一.愛しき我らがホーム

   一.愛しき我らがホーム


 かつて箱根と呼ばれた地域の地下に用意されたジオフロント、通称“ホーム”の強固なセキュリティゲートをくぐると、レイジは除染装置へと歩を進める。三度に渡る除染シャワーの噴出する通路を通ると、そこでようやく防毒マスクとケープを外した。

 露わになった顔立ちは精悍だが、無表情であり、思考を誰にも読ませない雰囲気を持っていた。サイドを短く刈り込んだ黒髪を生やした頭部の左には、切創による二本の線が走っており、よりいっそう、常人を近寄りがたく感じさせる。


 壁面から突き出た所定のケースにマスクとケープが納められると、それらはすぐさま壁に吸い込まれていった。行く先は工業区の研究者や技術者のところだ。外界の有毒雨や汚染物質の変化、また、使用感の向上を求めた実地のデータを調査するには、そういったサンプルが必要なためだ。しかし、ここ数年でわかったことは、「東京に降る雨は、変わらず重金属等を含む、有毒なものであり続けている」ということでしかなかった。


 レイジはエレベータ横の端末へと近づき、ケーブルを首の後ろにある記憶素子ジャックへと挿入した。微弱な電流が流れ、頸部の筋肉が短く痙攣する。彼の視覚の右下に文字列が踊った。


『クリーナー:レイジの帰投を確認。記録のコピーを行います』そして、まさに瞬く間に文面は消え、『完了しました。それでは接続を解除してください』との文字が現れた。


 ジャックからケーブルを抜き取ると、レイジはシャッターの空いた小規模貨物用エレベータへと搭乗する。ごうん、ごうん、とフェンスに囲まれた空間は地下深くへと降下していく。五秒ほどでフェンスの向こう、眼下にはホームの全景が広がった。エレベータは壁面の曲線をなぞるように降りていく。


 巨大な半球状に掘削されたジオフロントの中央にある塔を、レイジは見た。統括区と呼ばれる領域には、塔を中心とした同心円状に森林が広がり、緑を貫くように四方には各区画へと続く道路が走っている。ライフラインの要、工業区。生活の基盤である、居住区ならびに商業区。そして、これからレイジが降り立つ、医療区。それらは秩序立った建造物の群れにより埋もれており、半球の天井の映す疑似太陽光を受け、輝いていた。


 エレベータが停止し、シャッターが開かれると、レイジはその足で医療区の中でも厳重なセキュリティに守られた“帰還者用除染室”へと向かう。外界から新たな有害物質を持ち込ませないための検疫機関が、そこにはある。


「お帰りなさいませ、クリーナー:レイジ。IDのチェックを行いますので、しばしその場に留まってください」


 殺風景な白い部屋には、たった一体の受付アンドロイドがいるだけで、待合室然としたソファなどもない。そのアンドロイドにしても、腰から下は一本の円柱状移動ユニットしか着けておらず、手抜きの感を見る者に与える。総じて、帰還者に対する扱いがいかにぞんざいであるかを感じさせるには充分な環境だ。事実、ある程度安定したホームでの生活に慣れてしまった人間たちは、クリーナーをはじめとした帰還者たちを「汚いもの」として意識から除外している。わざわざ危険を冒して追放の地、東京に足を運ぶ必要性がない。これが共通見解のようだった。


 レイジの識別ナンバーが呼び出され、今度は無線接続により視界の端に一瞬、認証のコードが流れた。意識をそこに集中させると、コードは翻り、進入可、の文字が表れる。同時に部屋の奥の扉が解錠された。


「やあ、やあ。レイジくん。お入りよ」


 扉の向こうから検疫官のくぐもった男の声。それに従って歩み、レイジは声の主と対面した。


「今日はあんたか」


 両手を芝居がかった様子で広げて迎え入れたのは、ミディアムレングスの髪に、一房の紫がかった毛束を混じらせた白衣の男だった。歳の頃は三十路手前といったところか。長身痩躯の白衣の前は開けられ、しゃれたクレリックシャツが覗いている。


