第11話 魔獣氾濫・中編

 魔獣はマナが豊富で、肉体に浸透し筋力などがほかの動物と比べて圧倒的に高い。小さくとも、大きくとも保有するマナの量が同じならその脅威は変わらない。

 たかが人間が、そんな魔獣に立ち向かうには――


「……ふぅー……ハァッ!」

「グルァ!」


 同じように、マナで身体を強化するしかないのだ。体内にあるマナを循環させ、血を伝い全身に行き渡るように流し続ける。同時に体外に纏わりつかせて鎧のように体を保護する。

 そうすることでマナの続く限り、強力な力を手に入れる。


「魔術の適正だけ、高くて、よかった……っ!」

「グッルルァ!!」

「うおらぁ!」


 前足の爪で上から攻撃してくるので、剣を両手で振り上げ弾き飛ばす。未だに致命傷は負っていないのでなんとかなっているが、じり貧でしかない。


「く、ぅ……」

「ガァアアア!」

「しま――」


 弾き飛ばしたはよかったものの、あまりの攻撃の重さに腕が痺れてしまい硬直したところを虎の頭突きで木に叩きつけられる。

 肺から空気が吐き出され、内臓も傷ついたのか血反吐を吐く。


「ごほっ、げほっ……」

「グルウウウウアァァァァ!」


 好機と捉えた虎の魔獣が俺に、大きく口を開いて食らいつこうとしてくる。


「――アアア!!」


 俺はそれを避けることなく、真正面から立ち向かう。大きく口を開いているなら逆にこの件を突き立ててやる。

 そう意気込んで、まだ痺れる両手に活を入れて握りしめる。

 目の前まで迫り、獣臭く生温かい吐息が俺に吹きかけてくる。


「…………ぁ」


 そこで気付いてしまった。虎の魔獣の喉の奥に、ちりちりと何かが燃えているような、火の粉が舞うのを。

 俺を食おうとしているんじゃない。燃やして、殺そうとしていることに。いくら全身をマナで保護しているとはいえ、火傷ではすまないだろうと直感する。


「ゴアアアア!!」

「――ッッッ」


 間に合うはずもなく、俺は何もできないままその炎を浴びることになる。目を閉じ腕で顔守っているのに熱気が凄まじく爛れていく皮膚の感触が、痛みが全身を襲う。

 声も出せない。肺が喉が焼けてしまうから。だから歯を噛み締め、耐える耐える耐える。けど、いつまで? 延々と続く火炙りにとうとう目の水分が蒸発して、閉じている目がくっ付いてしまうほど溶けていく。


「……グルゥ」

「…………ぅぅ、ああああああああああ!!??」


 痛い、苦しい、叫ぶともっと痛い。でも叫ばないと痛みでおかしくなってしまいそう。肌が風に触れるだけで痛い。背中に当たる木の感触が痛い。爛れ落ちた皮膚と服が同化して気持ち悪い。叫ぶだけで喉が張り裂けて、血が溢れる。命が零れていく。


「はぁっ……はぁっ……」


 血が喉に張り付いたのか、呼吸が荒くなる。


「グルルルゥ!」


 倒れこむ俺を食うのかと思えば、突然大きな声を上げる。しばらくすれば、辺りからノシノシと巨大な足音は地面を伝って俺に響いてくる。

 かろうじて無事だった片目だけで見上げてみると……


「な、ぁっ……」


 三匹の魔獣が、俺を焼いた虎に寄り添ってまるで褒めたたえるかのように体をこすりつけて毛づくろいをしていた。魔獣の生態についてはどうでもいいが、それよりもあの厄介な虎が四匹になってしまったことの方が重大だった。

 一匹でも敵わないのに、これ以上増えて……そもそもとして体が動かない。逃げようと引きずってみるが土が傷口に侵入して異物が混じる感触が痛みとともに俺の行動を封じてしまう。


「グルゥ?」

「グルァ!」

「グルルル……」


 逃げれない。引けない。きっと、こいつらは逃げたあいつを襲うだろう。そう考えると、残り少ない命をどう使うべきかはっきりとした。


(長くは持たない、だから壊れるまで……戦い続けるだけ)


 そうそれだけ。勝てないし、あの数を相手に数秒と続かない。きっとハエを叩かれるみたいに殺されて終わる。でも、もしかしたらそのおかげで何か意味があるかもしれないとそう思うと……ボロボロの体をマナで支えて痛みに苦しみながらも、剣を握りしめ立ち上がれる。

