24話「ブルームーン」




   24話「ブルームーン」




 

 デートの帰り。

 すっかり夜になり、住宅街にある菊那のアパートはひっそりとしていた。


 菊那の家には、樹が来てくれていた。

 彼が菊那の部屋に来てくれるのは初めての事だった。樹の屋敷よりもかなり小さいアパートの1室。刺繍の道具や材料も多いため、雑多としているのがとても恥ずかしかった。けれど、樹は「菊那さんらしい部屋ですね。お花がモチーフなものが沢山あります」と、菊那が作ったものや雑貨などを褒めてくれた。

 菊那が出した、樹から貰った紅茶を飲んだ後、2人は狭いベランダへと向かった。



 「土に肥料も混ぜてありますね。それなら大丈夫です。1、2センチぐらいの穴なので………それぐらいですね。そのに2.3粒入れて。……このプランターなら、3ヶ所に蒔けますね」

 「………穴をあけて……ここらへんだね」

 


 菊那は樹のアドバイス通りに土に穴をあけて、種を巻いた。白と黒の縞模様のあの種を。




 「そして、土を被せて……」

 「はい。後は多めに水をあげてください。そして、陽の当たる場所に置いて日光を浴びせてあげればきっと芽が出てきますよ」

 「………楽しみだなー。今度こそ、向日葵が咲くんだ………」



 まだ種を蒔いたばかりのプランターを見つめながら、菊那は期待の視線を向けていた。



 デートの終わりは、日葵から貰った向日葵の種を一緒に蒔く事になったのだ。

 今回は向日葵畑で育てている日葵から貰ったのだから、必ず芽が出るだろうとわかってはいる。けれど、何年続けて失敗していたので、不安があったのだ。そのため、菊那が樹にお願いして見て貰う事になった。



 「大丈夫ですよ。この、向日葵は咲きます。ミニ向日葵でしょうから可愛らしい花が咲くはずです」



 不安そうにしていると勘違いしたのか、隣に座る樹が菊那の頭を優しく撫でてくれた。大丈夫、と彼を心配させないように返事をしなければいけないと思いつつも、それが嬉しくて黙って撫でられてしまっている。



 「無事に咲いたら写真撮って送りますね!」

 「………送りますではなくて…………?」

 「送る……ね?」

 「そうですね。……間違えたらペナルティーにしますか。間違える毎にキス1回とか」

 「………じゃあ、樹さんも間違えたペナルティーだよ?」

 「なるほど。それは菊那からキスをしてくれると言う事ですか?」



 ニヤリと企んだ笑みを見せてそう言う樹に、菊那はハッとしてしまう。



 「………違うよ!紅茶を御馳走してもらうの!」

 「なるほど。……あなたになら何杯でも御馳走したいので、それはペナルティーにならないですね」

 「それなら……私だってペナルティーにならない…………」

 「………あなたは……………。本当に可愛いことを言ってくれますね」



 少し生意気な事を言ってしまったな、と緊張してが、樹は少し驚いた顔の後、笑ったので安心をした。


 菊那は彼を見上げる。

 こうやって、甘え方まで覚えて彼を求めてしまうなんて。

 自分の変化に驚きながらも、菊那は樹の顔が近づくとゆっくりと目を瞑った。


 



 毎年、ビクビクした気持ちで不安な気持ちのまま迎えていた夏。

 けれど、今年からは違う。

 

 黄色の花の成長を楽しみにしながら、夏を待つ。

 そんな明るい夏が見えるような気がして、菊那は微笑みを浮かべながら彼の唇の感触を待ったのだった。







 樹との関係も、そして菊那の刺繍の売れゆきも順調で、晴れやかな気分で日々を過ごしていた。

 カフェの仕事では、仕事仲間に「最近楽しそうだね。彼氏でもできた?」と、見事に見破られてしまいあたふたしてしまったほどだった。


 その日は「今日は半休つかっていいよ」と、午後から急な休みになった。ほとんど休みを使っていないため、店長が休みをくれたのだ。

 帰って作業をしたい気もしたが、カフェのサンドイッチやパン、コーヒーなどを差し入れに貰ったので、菊那の足は自然と自宅とは逆の方へと向いていた。

 



 見慣れた風景を歩く。

 すると、遠くから大きな透明な屋根がある屋敷が見え始めた。

 もちろん、菊那が向かっているのは樹の屋敷だった。仕事でいないかもしれないので、連絡はせずに向かう事にした。居なければ、残念だが帰ればいい。仕事の邪魔はしたくなかった。



 もう少しで彼の屋敷へと続く袋小路に続く道へ到着するという所で、何かを大きな声が聞こえた。男性の声だ。


 菊那は、その声の方へゆっくりと向かうとそこは樹の花屋敷がある方だった。




 「だから、史陀………そろそろ止めて、話を聞いてくれ」

 「………うるさいですね。私は何度もその話はお断りすると言っているでしょう?その事ばかり話すのなら、帰っていただけませんか?」

 「いい加減、目を覚ませっ!お前は何のためにこの庭を作ってるんだ?」

 「帰ってください………。花を金としか見ていない男に来てほしい場所ではないんですっ!」



 距離が離れていてもわかる。

 樹の声が怒り、大声を上げている。菊那の聞いたことのないほど低く冷たい声だ。冷静を保とうしているように聞こえるが、心は荒れているのがわかる。そして、こっそりと彼を盗み見た時に見えた、彼の鋭い視線。

 近くで見たら、きっとすくんでしまうほど冷たく黒いものだった。


 怖いはずなのに、その場所から離れられない。菊那は樹が門の扉をバタンッと大きく音をたてて乱暴に閉めるのを、影から呆然と見ていることしか出来なかった。




 「そうじゃなくてっっ!………ったく、最後まで話をきけばいいものの」



 樹と言い合いになっていた男性は、頭をかきながら独り言を残し大きくため息をつくと、屋敷を見上げた。そして、ゆっくりと菊那がいる方へと歩いてくる。

 少し茶色が混ざった髪は短髪。黒のスーツを着て、首元は開いており、ネクタイもゆるんでいる。がたいがよく、樹よりも長身の男だ。今でも何かのスポーツをして鍛えているようにも見える。


 そんな男と菊那は何の事を話していたのだろうか。考えていると、菊那はハッとした。ここにいては、その男と鉢合わせをしてしまう。すぐにその場所から逃げようとしたがすでに遅かった。



 「あぁ!君は、この間もここに居たよね?!史陀のお友達かな?」

 「えっと、その………この間って………」



 その男性はいつかも菊那の事を見ていたようだ。だが、菊那は全く覚えていなかった。初対面の男性にそう言われてしまい、菊那が少し警戒をしてしまうと、男性は「ごめんごめん!怪しいよな、俺」と、言うと、笑みを浮かべながら自己紹介を始めた。



 「俺は尾崎。史陀の大学からの友人なんだ。さっき、見たって行ったのは、少し前に小学生ぐらいの男の子と3人で居た時かな。用事があったんだけど、何だか話しかけにくかったからそのまま帰ったんだ。その時に君を見たんだよ」

 「そうでしたか……樹さんのお友だち……」

 「君の名前は?」

 「春夏冬菊那です」

 「菊那ちゃんね。……もしかして、君って、史陀の恋人?」

 「えっ」



 グイグイと話を進める尾崎にのせられたまま話を進めてしまう。

 そして、関係を聞かれてドキッとして、何と答えればいいのか迷ってしまった。けれど、その間が肯定を意味していると尾崎は敏感に察知してしまった。



 「へぇー……君があいつの恋人ねー」



 尾崎が菊那に近づき、じろりと顔を見つめた。

 中性的な樹とは違う、男らしさが感じられるかっこよさがある尾崎との距離が近くなり菊那はドキッとして、視線をそらす。

 どうして、この人は自分にからんでくるのか。そして、樹と何を言い合っていたのか。気になる事は沢山あった。

 けれど、見ず知らずの尾崎に聞けるはずもない。



 「あの………尾崎さん……近いです………」

 「…………君、もしかして……」

 「ぇ………?」



 何かを感じとったのか、目を見開いた後に、尾崎はニヤリとして「なるほどねー」と、含み笑いを見せながらそう言った。


 「可愛い菊那ちゃんに、1つプレゼントをあげようかな」

 「あの私、そろそろ…………」

 「史陀の秘密を知りたくないかな?」

 「………樹の秘密………」



 その言葉に菊那を思わず後退しようとした足は止まってしまった。

 尾崎は樹の大学からの友人だという。と、なると菊那の知らない事、樹が話してくれない事を知っているのではないか。

 そんな期待感を持ってしまう。



 「あなたから聞く事ではないと思います」

 「確かにそうだね。史陀本人から聞くべきだ。けど、史陀は話してくれると思うのかい?」

 「…………それは……」

 「だから、僕からプレゼントだ」



 迷ってしまった菊那に、尾崎が手渡したもの。それは1輪の花だった。彼がバックから取り出したのは、ピンク色が混じった紫の花だった。触角のような長いものが花から出ており、小さな花が何個も咲いている、とても豪華な花だった。


 菊那はそれを受けとるのは躊躇ってしまう。すると、尾崎はすぐに「大丈夫。これは史陀の庭に咲いていた花だよ」と教えてくれた。

 菊那は恐る恐るその花を受けとる。なぜ、尾崎がこんな事をするのか考えが読めないのだ。




 「………それじゃあね。ヒントはその花」




 そう言うと、尾崎は小さく手を振りながら住宅街の道を歩いて行ってしまった。

 残されたのは菊那と紫の花だけだった。




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