「そうさ、わたしだよ。アイザワだ。意外だったかな? サプライズっていうのはいいもんだ。人生の彩りというのは意外性から生まれる」


「代わり映えしない穴ぐらにこもっていて、彩りも何もないだろう」


「おや、おや。ぶっきらぼうだね。それでもこうは思わないかい? 何もないところに価値を見出せるのが人間の長所だ、と。想像し、創造し、そこに価値を見出せるのが」


 レイジはそれに応えず、横をすり抜けようとするが、しかし、アイザワが隣に並び歩き始めた。


「いけないね、レイジくん。拾得物は一度わたしらの手に委ねる必要がある。隠しているものがあるだろう」


 そうして、やおら手を差し出し、提出を催促する。レイジは立ち止まると、防染服の前ジッパーを開け、胸元にしまっていた掌に収まる程度の小箱を取り出した。それは、汚染を免れた地下倉庫で眠っていた紙巻煙草のパッケージだった。それを認めるとアイザワは満足げに頷き、一度検めると、すぐに返却した。


「未開封、か。良いものを見つけたね。しかも外国産の銘柄じゃないか。これは闇で流せば一箱でも良い値がつくだろう」


「回収しないのか」


「有害物質嫌いのホームの、しかも統括区の人間に見つかったら賢人脳会の判断なしで廃棄されてしまうからね。お堅い連中がそんなことをするのは面白くない。それに、ここだけの話」アイザワが顔を近付け、茶目っ気のある表情で言う。「ぼくも以前はその銘柄が好きでね。見逃す代わりに一本恵んでもらおうとでも思っているんだ」


 東京の天候制御装置が暴走してから十三年経った。そして、ホームの清浄化委員会が発足してから七年が経過しているが、煙草やアルコールの類は真っ先に有害危険物品として規制が行われていた。いまや喫煙は趣味嗜好の対象でなく、忌避すべき行為のシンボルとさえされている。


 レイジは無言で、紙巻煙草を未開封のままアイザワへと押し付けた。


「おや、いいのかい。口止め料としては結構な対価だ」


「あんたの倫理観や価値観は知らないが、面倒が避けられるならそちらを選ぶ」


 無愛想にすぎる態度でレイジは検疫室を後にする。受け取った煙草を一本だけくわえ、鼻歌交じりとなったアイザワだけが残され、二重の自動ドアが開く音が連続した。


 用事を済ませてから足を運んだ、工業区の片隅にある開発室の中で、レイジは事の経緯を話した。すると、眼鏡をかけた男が、呆れた、と言わんばかりに、半端に伸びた髪の毛を横に揺らした。細身にマッチしたジーンズとカッターシャツの上で、癖の強い髪の毛だけがややアンバランスだ。


「それでせっかくの貴重品を分けてやったっていうのかい? はあ……君ってやつは本当に……。なんならいつもの方法でソラに預けてくれればよかったのに。彼女ならダクトをすり抜けてここまで持ってこられたじゃないか」


 レイジの装備品のメンテナンスや“目的達成”に協力している彼は、ナガレと自称するメカニックであり、同時にプログラマでもあった。


「あのアニマロイドを」


「ソラ、だよ。レイジ」


 ナガレは、デスクの上に香箱座りをしている銀色の猫型アニマロイドを、手の甲で軽く撫でながら訂正した。スリープモードのアニマロイド、ソラは、実物の猫よろしく喉を鳴らして顔を上げた。


「……アニマロイドを使いすぎるのも危険だと踏んだ。俺は記録上、地下倉庫を発見していることを隠蔽していないからだ。不自然が過ぎると行動の制限が増やされてしまう」


 ホームは厳格な面が強い。雨に汚染された日本国の中で、膨大な人口を保護する機関としては当然だと思う人間も多い。しかし、と反論する者もいる。曰く、保護ではなく管理である、と。事実、ホームの裏側に肉迫した立場を取っているクリーナーの一人であるレイジは、厳格さからくる、その無慈悲さを自らで体現していた。


 ホームにあっては秩序を乱す者を排するが常である。外部での活動が多いクリーナーは、その混沌の種を未然に摘み採れなかった場合に統括区から依頼を受け、追放、また、その後の処理までを任されていた。故に、クリーナー。故にgarbageである。


「記録の書き換えなんていつも僕らが協力しているじゃないか。何を今更、腰の引けたことを言うんだい?」


 レイジは、とある事情から業務外の活動が多い。しかし、先に述べた通り、規則に従順する者でなければ追放処分を免れることはできない。さらに外出者は、彼らの後ろ首に挿入されている記憶素子端末で行動の全てが記録され、帰還の後に検められる。


「アニマロイドが」


「ソラ、だよ」


「……アニマロイドが情報を書き換える時間を短縮する必要があった。それに、偽装データがただひたすらに徘徊している映像なのも、クリーナーとしては褒められたものではないと思ったからだ」