 きっとこれが俺の騎士の在り方であり、本懐なのだろう。


 死に瀕しているせいか、やけにこう……自己犠牲を全う出来ている気がする。唐突で急な展開なのに、初めからこうするつもりだったかのようにあっさりと。


「こ、い……お、れが相、手だ」


 目にもかけられなかった。決死の、いや死ぬつもりで立ち上がったというのにまるでそこらの死体でも見ているようで見向きもしなかった。悔しい。でも、だからゆっくりと近づいて……


「……っ、ぅぁ、あぁ!」


 振りかぶって、その背後に突き立てようと構えるが県の重さに耐えきれず俺は直前で転んでしまう。

 だんだんと俺の近くから森の外へと離れていく虎の魔獣をただ眺めているだけで……弱い自分が何よりも許せなかった。強くなると信じて、でも心の奥底では諦めていた自分が許せなくて、殺したいほど憎かった。

 他に強くなる方法も探さず、愚直にこのまま続けていれば将来は、未来は、明日は、積み重なったものはいつか高くなると信じていた。けれど、違う。積み上げてきたものはたしかにある。でもそれは辺りに広がるだけで、決して高みへと目指したものではなかった。いともたやすく崩れるだけの石積みのカケラに過ぎなかった。


「次、こそ……は……」


 そう言って、また未来という無知に期待する。今は無理でも次ならば……と。そうやって目を逸らして、現実を受け止めようとも思わないその心。そんなことを思いながら、俺は夢を見ることをやめなかった。口と意思が離れていく。言葉では英雄でなくともいいと言っておきながら、その実。誰よりも英雄らしくありたかったくせに。心と体がバラバラの俺が一体何を出来るのか。為せるのか。


「必ず、きっと……」


 “未来”に“絶対”なんてありえない。そうしたものに勝手に期待して、何もしない自分には何も掴めない。それを知って尚、可能性がある、けれど何もない未来に期待するというのか。

 浅ましいにもほどがある。


「俺は、騎士……に……」


 薄れてゆく意識の中、手を伸ばして虎の魔獣を睨みつける。

 悠々と歩くその姿は強者足りえていた。俺にはなかった力強さがあった。

 だから――


「え……」


 惨殺された。呆気なく、そこらの虫けらのようにバラバラに肉片と血の雨をまき散らして。

 どうしてなのか。何があれをやったのか。駆けつけた騎士? 違う。騎士ならもっとあっさり終わらせる。これは……殺戮を楽しむ残虐性を兼ね備えたものの行い。


「おお、かみ……?」


 ソレは虎を食い千切り、肉と血を滴らせた暴君。威圧感とか圧倒的とかそんなものではなく、奥底から湧いてくる“勝てない”という恐怖。立ち向かうことすら、出来ないほどの恐怖。

 逃げろ逃げろと、諦めにも似た死の覚悟すら吹き飛んで本能が逃げろと死んでしまうと、惨殺されるという確信をもって訴えてくる。


「グルァ……!」

「ひっ――」


 そこで思い出す。


 ――あ、ああ。その、森の奥で、でっかいの魔獣に襲われて……それで


 虎、ではなく狼。一言も虎の魔獣だとは言っていなかった。そうして合点がいった。俺が立ち向かえてそれでほんの少しでも戦えたのに、なぜあいつがあそこまで恐怖していたのかを。


「違ったん、だ。……こいつだ。こいつが襲ったんだ」


 ニヤリ、とその狼は嗤う。正解だと言わんばかりのその表情でゆっくり、ゆっくり近づいてくる。

 恐怖を掻き立てるように、これから起こることを彷彿とさせる。

 黒く、大きなその体を見上げるだけで何もかもが無駄に思えて仕方なかった。

 絶望――とはこういうことなのだろうか。


「あ、あああ……くる、な」

「グルルルゥ♪」


 命乞いをしても、逆効果。むしろ悦ばせるだけだった。絶対的強者なのだ。自分がどれだけの覚悟を必死を募ろうと、踏み潰されるだけのものでしか――


「グルルァ!!!」


 俺は食われるまでがとても長く感じながら……死に近づく自分を眺めるだけで……結局力の差が圧倒的になっただけで、虎の魔獣の時と何も変わらなかったことを後悔していた。

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