第53話拐かし14
「わっはははは、それは愉快じゃのう。
槍をとっては天下無双の藤七郎も、女人に迫られては敵わぬか。
藤七郎の思わぬ弱点が分かったわ。
いや、これは本当に愉快じゃ」
白河公が本気で笑っておられる。
我の艶話を酒の肴にするとは人が悪い。
御老中も山名様も愉快そうにされている。
硬くなっているのは、思いがけずこのような席に呼び出された、銀次郎兄上と虎次郎殿だけだ。
あれではせっかくの八百善の料理も何を食べているか分かるまい。
「それで銀次郎、そのつやという娘はどうなったのだ。
藤七郎恋しさのあまり、八百屋お七のように火でも放たれた大変だ」
御老中がとんでもない事を口にする。
冗談にもほどがある。
いや、冗談ではないのか。
本気で女人の情念を心配しているのか。
我には全く理解できない事だ。
「は、御老中。
無理矢理実家に帰らせまして、父親の甚平にも事情を話し、さる旗本の家で行儀見習いをさせております。
正室に迎えるかどうかはこれからの話ですが、藤七郎先生に道場を建ててくれるというので、側室くらいにはしてもよいかと、家族で話し合っております」
銀次郎兄上が堅苦しい話し方で御老中に説明している。
我の結婚は、古希を迎えても未だ矍鑠としている父甚太郎と、立見家当主の金太郎兄上に決める権利がある。
普通に田沼家か白河松平家に仕官していれば、御老中か白河公の許可を頂かなければいけないが、三家同時に武芸指南の御役を頂きにあたって、仕官ではなく客分扱いとなっていたので、無理に許可を頂かなくてもいいのだ。
まあ、礼儀としてこうしてご報告しているのだが。
「残念だ。
本当に残念だ。
藤七郎がそれなりの旗本ならば、少々無理をしてでも娘を嫁がせるのに。
どうにかなりませんか、御老中」
山名の殿様がとんでもない事を言いだした。
姫様方は内緒で我に着物を届けてくれている心算でも、殿様には筒抜けのようだ。
冷や汗が出てきてしまうではないか。
「何とかしてあげたいのだが、身分が違い過ぎる。
上様か西ノ丸様が藤七郎の噂でも聞きつけて興味を持って下さったら、御目見えさせる事もできるのだが、私が勧めると反対する者が出てきてしまうのだ。
誰かが藤七郎の事を話すのを待っていたら、何時になるかわからん。
それでは姫達が婚期を逃してしまうかもしれん。
『釣り合わぬは不縁の基』とも申す。
ここは姫達に諦めてもらうしかないのではないか」
御老中まで、鶴様と蘭様が我に着物を届けてくれているのを知ってるようだ。
全身から汗が噴き出してきた。
これではまるで拷問ではないか。
銀次郎兄上と虎次郎殿を道場の師範代にして、代稽古を頼むことがあると報告するだけの心算だったのに、どうしてこんなことになってしまったのだ。
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