 いかなる優れたプログラマであっても、また、そのプログラムを有したAIであっても、限界はある。レイジの視覚、聴覚をも記録する記憶素子端末に干渉するにはいくらかの時間が必要であり、その上で情報のカバーを行うとなれば、相応に手間もかかる。


「だったら拾得物をくれてやった方がいい。面倒が避けられるならその方が賢明だ」


 幸いにして今回は話のわかる検疫官であったこともあり、偽装データにまで追及されることはなかった。 


「ふむ……。今回の検疫官はアイザワかい?」


 首肯するレイジに、ナガレはもう一度、ふむ、と考え込むそぶりを見せた。


「コネクションを作れるのならそれもまた、かな……。でも、今回の件はおいといて、 統括区の人間をあまり信用しないことだよ」


「そもそも、俺は誰も信用していない」


 ナガレは、やれやれ、と肩をすくめると、粗末なキッチンスペースへ入った。


「これから僕が淹れるコーヒーもどきも毒入りだからできれば飲まない方がいいよ、レイジ」


 皮肉った言葉をレイジは、しかし、受け流した。

 古いデザインの木製ドアに設えられたベルが鳴る。ドアが開ききる前に、声が部屋中に入り込む。


「おォ? レイジじゃねえか。お帰りなさいませご主人様、ってなあ!」


 声の主は、黒々とした太い髪を高い位置で後ろにまとめた青年だった。濃紺のゆったりとしたジッパー付きパーカーに、濃い褐色のワークパンツとスニーカーを合わせている。背には、いつも携帯している、PC内蔵のバックパックを背負っていた。


「ニカイドウ、もう少し声を抑えてもいいと思うぞ」


 同感だね、とナガレが追従すると、ニカイドウは「にししし」と歯をむき出しにして笑った。


「いやはやまったくホームの窮屈さったらねえからなァ! ちいっとばかしオレっちが元気なのがそんなに気に食わねえってえ話だ! 陰気が大事な素敵な、お、う、ち、っと!」


 言いながら、最後の言葉と共に、ニカイドウが靴の両かかとを床に三度打ち付ける。すると、きん、と空気に何かしらの変化が訪れた。これの正体を、レイジは知っていた。電波妨害装置の起動音と、加えて偽装情報の送信開始の余波を、記憶素子端末が拾っているのだ。可聴音域を超える高音がそれに付随している。


 近く施行されることになった、言論統制としか表しようのない音声傍受法への対策も済み、これで、“本題”に向かうための準備が整った。


「ニカイドウ、遅いよ。まったく。僕らだけで話を進めるところだった。それで?」


「急くなよナガレの兄さん、オレっちも医療区寄ってたんでなあ。ほれ、腎臓がアレでコレだろ。んで、まずは何より腰落ち着けてからだ。な? で、コーヒーできてるかァ?」


「毒入りならすぐ、だそうだ」


 ナガレからシンプルなマグカップを受け取ると、にししし、と嬉しそうにニカイドウは声を上げる。そのまま手近な椅子を引き寄せると、逆向きに座り込み、マグを目線より上に掲げた。


「もどきだから、まあ統括区の基準じゃあ毒物に違ェねえかもしらねェやな。……お、これ結構美味くなってるんじゃねえか?」


 ナガレが話を進めようと、組んだ腕の内側を指で叩いていたが、レイジはその口の端がやや嬉しそうに歪んでいるのに気付いていた。コーヒーもどきの栽培主が満足げなので、話はどうにも滞るだろうと踏んで、レイジが口を開いた。


