8話「ハニーディジョン」






   8話「ハニーディジョン」






 3人が病院に到着すると、1人男性が病院の前に立っていた。白衣は羽織っていないものの、社員カードが首にかけられており、この病院の人だとわかる。その男性が紋芽の父親だとわかったのは、紋芽が「父さんっ!」と呼んで駆け寄ったからだ。彼の父親は紋芽に気づくと笑顔を見せたが、その後ろに見知らぬ男女が共に居る事に怪訝な表情になった。


 樹は屋敷の花を盗んだという事は言わずに、「紋芽さんが探しているお花の場所を見つけたので、花束をプレゼントしたのです」と父親に伝えると、彼はとても驚き「ご迷惑をおかけしました」と、何度も頭を下げた。父親は、花代を樹に渡そうとしたけれど「誕生日プレゼントなので受け取れません」と、やんわりと断り紋芽の母親が早く良くなるなりますようにと2人で伝えると、樹と紋芽は紋芽と別れて病院を後にした。



 「紋芽くん、とても嬉しそうでしたね」

 「そうですね。彼が探していた花を見つけられたようで、よかったです」

 「………樹さんは、すごいですね」

 「……すごい、とは?」



 病院の駐車場に戻り車の中で樹と菊那はつい話し込んでしまった。

 それに菊那は少し焦っていたのかもしれない。もう、この時間が終わってしまうという事に。



 「紋芽さんと同じ目線で話して、一人の人として対等に見ていたんだなって。だからこそ、紋芽くんを叱ったとしても、紋芽くんは樹さんの言葉をしっかりと受け止めていたんだなって………。樹さんは、私に手伝って欲しいって言ってくれましたけど……私は何もしていませんでした。出来なかった。樹さんは紋芽くんの心をしっかりと受け取っていて………笑顔まで引き出せて。本当にすごいなって思ったんです」



 どうやって紋芽と話していこう。

 彼の辛さを受け止めきれるか。そんな不安だけが先に出てしまい、どこか腫れ物に触れるようにビクビクとしてしまっていたのかもしれない。

 だからこそ、大人と同じように対応し、それでも子どもへの配慮も忘れない樹を心の底から「すごい」と感心していたのだ。

 本当は伝えるはずじゃなかったけれど、口を開いてしまえば、その事が言葉になって出てしまった。

 本人を目の前にして言うの恥ずかしかったけれど、ここまできてしまえば彼に伝えるしかない。菊那は樹の真っ黒な目をジッと見つめて、自分の思いを伝えた。

 すると、彼の瞳が少し揺れたのがわかった。そして目がすっと細くなり、彼が微笑んでくれた。



 「そこまで考えてくれたのですね。ありがとうございます。ですが、私は自分の目的を果たすために必死だけだったのですから……そんなに褒められた事ではないのですよ。花1輪、誰にも譲れない男なんですから」

 「譲れないものは、みんなあると思いますよ。もしない人がいるのならばら……私はある人の方が「大切」を持っている素敵な人なのだと思います」

 


 何でこんなにもムキになってしまったのか、自分でもわからなかった。

 もしかしたらば、樹の行いを本人だとしても悪く言って欲しくなかったのかもしれない。紋芽は樹と出会った事で、あんなにも嬉しそうな笑顔を見せたのだから。




 「………ありがとうございます。そして、花泥棒探しも無事に終わりました。菊那さんのおかげです。紋芽さんも菊那さんの隣だと安心していたようなので、最後までお付き合いいただけて感謝しています」

 「いえ………そんな………」

 「それでは、先ほど話した通りに、デートにお誘いしても?」

 「………え………」



 まさか、先ほどの話が続いているとは思わず、「デート」という言葉が出てきて、体がビクッとなるほど驚いてしまう。

 そんな反応をみた樹は優しく笑い、「お礼においしいものをご馳走させてください。この時間ですとランチは早いのでお茶にしませんか?」と、誘ってくれたのだ。そんな彼の言葉を拒否するはずもなく、菊那は「はい………」と返事をするのだった。




