第32話 海の守護神

 護衛艦つるみから職員を回収した巡視船かみしまは、母港石垣に向けて舵をきった。

 大きく凹んだ船体ではあるが、航行の安全に支障がないことを確認。

 しかし、護衛艦つるみは途中まで、かみしまの後方を航行すると申し出てくれたので、船長の松平はそれに甘えた。

 航路が分かれるとき、巡視船かみしまは再び護衛艦つるみとコンタクトをとった。


「巡視船かみしま、船長の松平です。今回は訓練を飛び越えてしまい申し訳ありませんでした。そして、本当にありがとうございました」

「こちら、つるみ艦長の屋島です。我々はできることをしたまでです。援護できなかったことを申し訳なく思います」

「いいえ。大変心強かった。万が一が起きても、私たちの後ろには海上自衛隊がいると、そう思ったからこそ戦えたのです」

「そう言っていただけると、我々の存在は捨てたものではないと思えます。とにもかくにも、残りの航海もお気をつけて」

「はい。つるみの皆さんも、どうぞお気をつけて」


 ―― ご安航を


 お互いの姿は見えずとも、自然と二人の長は右手を上げ敬礼をした。同じ海を守る者へ敬意を表して。




 今回の事件は、双方包み隠さず本庁へ報告することを確認した。あったことそのままを報告し、撮影した写真や動画も全て提出することにしている。

 あとは、それぞれのトップがどう処理をするかである。

 隠す必要も、捏造する必要もない。

 ただ、巡視船かみしまの船体の故障はどうしたものか。それを国民にどう説明するのか。


「はいはい! 了解しました! よきに計らえですね! そのようにいたしますっ」


 歌川は本庁とのやり取りで確認したことを、眼鏡のふちを指の甲で押し上げながら報告をした。


「巡視船かみしまは鯨と衝突しました! 以上!」

「うわ、出た……鯨衝突事故」


 かみしま特警隊隊長の平良が思わずそういうのも仕方がない。大型巡視船で、しかも最新型に乗っておきながら鯨を回避できなかったなど、何をやっているのだと批判を受けそうだ。


「仕方がないでしょう。マスコミ対策ですから……少々バツが悪いですけど、我慢してください。人造人間と戦った、なんて言えないですからね」


 船長も致し方なしと受け入れたのだ。それ以外にいい対策は見つからない。


「港についたら、カメラを向けられるかもしれない。覚悟をしておいてくれ。後のことは伊佐くんに任せるが、怪我の方は大丈夫かな」

「はい。大丈夫です。港についてからのマスコミは

 私が対応します」

「ありがとう。では、あと少しですが気を抜かずによろしく頼みます」

「「はいっ!」」




 ◇




 人造人間は巡視船かみしまに大きな損傷を与えた。どんな材質で造られたボディなのかは分からないままだ。最強の鋼と例えることくらいしかできない。

 その人造人間は巡視船だけでなく、それに対処した巡視船かみしまの船員たちにも大きなショックを与えた。

 とくにこの船は若い職員が多かったので、心の傷が心配される。


「さあみんな、自分が持つ愛情をたーっぷり注ぐのよ! みんな絶対にお腹空かせてるから! 食材も余ってるから、デザートまでつけちゃうぞ!」

「「はい! 主任!」」


 かみしまの厨房で指揮をとるのは、主計科主任の虹富だ。真っ先に歌川に会いに行くかと思っていたが、そうではなかった。

 心身疲れきった職員たちにおいしい食事を届けようと、一生懸命である。


「虹富さーん! 無事でよかった!」


 現れたのは退避命令のときに別れた金城だった。それに気づいた虹富は、泣きそうな顔で手を振った。

 全員無事だと連絡は受けていたとはいえ、実際に顔を見るとやっぱり違う。心からの安堵と労いが込み上げてくるのだ。


「金城さん、お疲れ様。よかった、怪我もなさそうね」

「はい、無傷ですよ。それから、歌川さんも元気です!」

「うん。ありがとう」

「私も手伝います。今日はカレーですね」


 お互いに泣くのは我慢した。

 なぜならば、一刻も早く温かい食事をみんなに食べてもらいからだ。

 まもなく母港に帰るということで、本日のメニューはカレーライスだ。海上保安庁ではこれを、入港カレーと呼ぶ。


 主計科の本領発揮である。


(胃袋掴んで、心も掴め!)


 カレーには南国を感じされるパイナップルが入っている。パイナップルの実をミキサーにかけて煮込むのだ。その他にはしょうが、ニンニク、カラメル色まで炒めあげた玉ねぎ、トマト缶、赤ワインにコーヒーなどなど。そこに主計科それぞれの愛情を注ぎ込むのだ。肉は沖縄のアグー豚を使う。



 厨房の奥の冷蔵庫を開けた主計長の我如古は思わず「oh……」と声を漏らした。でも、すぐに気を取り直す。


「卵、すごいことになってるね。でも、混ぜちゃうから問題ないっ」

「やっぱり割れてますね。なにこの、酷いさまは……でも、使える卵の方が多いのがすごい。さすが日本の卵だ」


 ラミング(体当たり)したせいで卵は割れて悲惨な状態だ。しかし、それでも半数以上がパックの中で健在だった。


「バラ発注しなかった金城さんのおかげね」

「まさかの発注ミスで救われるとは……」


 経費をできるだけ節約するには、パック入りよりもバラで買った方がいくらか安くなる。しかし、金城は間違えてパック入りで注文してしまった。それが今回はパックに入っていたため、割れずに済んだ卵もあった。割れても、中身が飛び散って大惨事になることを避けられたのだ。


 厨房と食堂は大忙しだ。主計科そうでで準備にかかった。飛びちった食材を使えるものと廃棄に振り分ける者、テーブルを片っ端から消毒液で拭きあげる者、そしてひたすらに調理に励む者。

 みんな頑張った。ここが私たちの場所だ。もう二度と誰かに奪われたりしない! させない!


「さあ、みんないい? 船内アナウンスかけるわよー!」


 美味しい料理は心を救うのだ!



 ◇



 ピンポンパンポーン♪


『主計科よりお知らせします。ただ今から食堂を開けます。手の空いている方からお食事を始めてください。本日のメニューはカレーです。主計科の愛情たっぷりのカレーですよ! 豪華にデザート付きです。皆さんお腹いっぱい食べてください!』


 このアナウンスを聞いて、職員たちのテンションが上がったのは間違いない。人造人間のごたごたで、朝食にも昼食にもありつけず緊張を強いられていたのだ。



【お品書き】

 愛がいっぱい南国アグーカレー

 サラダ

 プリンとフルーツの盛合わせ

 飲むヨーグルトパイン風味



 かみしま特警隊隊長の平良は思わずガッツポーズをした。体力勝負の特警隊員にとっては、待ち焦がれた時間だ。


「腹減ったー! しかもカレーだぞ。たまらんだろ。よし、食うぞぉ!」

「平良さん、部下さんたちの分も残してくださいよ?」

「分かってるよ。ほんと、歌川って小姑ポジだな」

「年上だからって、僕のことを気安く小姑ポジだなんて言わないでいただきたいですね」


 歌川は眼鏡を触りながら、迷惑そうに返答した。ボートに一緒に乗り込んでから、平良はすっかりと歌川に気を許している。


「申し訳ない。歌川は伊佐監理官いのちだったな」

「ええ、まあ。いや! 勘違いしないでくださいよ! 僕はっ――」


 とにかく、平良は歌川を気に入ったらしいことは確かだ。二人がそんなやりとりをしている時、伊佐がやって来た。船長とのミーティングが終わったのだろう。


「食堂、行きましょうか。船長たちはもう行かれましたよ」

「おお、伊佐くん待ってました歌川が。行きましょう」

「伊佐さん、平良隊長のことは無視して結構ですけら。さあ、行きましょう」

「どういう意味だよ」


 巡視船かみしまに居残った職員から先に食堂に入った。明日の朝には石垣港に着くので、今夜のワッチも免除されている。


「今夜はゆっくり眠れるぞー」

「平良さんはいつもゆっくり眠ってるでしょうに」

「うるせぇ、歌川。行くぞ」




 食堂に入ると主計科の職員が元気に迎え入れてくれた。怪我をしている人には配膳を手伝っている。

 伊佐たちが食堂に入ると、彼らを見つけた虹富と金城がすぐにやってきた。


「お疲れ様です! 皆さんご無事で本当によかったです。さあ、こちらに座ってください。大盛りでいいですよね? すぐに持ってきますから」

「いえ、自分でとりますよ」


 伊佐がそう言うと、金城が大袈裟に手を広げてそれを制した。


「監理官は骨折してますから大人しく座って待っていてください」

「いや、これくらい」

「だめです。レナさんから叱られます」

「……分かりました。すみませんが、お願いします」


 伊佐が大人しく座ると、今度は虹富が歌川の前に立った。


「歌川さんも、座ってください。これから書類の提出なんかで神経使うでしょう? 私からのせめてもの労いです。受けてくださいますよね?」

「そう言われては、大人しく座るしかありませんね」

「はい。それで結構です」


 そんなやりとりを見ていた平良は納得のいかない顔だ。


(まったく、エリートさんはいいよな)


 そんな平良に金城は二人分のお盆を持たせる。


「平良隊長! これ持っててください。真っ直ぐに持ってくださいね。こぼれてしまいますから」

「人使いが荒いな金城くん。ボート捌きも素晴らしかったが、男を使うのも慣れたもんだな」

「なに言ってるんですか。はい、これ平良隊長の分。オマケですから内緒ですよ?」

「お? なんで俺がこれ好きだって知ってるんだ」


 プリンのとなりにはフルーツが盛られているが、平良にだけはリンゴがひとつ多くのせられた。

 しかも、ウサギさんの形に切られたものだ。


「ふふっ。秘密です」

「なんなんだよ、気になるだろう」


 金城と虹富が配膳を済ませた頃、厨房から我如古が出てきた。額には汗を滲ませている。


「なんとか厨房もキリがついたわ。私たちもご一緒してもいいかしら」

「もちろんです」


 伊佐の前に我如古が座り、歌川の前に虹富が座る。そして、平良の前には金城が座った。奥のテーブルには、船長の松平、航海長の由井、機関長の佐々木と、通信長の江口が座っている。


「今回のカレーは虹富さんの力作よ。絶対に美味しいから」

「レナさん! ハードル上げないでくださいよ」

「不味いわけないですって。だって、私たちの愛情がたっぷり入ってますから!」

「もう、金城さんまで」


 とんでもない敵と戦ったのだ。そんな前線で頑張った彼らに、温かくて美味しい食事をとってほしい。乗務員の健康を預かった主計科からの、最大の労いは食事を作ることだ。

 そんな主計科だって命がけで職務を果たした。


「うわ……美味しいですよ。身体にしみます」

「うまい! 今まで食べたどのカレーよりうまいな」


 伊佐も平良も一口食べて出た、素直な感想だ。口の中にフルーツのような甘味が広がった。なのに喉の奥でカレーらしい辛味が戻ってくる。でも、嫌な辛さではない。

 スプーンを運ぶ手が止まらない。それに、食べるほどに体がポカポカと温まってくる。


 しかし虹富の表情は晴れない。なぜならば目の前の歌川がなにも言ってくれないからだ。恐る恐る声をかけてみる。


「あの……。歌川さんのお口には合いませんでしたか?」


 虹富の問いかけに、歌川は手を止め顔を上げた。

 眼鏡のレンズ越しに見える歌川の眼差しが、あまりにも真剣だったので虹富は顔を伏せてしまう。


(きっと、好みの味じゃなかったんだ。大失敗!)


 そんなことを心の中で吐いていた。


「虹富まどかさん」

「はいっ」


 歌川は眼鏡を外してテーブルに置いた。

 虹富は歌川のその行為に驚いたと同時に、ダメ出しされる覚悟をして硬く目を瞑った。


「最高ですよ! あなたの愛情、この歌川がしかと承りました」

「えっ――」


 驚いて顔を上げた虹富をよそに、歌川は再びスプーンを持ってカレーを黙々と食べる。眼鏡は外したままで。

 それを見ていた我如古が思わず声を漏らす。


「伊佐さん、これって」

「うん。たぶんそうだと思う」


 金城は伊佐の言葉を聞いて虹富の肩を揺らす。


「虹富さん、やりましたね!」

「え? なにが? えっ」


 肝心な虹富は理解できていない。そんなやりとりを見た平良が小さく咳払いをした。金城はそれにハッとして姿勢を戻した。


「あ、すみません。うるさかったですね」

「金城由里さん」

「は、はい」


 平良もフルネームで金城の名前を呼んだ。金城はガチガチに固まってしまう。かみしま特警隊の隊長を怒らせてしまったと、金城の背中を冷や汗が流れた。


「君も作れるんだろう? カレー」

「はい。その、一般的なものですが」

「うまいかどうか、帰港後に確かめてやるから俺ん家に来い」

「はい! ……はい⁉︎」


 金城の反応を気にすることなく、平良はカレーを食べている。

 挙動のおかしい歌川と、妙に自信ありげな平良をみた伊佐は思わずむせ込んだ。


「ゴホッ、ゴホッ……痛っ!」

「伊佐さん大丈夫? あとで痛み止め持って行くわ」

「ありがとう。いや、大丈夫ですよ」

「ううん。あなたは我慢ばかりだから信用してない。持っていくから。今度こそは私の言うことは聞いてください。命令です」

「……はい」



 巡視船かみしまの航海は、なんとか無事に終わりを迎えようとしている。

 人造人間との戦いも、一応の終止符だ。

 かみしまは暫くドッグ入りとなる。

 今回、これに関わった海上保安官たちは口を閉ざすだろう。

 海上保安官たちが負った傷は深い。体の痛みはそのうち消える。けれど、壮絶な戦いで受けた心の傷は癒ることはない。


 それでも、彼らは海を守る者の使命としてこれからも船に乗り、海へ出るのだろう。

 そして、ベテラン戦士の背中を見た巡視船かみしまの若き戦士たちは、きっともっと成長していく。


 彼らこそが、海の守護神だ。

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