「まずは報告だ。目標の足跡を見つけた」


「本当かい?」


 顔を、ニカイドウのマグカップからレイジの方に向けるナガレ。驚きの表情を隠せない様子だ。対して、ニカイドウは意外でもなさそうにマグカップを傾けている。


「どこだったんだァ? 確か今回の“お掃除”はあれだろ、渋谷か。まー、あの辺なら納得だァな。あ、兄さんおかわりな」


「garbageの持つ実弾銃の型がこれまでと違った。エイトボールの流通ルート外の型式だ。樹脂パーツ混じりの、AK−47。模造品の模造品レベルではあったが」


「つまり、中華製かな……。ふむ、国外からの極秘供給路かな? それで、どうしてそれが目標と関係があると?」 


 ニカイドウにコーヒーもどき入りポットを差し出すと、ナガレは訊いた。 


「今までだって銃器を持ったgarbageはいくらかはいたよね」


「ちょっと“質問”をした」


 言葉の意味を解して、ナガレの眉根が寄る。レイジはそれに気付いていたが、何ら反応を見せずに続けた。


「その模造品は海外製じゃなかった。東京内で作られていた」


「あァん? ンな与太話信じるってえのか?」


「アニマロイドに移し替えた映像を抜き出してみろ」


 ナガレは、ソラ、とアニマロイドの名を呼びながら、それの背中を指でなぞると、ホログラムで現れたキーボードにコードと指紋を認証させた。画面を三度スクロールさせると、ナガレは映像フォルダをスワイプしてホロスクリーンを拡大させた。ノイズのひどい映像は、荒い吐息と、鈍い殴打音から始まった。


『これをどこで手に入れた?』


 レイジの音声が流れ、モニタにはマスクを剥がれた男にさらなる拳の側面を叩きつける様子が表示される。馬乗りになった状態からの、パウンド、という行為だ。


『やめ、て、くれ……』


 男の顔面は目元が紫色になりかかって変形しており、事後には、倍に腫れ上がるであろうことを予感させる痕跡を持っている。


 こういった場合に、レイジはそれなりの才能を示す。話をさせる気にさせる、言語によらない表現法“ノンバーバルスキル”が、彼にはあった。取り分け眼球から外して周辺に打撃を加えたのも、下手に歯をへし折ってから喋らせるよりも話が円滑に行えるからだ、という利点があったのだが、そこに留意していたのではない。単純に狙いやすいから的が大きい部分を狙っていたに過ぎなかった。


『それで?』


『買った、んだ。カグラザカ、という、男だ』


「カグラザカ? ソラ、武器商人のデータベースを洗ってくれるかい?」


 映像を停止させ、ナガレが指示を出す。アニマロイドが「にあ」と鳴き声をあげて別のスクリーンを投影した。そして、即座に【Not found.】との文字を中央に走らせる。


「カグラザカ・ホノカで、一般人を検索しろ」


 レイジの指示を受けて、しかし、アニマロイドは反応を示さない。いくばくかの間を挟んで、ニカイドウが言葉尻を変えて同じことを言った。呼称「ソラちゃん」をつけて。


「『カグラザカ・ホノカ。東京都出身、女性。故人、十三年前に事故死。享年、四十三歳』か。レイジ、人にお願いする時は名前を呼んで、じゃないと」 


「……」


 ため息を一つ吐いてから、レイジはスクリーンの一部分をタップした。


「家族構成? ってことはもしかして」


 カグラザカ家の家系図を展開し、破線で繋がった男の名前に、指を沿わせるレイジ。


「そう、目標の妻だ。元妻、と言った方が正しいが。この関係性を無視するには、少々鈍感さが必要だと思わないか」


「別れちまった女房の旧姓を偽名に使った男、か。ンなことする理由がわかんねえが、まあ、無関係と言い切るのは早計だァな」


 ニカイドウはコーヒーもどきをさらにマグカップへと注ぎ、思案顔を作った。


「しかしだなァ、レイジよう。エイトボールも商売敵をそう放っておくかね。東京の銃火器流通の主だぞ? 買い手が自分のとこから離れるのは懐が痛むじゃァねえか」


「そうだね。粗悪品とはいえ実弾銃は追放者にとって心強い得物になる。ましてやgarbageのカースト下層に生きる者たちは、喉から手が出るほど欲しい凶器だ」


 ホームで通常利用される電子通貨を没収されたgarbageたちは、東京で独自の通貨を流通させている。だが、追放者としてほぼほぼ裸一貫で、降りしきる有毒雨の中を生きることを余儀なくされている人間に助け合いの精神などない。金がなければ作らねばならない。その方法は様々だが、最も手早いのは誰かから奪うことだ。そんな中で暴力装置を手にすることができれば、どれだけ生きやすくなるか。想像するに難くはない話だった。


 そして、ホーム製の防汚染コーティングでさえも、有毒雨の中では武器を長期的に防汚できるわけではないため、garbageたちの持つ多くの銃器に至ってはほぼほぼ使い捨てだ。多くの場合、製造コストが低ければメンテナンスをするよりも、粗雑だったとしても新品を買った方が安くつく。


