第76話徳川家基10

「今回は色々と手間をかけさせたな」


「勿体ない御言葉でございます」


 詫びなど必要ないから、いちいち御城に呼び出すのは止めてくれ、心底そう思う。

 だがそんな事を口にするわけにはいかないから、無難な事を口にする。

 我が困っているのだから、事あるごとに一緒に呼びだされる熊吉も同じだろう。

 可哀想だが、これも西ノ丸様の命令だから仕方がない。


 事の始まりから半年経って、多くの旗本が改易処分となり、西ノ丸様の新しい側近が任命され、番方の改革が終わって、遂に我の処分が決まったのだ。

 普通なら、我を食客としている御老中や白河公に処分が言い渡される。

 我が会うのは御両所のどちらかだと思っていたのだが、事もあろうに西ノ丸様様から直々の御沙汰があると、相良田沼家の我の長屋に使者が来たのだ。


 非常に怪しい。

 あの御三方が何か企んでいるのは明白なのだが、今の我は、江戸を売って逃げる訳にも行かない立場となっていた。

 銀次郎兄上の家族と、おいよさんの家族が幸せそうに暮らしている。

 我が逃げたりすると、その幸せな暮らしが終わってしまうのだ。


 我は痛感した。

 人間しがらみができると、生きたいように生きていけなくなると。

 それでも、なにがなんでも、御城勤めだけは回避したい。

 自由気ままに生きていけなくなるのは、真っ平御免だ。


「余もいい勉強になった。

 主殿頭とも色々と話した。

 余が誤解していたことも分かった。

 そこでだ、お前を余の剣術指南役に任ずることにした」


「恐れながら申し上げます。

 我は至って不調法にして、御城勤めをするとまた問題を起こしてしまいます。

 確実に切腹を賜る事が分かっていて、御役を頂くわけにはまいりません。

 それに、我は既に御様御用の御役を頂いております。

 御様御用は浪人でなければいけないのではありませんか。

 我は武芸を極めたいのでございます。

 そのために御老中や白河公の御誘いをお断りし、食客として剣術指南役にしていただいているのでございます。

 その我を召し抱えるとなれば、御両所の面目を潰すことになります。

 平にご容赦願います」


 ここは絶対に断らなければならない。

 どう考えても腹を切る未来しか思い浮かばぬ。

 どれほどの言い訳やこじつけを口にしようとも、絶対に御辞退する。

 第一、西ノ丸様の剣術指南役になってしまったら、極貧の生活になって、家臣達を喰わしていけなくなる。


「分かっておる。

 その事は主殿頭と越中守に相談して、上様の許可も取った。

 何の心配もする事はない。

 これまで通り、市井で道場を開いて武芸に励むがよい。

 余の元には八日に一度武芸を教えに来ればよい」

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