3話「チョコレートサンデー」
3話「チョコレートサンデー」
「それでは、お時間ある日や時間帯を教えていただけますか?それとも今から追いかけたほうがいいでしょうか?早いとありがたいのですが、ダメでしょうか?それに………」
菊那が驚きすぎて言葉を失っていると、それを了承したと勘違いしたのか、樹が話しを始めてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください。あの、まだやると決めたわけでは………」
「そうなんですか?私はその少年の顔を見ていないので、菊那さんに手伝っていただかないと困るのですが……」
「それはそうですが、私にも都合というものが………え………っと?」
何とか言い訳を考えて逃げようと思っていたけれど、フッと自分の腕が冷たくなったのを感じ、そちらに視線を向ける。すると、菊那の左手首に樹の手が添えられていたのだ。いや、がっしりと掴まえていたと言った方が正しいかもしれない。
菊那は恐る恐る彼を見上げると、バチッと目が合った。樹は怖いほど綺麗な笑みを浮かべて伏せ目がちでこちらを見ていたのだ。
「菊那さん、逃がしませんよ?」
「っっ!!」
きっとこれが恋人同士なら嬉しい状況と台詞なのだろう。
美男子であり、紳士的できっと優しい。そして、地位も高い方なのだろう。喜ぶべきシチュエーションのはずなのだ。
けれど、菊那はドキドキした気持ちを感じつつも、怖さを感じてしまった。猫に首の後ろを捕まれた鼠の気分だった。捕まってはいけない相手に捕まってしまったという感じだった。
けれど、菊那が見つめた樹の瞳を見ていると不思議だった。少し潤みキラキラと輝く黒の宝石、オブシディアンのようだった。きっとオブシディアンのように綺麗さに隠れて鋭いものを持っているのだろう。
拒否する事など出来るはずがなかった。
「……お役に立てるかわかりませんが………私でよければ……」
「本当ですか?ありがとうございます!感謝致します」
樹は掴んでいた手首を離したと思うと、今度は両手で菊那の手を繋ぎ、ブンブンと振って喜びを表していた。
計算高い人なのかと思えば、こうやって素直に手を振って喜ぶ姿を見せる。目の前の美男子はよくわからないな、と菊那は思った。
こうして、何故か花泥棒の少年探しを手伝う事になった菊那は内心で大きなため息を溢したのだった。
「その少年はどうして花を盗んだのでしょうか?しかも、チョコレートコスモスという茶色の花を……。菊那さんはどう思いますか?」
少年を見つける作戦を立てようという話になり、樹はそう質問してきた。
男の子が花が好きな理由は?素直に考えれば答えはひとつだった。
「女の人にプレゼントするためでしょうか?チョコレートコスモスというとバレンタインを思い浮かべますけど、今は時期的に遅いですし……」
「バレンタイン……なるほど、思いつきませんでした。女性の視点は面白いですね」
樹はそう言うと、クスクスと微笑みながら、少し冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。そして、短い時間考えてた後、口を開けた。
「私も誰かにプレゼントするのではないか、という考えに賛成です。ですが、もし女性に贈るのであれば、どうして華やかな色ではなく、わざわざ茶色の花を選んだのか、というのは不思議な所ですよね」
「確かにそうですね………」
「ですが、プレゼントをするのに一輪というのは寂しい気がしませんか?」
一輪の花をプレゼントするというのも素敵だけれど、確かに少し物足りない気もしてしまう。特に女性に花を贈る時は『花束』というイメージがある。
と言う事は……そこまで考えて菊那はハッとした。
「もしかして、またこの花屋敷に花を取りにくるかもしれない………っ!!」
「そう、私も思います」
菊那が考え付いた事を思わず大きな声で言うと、樹はにっこりと優しく微笑んで同意してくれた。彼が答えに導いてくれたのに、答えを譲ってくれたのだ。やはり、彼は紳士だなと菊那は思い、心の中で感謝をした。
「その少年はいくつぐらいでしたか?」
「たぶん、小学校低学年ぐらいかと………」
「そうなると、平日の午前中に来ることはないでしょう。それに今日は休日ですしね」
「では、次の休日か平日の夕方になりますね」
夕方には仕事は終わっているが、いつ来るか、そして来るかわからない少年を毎日待つのは時間が取れない。休日のみに狙いを定めよう。そう伝えようとしたが、すでに遅かった。
「それでは………こちらを菊那さんに渡しておきますね」
紙に何かを書いた後、菊那にそれを渡した。それは名刺だった。
「………大学教授………」
「はい。専門は植物病理学や、樹木学などが専門です」
「植物病理学……難しそう……」
「植物の病気の感染から、農作物を守るための対策を考えたり……まぁ植物のお医者さん的なイメージだと思います」
「植物のお医者さん……。だから、この家も花が沢山あるんですね。樹さんは花がお好きなんですね」
「………そう、なんですかね………」
きっと満面の笑みで「はい」と答えてくれると思っていたが、菊那の予想とは違って樹は曖昧な返事をした。
草木が好きなだけで、花は違ったのだろうか、と菊那は思った。
「その名刺の裏に私のプライベートの連絡先を書きましたので、連絡をください。花泥棒の少年らしき人が屋敷をうろうろしていたら、すぐに連絡致しますので」
「え………」
貰った名刺を裏返すと、確かに電話番号とメールアドレスが書かれていた。
「連絡、よろしくお願い致します」
「………はい」
今まで出会ってきた人の中で1番のイケメンであり好条件な男性である樹と、連絡先を交換した事はかなり嬉しいはずなのに、菊那は素直には喜べなかった。
名刺を持ったまま固い表情で笑みを浮かべて返事をするしかなかったのだった。
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