「次の仕事ではカグラザカの名の男を追う。これまで以上に適切な受注とカバーストーリー選びが必要になる。頼めるな」


 ナガレが、誰に言っているんだい、という顔で肩をすくめた。


「今回の出征は三日だったね。それなら次の出発は六日後か。余裕で間に合わせてみせるよ」


 クリーナーには危険手当他、いくらかの労働義務の免除が与えられる。一日の仕事を行えば、二日の休息が許されており、その間は負傷箇所や肺など予測汚染部位の“修復”が行われる。第三等居住者のように日中は労働に縛られる、ということがなく、夜間の外出にも制限がない。


「ンで、ぼちぼちオレっちの話なんだが、完成したぞ。頼まれてたモン」


「もうできたのかい? さすがだね、ニカイドウ」


「ほいほい、ここに出でましたるは、携帯用生命ィ維持ィ装置ィ!」


 作業台の上に、どん、と置かれたのは、ニカイドウの背負っていたバックパックだ。彼はそれのロックをリモコン操作で開封し、PC部の間にねじ込まれていた中身を二人に見せた。


「これさえありゃあどんな人間でも脳みそだけ生かしたまんま持ち運び可能ってェ代物だ!」


「見た目は……タンクのついた布団圧縮袋だね」


「なんだそれは」


「にっししし、コンセプトはまあそっからなんだよな。旧世代の通販番組見てて思いついたわけよ。知ってっか、昔は布団ってのがえれえかさばるモンでよ」


「ニカイドウ」


 続きを、とレイジが促す。


「へえへえ。でな! これについてはもう取扱が簡単なんだわ!」


 首を切り落として頭部を詰め込むだけで、あとは自動的に、生命維持に必要な人工体液が循環する仕組みだ、とニカイドウは語る。それを行うだけでも非常に恐ろしい代物だが、三者は顔色を一切変えないのだった。その様子が、彼らの通ってきた道筋の血生臭さを物語っていた。


「これでようやく、目標を確保できる。ニカイドウ、よくやってくれた」


 レイジの言い方はぶっきらぼうだ。しかし、それに満足したように、ニカイドウは頭の後ろで手を組み、歯を剥き出しに笑うのだった。



 牧畜や農作ですら工業的な生産手段に成り代わり、細胞培養によって複製された食物は、高品質を謳うようになった。A5ランクの黒毛和種の牛ステーキなどがそれらの代表だろうか。商業区において小売店という概念は失われつつあり、無人機の宅配する食糧が多くの住民たちの食卓に上っているのが現状だ。そんな中でも衣類等の装飾品においては、商業区の“センター”に行けば、住民にも広い選択肢が与えられていた。


 センターの一角には、花屋がある。レイジは、そこで電子通貨のカードを切ると、一輪の花を手にした。そして、包装を求めず、無言でその場を後にした。その足は、最寄りの無人バス停留所へと向かっていた。彼の搭乗した、静音性の高いバスは、医療区へと向かう。「中央病棟前」とのアナウンスとともに、車両は停止した。


 受付のモニタで生体認証を済ませると、エレベータのモニタに面会許可コードを打ち込む。それは本来、一般面会客に知られることのないように秘匿されたコードだった。


 エレベータの籠から出ると、そこには二重の扉にロックされた病室がある。内部の様子を探ることはできないようにされていたが、レイジは気にする様子もなく、声を上げた。


「面会に」 


『住民等級を特A級と確認。解錠します』


 再びの生体認証により、ドアはその外見に反して軽やかに壁面に吸い込まれ、道を開けた。その先に広がるのは、ビオトープ。人工の、しかし、完成された、小規模な森だった。広葉樹林に近い水辺では、安楽椅子が揺れている。


 レイジはそちらへと柔らかな土を踏みしめ、進んだ。安楽椅子に座った人物が気配に気付き、ゆっくりと首を彼の方へと向ける。ティーンエイジャーの終わり頃に見える、黒い長髪の少女だ。ゆったりとした白いワンピースを着て、目元を少し細めて、力の抜けたような微笑みを浮かべている。


「あれ、お医者さんじゃないんですね」


「ああ」


「はじめまして。私は、えっと」


「君は、エマ。エマという名前だと聞いた」


「そうでした、えへへ。忘れっぽくて困っちゃうな」


 レイジは“もう何百回も繰り返した”やりとりをしながら思う。


 もう少しで彼女をここから出してやれる。彼女を救う。そして、再び歩み出せる。そのためなら、どんな犠牲をも払ってみせる。


 愛しい人のためならば。


 そうして、彼は両膝をつき、少女の前に一輪の花を差し出した。彼女の二十三歳の誕生日に贈った花と同じそれを。

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