 彼が連れてきてくれたのは、ビルの地下にある小さな店だった。地下だというのに、吹き抜けの中庭があり、明るい雰囲気の店で、入った瞬間に甘いお茶の香りが出迎えてくれた。

 席に着きスタッフがメニューを渡してくる。樹はそれを受け取り、菊那に見せながらお店の事を教えてくれた。



 「ここは紅茶の専門店なんです。時々こちらに来ていろいろな紅茶を飲むのが楽しみなのです。こちらのスコーンやケーキもおいしいので、菊那さんにも召し上がっていただきたいと思いまして……」

 「ありがとうございます。樹さんは紅茶がお好きなんですね。私は全くわからなくて……」 

 「はい。大好きなんです。………それでは、紅茶は私が選びますね。菊那さんは、ケーキは何がいいですか?」



 菊那がケーキを選ぶと、甘いものに合う紅茶を教えてくれたので、菊那はチーズケーキと樹が選んでくれた紅茶を注文した。 

 生クリームが添えられたチーズケーキは濃厚であり菊那はすぐに気に入ってしまった。そして紅茶を飲んだ瞬間、思わず「あっ」と声が出てしまった。

 すると、樹は嬉しそうに「気に入りましたか?」と言ってくれる。



 「その紅茶は少し渋めですが、甘いケーキなどにはよく合いますね。バラのような花の香りが楽しめるフレイバーなので、私も好きなんです。スリランカのディンブラという紅茶です」

 「ディンブラ……今度おうちでも買って飲んで見ます」

 「こちらの店にも茶葉は置いてると思いますので、買って帰りましょうか」

 「ぜひ!」



 あまりに美味しい組み合わせに興奮してしまい、紅茶の香りをかいだり、色を見たりしていると、目の前に座っている美男子はとても嬉しそうにその様子を見ていた。自分の選んだものを喜んで貰えて嬉しいのだろうか。けれど、嬉しいのは菊那の方だった。気になっている相手が選んでくれたものが自分もとても美味しく感じたのだ。ただ選んでくれただけでも嬉しいというのに。


 そう、この時間が終わってしまえば、樹とはもう会うことがないのだ。ただ、花泥棒探しをする間だけの関係なのだから。

 きっと、スマホに残された彼の連絡先やメールを眺めながら夜は寂しくなる日が続くのだろう。連絡しようとしても、ボタンを押せない。そんな切ない日々を。


 先ほどまであんなにも心が弾んでいたのに、菊那は胸が締めつけられ苦しくなる。今は目の前で綺麗な笑みを浮かべて紅茶を飲んでいる樹だが、もう次の予定などないのだ。デートに誘うというのも冗談で、このお礼のお茶会だけの事なのだと菊那だってわかっている。

 夢から覚める時間なのだろう。

 菊那はフォークでチーズケーキを小さく切り、口に運びながら目を伏せた。



 「菊那さん。私はあなたの事がとても気になっています」

 「……………ぇ…………」


 

 どうしてこの時に彼の顔を見ていなかったのだろうか。後からそんな後悔が生まれてくるほどに、その言葉は菊那にとって驚きであり衝撃であった。

 自分の事を「気になって」くれているのだ。それは、菊那が樹への思いと同じなのだろうか。そんな微かな期待を持ってしまうぐらいにその言葉は菊那にとって嬉しいものだった。




 「だから菊那さんの事を教えてくれませんか?」

 「私の事………」



 樹はティーカップから手を離し、テーブルの上に両手を組んでゆっくりと置いた。

 そして、スッと菊那を見つめる。



 「紋芽さんの事は無事に解決しました。次はあなたの番です」

 「………ぇ………」



 「菊那さんが私の所に来た理由はなんですか?」





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