが大切なんだ! 突然知らないところにいて、何も持っていない、何もかもが分からない! ニエがいなくなったら、俺はどうしたら良いんだよ!」
「ど、どうにでも……」
「ならねえよ! 無理だろ! 無理なんだよ、何も見えない世界で、お前だけがいて……縋るぐらい、いいだろうが」
結局のところ、俺はいくら格好付けようとも情けのないダサい男だ。ニエを助けるとか、恩を返すとか、色々言ってはみたが……ただ、ひとりぼっちになりたくなかっただけでしかない。
何も知らない世界が怖くて、異世界ということを考えないようにして、ひとりぼっちになるのを避けるために必死で少女に縋り付いていただけだった。
目が覚めたときにニエが隣にいて、どれほど安心したことか。
この世界に来てから毎日、目が覚めて真っ先にニエの姿を探しに家の中を歩いていた。
怖いのだ。一人になるのが、ニエを失い、何も知らない世界で一人で生きるのが……耐え難く、怖かった。
「カバネさん……?」
ニエは困惑した表情を俺に向けるが、もう格好を付けている余裕はなかった。
無理矢理にニエの身体を抱き寄せて、逃げられないようにベッドの上に押し倒す。少女の小さく華奢な肢体はベッドに組み敷かれるとびくっと震えて、俺の服を小さく摘む。
自分の息が荒くなっているのが分かる。ニエの額に俺の涙が落ちるのが見えた。
ただひたすらに情けない。言い訳のしようがないほど、こんな小さな少女に寄りかかっていた。今もそれは変わらない。
「……俺は、弱い」
「……ごめんなさい」
ニエは再び涙を流す。
「ごめんなさい」
「……ニエがいないと、ダメなんだ。君がいたから、生きられたんだ。だから……ありがとう、生きていてくれて……。本当に、ありがとう」
きっと俺はぐちゃぐちゃになった汚い顔をしているだろう。ニエを抱きしめて、情けなく声を上げて泣く。
ニエは何も言わず、俺を抱きしめ返して、ずっと背中を撫でてくれていた。
◇◆◇◆◇◆◇
……死にたい。
俺は何をやっていたのか。泣きすぎて痛痒くなっている目を擦りながら、横目でトントンと料理をしているニエを見る。
……死にたい。とてつもなく死にたい。
こんな恥を晒す前に、龍と一緒に死んでたらよかったのに、と思わざるを得ない。
一生ものの黒歴史だ。泣きながら少女に甘えてよしよしされるのなんて、これ以上ないぐらいの恥だろう。
ただでさえ少女を心の拠り所にしていたというのに……もはや、腹を切るしかないか。
そう思いつめていると、ニエが俺の前に器を置く。一瞥すると、家にほとんど何もなかったからか、初めて会った日に食べた山菜とキノコが雑に刻まれて煮てあるだけのスープだ。
口を付けると、やはり青臭くて不味い。けれどバクバクとそれを口にして、飲み込んでいく。
今になって気がつくが、思ったよりも丁寧に作られている。固いところは細かく刻まれているし、柔らかいところは投入の時間がずらされているのが分かる。
「……美味い」
「えへへ、よかったです」
「……忘れろ」
「何がですか?」
「さっきまで、俺が……」
俺が言い淀むと、ニエは充血したままの目でクスリと笑う。
「泣いていたことですか?」
「……忘れろ」
「……忘れませんよ。忘れられません。ずっと、ずっと覚えてます」
「勘弁してくれ」
ニエは俺の身体に抱きつき、ぎゅーっと、腕を回す。
「カバネさんは予言者です。私の一番嬉しかったこと、本当に更新されました」
「俺の一番情けない出来事も更新されたけどな。……というか、何が嬉しかったんだよ」
「……大好きな人に、必要と思ってもらえたことです」
ああそうかよ。そう言いながらスープを口に運び、ニエの言葉を理解して驚き、スープを飲んだまま咳き込んでしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
「そ、それより今……好きと言ったか?」
「……い、言いましたけど」
ニエは顔を赤くしながらそっぽを向く。
好きというのは……好きという意味だろうか。いや、好きという意味ではないかもしれない。もしかしたら好きという意味の可能性もあるが、好きという意味ではない可能性もある。
いや、異性という意味ではなく親愛かもしれない。そう思ってニエを見ると、耳まで真っ赤にしてチラチラとこちらの様子を伺っているのが分かる。
……両想いだ。間違いない。
思えば地球でも女の子に好かれたことなんてなかった。いつも「何考えてるか分からなくて怖い」とか「話していて面白くない」とか言われていた。
ニエを見る。生贄にされていた時と同じ髪型で、服も生贄用らしい白い衣装を上に羽織っていた。
生贄のための格好に対する是非はともかくとして、それなりに着飾り美しい姿であることは間違いない。
もちろん衣装だけではなく、烏の濡羽色をした艶やかな黒い髪や知性や優しさを感じる黒い瞳、シミがなく透明感のある白い肌と、幼いながらも整った顔立ちと、衣装以上に美しく見える。
白く細い指先がツンツンと俺の足をつつく。
「……俺でいいのか?」
この後に及んでそんなことを口にする俺に対して、ニエは真白い衣装を見せつけるように動かす。
「私は、カバネさんの贄ですから」
ニコリと微笑んだニエに思わず見惚れてしまう。
俺は迷いなく頷いたニエに、ただコクリと頷くことしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます