第30話 約束は守るためにある
「佐々木さん!」
伊佐は後退していく高速艇を横に見ながら、佐々木が立つ前方甲板にやってきた。伊佐の声に驚いて振り向いた佐々木の顔は、まるで鬼のようである。
「伊佐くん! 君はうおたかに救助されたのではなかったのか! なんでここにいる!」
「私はこの船の監理官です。一人だけ上からのうのうと見ていられるわけがないでしょう」
「しかし、この船は」
「あの人造人間には、もうこの方法しかないんですか!」
「分かったふうだね、うちの船長補佐殿は」
「佐々木さんが、この連装機関砲に体を縛り付けていたからですよ! 何が起きてもこれは離さない。最後まで撃つという意味です。そこまでしなければならない理由は、ひとつしかありません。ラミングするつもりですよね」
佐々木は伊佐の言葉を否定も肯定もしなかった。ただ、口を固く結んで前を向いた。整備で黒ずんだ指は、連装機関砲を強く握っている。
ラミング航行とは現代では海上自衛隊が運用している
南極の分厚い氷を砕きながら航行するしらせは、船を後退させて全速前進して船体を氷に乗り上げて砕きながら進むのだ。
「我が海上保安庁も領海侵犯を犯し、停船命令に従わない船には使う手段ではありますが……こんな大型巡視船ではなかなかない。いつの時代かの軍艦がする最終手段ですよ。佐々木さんの提案ですか」
伊佐が佐々木にそう言う間に、巡視船かみしまは完全に停止した。そして、エンジンの回転が変わり、徐々に後退していく。
「佐々木さん!」
「この船の構造はよく分かっている。巡視船かみしまは護衛艦と変わらない強さをもっている」
「だからアレに突っ込んで、至近距離で撃ち抜くということですね」
「まったく君は、大人しく下がっていれば良いものを。少しは年寄りに花を持たせてくれんかね。ブリッジに戻りたまえ。船長補佐どの」
「残念ながら、その時間はないようです機関長」
「後始末が面倒なことになるぞ」
「それが私の仕事ですから」
「若者よ、死ぬなよ」
「あなたこそ」
佐々木のインカムに船長の号令が響いた。
―― 全速前進!
「さあ、これで終いだ! 二度と浮上してくるんじゃないぞ!」
巡視船かみしまがもつ、全ての武器が人造人間に向かって最後の攻撃にでた。
ドドドド……ババババッ――
鋭く尖ったかみしまの先端は、目標に向かって真っ直ぐに進む。
ドドーン!
稲妻が海面に向かって落ちた。
―― 総員、衝撃に備えよ! 衝撃に備えよ!
航海長由井の叫び声を最後に、かみしまは波をうねらせながらその黒い塊に向かって突き進んだ。
◇
一方、護衛艦つるみでは再び海上保安庁のヘリコプターの受け入れを完了した。
ひとりの女性はひたすら祈りを捧げているし、他の職員たちの、固く閉ざされた口が全てを物語っているようだった。
(巡視船かみしまは我々が想像する以上のことをやっているのではないか……)
副長の鹿島はそう思った。
護衛艦つるみと巡視船かみしまの役割は似ていてるが、本質は異なる。自衛隊には明らかに攻撃するのに有利なものが備えられているが、海上保安庁が備えるのは主に救助と威嚇である。
もしも、アレと戦っているのならば――
(ダメだ! やはり我々もかみしまと一緒に戦うべきだ! 海保の能力では相討ちどころか、一方的にやられてしまう)
なぜならば、海上自衛隊が世界に誇る潜水艦でも討ち取れなかった相手なのだから。
「艦長!」
「鹿島くん。どうだったかな、うおたかの皆さんは」
「我々は巡視船かみしまを助けに行くべきです。この
鹿島は自分の中にある正義が燃えあがって抑えられない。何のために自分は自衛官になったのか。あらゆる脅威から国民を守るためではないのか。それが、海上自衛隊には手に余るかのように、敵をを目の前にしてなにもできていないのはおかしいと。
「鹿島くん。自衛隊は防衛大臣または総理大臣からの発令がないと行動に起こせないのだよ。そして、それ相応の大義名分が必要だ」
「三年前の事案を出せば、十分に大義名分は通ります!」
「巡視船かみしまから預かった、職員たちの安全を脅かしに行くのかね。船長は断腸の思いで我々に、ほとんどの職員の命を預けた。我々のもとなら安全だと、必ず守ってくれると信じて。にも関わらず、我々があの場に行くということは、我々が彼らを信じていないということになる」
「ですがっ」
「我々、護衛艦つるみは巡視船かみしまの職員の命と、その家族の生活を預かったんだ。こんなに地味でも、大事な国民の命を守っているんだよ」
防衛費は、警察や海上保安庁とは比べ物にならないほどの予算を振り当てられている。それだけ人員や装備が大掛かりだからだ。けれど戦争を想像させるといって、好まれた集団ではない。
日本は過去の歴史を繰り返さないと誓ったからだ。
だから自衛隊は、いつも目立たぬように行動をしている。税金を無駄にするなと、平和な日本で税金で生かされていると思われてしまう。
まるで敵は国内にいるかのようだ。
それでも、いつ起こるか分からない不測の事態に備えて訓練をしている。山や草に紛れ、海の蒼に隠れ、空の青に溶け込んで、血と汗を流している。
地味でいい、他国からの脅威から国民を守ることができるなら。地味でいい、自衛隊を信じてもらえるならば。
「彼らは我々を信じてくれている。ならば、我々も彼らを信じなければならない」
艦長の屋島はそのまま固く眼を瞑ってしまった。
本当は屋島も、今すぐにでもつるみを現場に向かわせたいのだ。護衛艦がもつ力をいま使わずにいつ使うのだと。
しかし、約束は違えてはならない。
国との約束。
そして、巡視船かみしまとの約束を。
「くそ……」
鹿島はただ拳を強く握りしめる。
組織の壁、法律の壁、そして日本という大きな壁が悔しくてならなかった。
◇
まもなく、合同訓練が行われる予定時間となった。
あれから巡視船かみしまからの連絡はない。護衛艦つるみは艦長の命令によって、石垣市へ向かうことにした。
巡視船かみしまから預かった、大切な職員たちを帰すために。
「時間だ。錨を上げよ」
「はい」
鹿島は艦内放送でこの場を離れることを伝えた。
『錨を上げよ。総員、準備にかかれ』
準備の合間も、何度も見張員に巡視船かみしまの姿がないか確認をさせた。しかし、準備が整ってもその姿は見えなかった。
「艦長、準備が整いました」
「分かった。巡航速度で石垣に向かう。到着までに、現地と連絡を取るように。この
「はい」
「私はそれまでに本庁と連絡を取っておく。あとは任せた」
「はい」
鹿島は再びマイクを取った。
『本艦は、予定を変更して石垣に向かう。以上!』
鹿島は悔しさでいっぱいだった。
艦長が言いたいことは分かる。しかし、頭では理解しているのに心が頷かないのだ。
(本当にこれが正解なのか! 俺たちは、これでいいのかっ……くそぅ――)
そのとき、
「副長! あれ!」
「なんだ騒がしい」
「あ、あれは! 海保の船ではないでしょうか!」
艦首を石垣の方向に向けようとした時であった。主任航海士が双眼鏡を覗きながら、大声で叫んだのだ。
「なんだって⁉︎」
鹿島は椅子から飛び降りで主任航海士の双眼鏡を奪い取り、前のめりの体勢で覗き込んだ。
そこに見えてのは、紛れもなく白いボディの海上保安庁の船である。
「艦長! 巡視船かみしまじゃないですか! 船首が歪に凹んでいます! おそらく、かみしまで間違いないかと!」
「なんと……通信開始!」
「おい、通信班! 巡視船かみしまに至急コンタクト」
「了解!」
鹿島は双眼鏡から目が離せなかった。
(ちゃんとみんなにも見えているよな? 幽霊船じゃないよな!)
双眼鏡で見る限り、巡視船かみしまの船首の一部に破損が見られた。側面は明らかに凹んでいる。しかし、自力航行をしており、その姿は堂々としたものだ。
「副長! コンタクト取れました! 巡視船かみしまで間違いありません! 怪我人がいるようです」
「そうか! 艦長!」
「戦速落とせ。本艦は巡視船かみしまとの合流を試みる」
なぜか鹿島の目には涙が溜まっていた。理由はよくわからない。けれど、込み上げるものを抑えられない。
部下に見られてはまずいと、制服の袖でそっと抑えた。横を見ると艦長の屋島が立っている。
巡視船かみしまを目視でも確認したようだ。
「やってくれたな」
屋島は頬を上げ笑みを浮かべていた。それは、屋島なりの心の底からの賛称の現れだ。
「はい。彼らはほぼ、約束の時間にやってきました。自分の考えが、いかに甘かったか思い知らされました」
「いいや。君はよく耐えたよ」
「艦長」
「まあ、いちばん耐えて戦い抜いたのは、彼らだがな」
「はい!」
巡視船かみしまは、人造人間を葬ることはできたのか。例えできなかったとしても、無事に帰ってきたことに意味がある。
海を守る者は死んではならない。絶対に生きて帰るのが約束だ。
もしも人造人間がまだ生きていたとしたら、今度は俺たちがやる。そう、屋島も鹿島も思ったに違いない。
『衛生隊に告ぐ。怪我人がいるもよう。準備に入れ』
つるみの艦内は再び慌ただしく動き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます