第22話 退避せよ

「ありがとうございます。このような得体の知れないSOSに応えていただき、感謝いたします。屋島艦長にはなんとお礼をいったらよいか」

『いえいえ。海上保安庁と自衛隊の仲ではありませんか。我々は同じ日本の海を守る者です。そうでしょう』

「本当にありがとうございます」

『しかし、お礼はまだ早いですよ。全ての作戦が成功したときに、改めて』

「はい。そう致します」


 護衛艦つるみの艦長である屋島辰巳やしまたつみ一等海佐は、巡視船かみしまの船長である松平に、脱出支援をするとこを約束した。

 もともと補給訓練をする予定でいたのだ。

 それが少しばかり早くなり、まさかの救難になるとはさすがの松平も屋島も思わなかったことだ。得体の知れない人造人間から逃げてくる海上保安庁の職員たちを、つるみの乗員たちはどう思うだろうか。


『では、約束の通りあの場所でお待ちしております。成功をお祈り致します』


 艦長屋島の言葉を最後に、松平は無線を切った。


「由井くん、至急作戦会議をする」

「はい!」


 松平は今回の脱出に関する経緯説明をする。巡視船の運航に最低限必要な人員だけを残して、救難ヘリコプターうおたかと、高速警備救難艇2艇、エアーボート四艇を使い護衛艦つるみに乗員を移送する。

 これは一刻を争うのだ。

 かみしま特警隊が全滅する前に、行動を起こし完了させなければならない。

 万が一、人造人間が船外に出てしまえば乗員の命は危機にさらされる。

 この作戦には移送にあたる、特別警備隊B班と航空科の協力が必要である。


 松平は腹を決めていた。


(必ず職員を家族のもとに返す!)


 たとえ、自分はかみしまと共に海の底に沈もうとも。



 ◇



 船長の松平は会議室に入ると、単刀直入に話を切り出した。


「これより主任以上の幹部を残し、他の職員は護衛艦つるみに退避する。なお、退避の指揮を取るのは各科の現場主任とする。これは、訓練ではない。なにか質問があれば受け付ける」


 船長の言葉に、初めて聞いた職員たちは騒然とした。任務途中に船体への異常と錨泊は事態は悪化を表していたのだと、改めて知らされたのだ。


「あの、よろしいでしょうか」


 手をあげたのは主計科主任の虹富だ。彼女は現場主任に値する。


「どうぞ」

「主計科主任の虹富です。船長の言う通りであれば、私は護衛艦への退避組になるのですが、主計長の我如古さんは不在。幹部主任の金城さんは着任間もないです。私と金城さんの任務を交代してもよろしいでしょうか!」


 海上保安官になって十年が過ぎた。いくつもの季節をこの十一管区で過ごしてきた。それに比べると、金城はまだ経験が浅く、ほぼ初めての大型巡視船での任務であった。

 それに――


(歌川さんを置いて、船を離れるわけにはいかないの!)


 これが、虹富の本音である。


「それは、却下いたします。他に質問はないですか?」


 松平は静かに虹富の意見を退けた。

 虹富は「そんな……」と小さくこぼすことしかできない。

 どんなに経験が浅かろうと、どんな新人であろうと、金城は幹部として着任したのだ。それを理由に役目を変えることは許されない。この船に、海上保安官として乗ったときから幹部は幹部の責任を果たさなければならない。


(歌川さんと離れるなんて……いやだ!)


「質問はないようだね。では由井くん、あとは頼みます」

「はい。では今から脱出の要領を説明する……」


 船長の指示は絶対である。虹富はこの船から主計科の職員を安全に退避させる事だけに、集中しなければならない。頭では理解した。しかし、心がどうしても受け入れてくれない。

 虹富は心に大きな葛藤を抱えながら、航海長の話を聞いていた。


「以上だ。成功を祈る! 準備にかかれ!」


 航空科、かみしま特警隊B班、甲板要員は持ち場に走った。準備が整い次第、この船から離れる。

 護衛艦つるみは低速を保ちながら、巡視船かみしまの乗員を受け入れてくれるそうだ。

 停止しないのは不測の事態に陥ったとき、すぐに船速を上げられるようにである。


 虹富と金城はすぐに主計科の職員のところに向かった。その途中、金城が虹富の足を止めた。


「虹富さん」

「金城さんどうかした?」

「私が不甲斐ないせいで、あんなこと言わせてしまい申し訳ありません。でもわたしっ」

「分かってる! ごめんなさい。金城さんを信用してないとか、みくびってるとかじゃないの。あなたはできる子だって知ってる」

「でも、不安にさせているのは間違いないですから」

「違うの。わたし、ずるいの」

「え?」


 虹富は唇を噛みしめた。悔しくて情けなくてたまらない。なぜならば自分は海上保安官としてではなく、私情に惑わされて自分の意見をもっともらしく押し通そうとしたからだ。


「わたし、歌川さんのことが好きなの。その歌川さんは食堂で得体の知れないものと戦ってる。彼を置いてこの船から脱出することが嫌だったの。金城さんの経験を勝手に浅いと測って、自分が残りたかったの。海上保安官として失格よ。自分勝手のずるい人間」

「虹富さん……え? 歌川さんが好きなんですか‼︎ あのお喋りで屁理屈こねる、伊佐監理官を好きすぎる眼鏡補佐官のことを、ですかっ」

「ちょ、金城さんひどい……」

「ぇぇえええー!」


 緊迫した船内に金城の驚愕した声が走る。怪訝な顔をして振り向く職員の視線に、虹富は肩をすくめた。


「あの、虹富さん……その。歌川さんはそのことを知ってるんですか」

「知らないと思う。あの人、こういうのは鈍感みたい。ぜんぜん伝わってない」

「そうですか……代わってあげたいですけど、船長命令だから」

「そのことは忘れて。わたしもあなたも、任された仕事をやらなくちゃ海上保安官を名乗れない。それに、歌川さんは大丈夫な気がするの。なんとなくだけど、迷惑そうに眼鏡のふちを触りながら帰ってきそう」

「わたしもそう思います! わたしたちも必ず皆さんと合流しますから。虹富さんもお気をつけて」

「金城さぁん! 生きて戻るんだよ!」

「はいっ! 虹富さんも!」


 二人は抱き合って泣いた。絶対に生きて会おうと、何度も何度も互いに約束を交わした。


 こうして退避準備は順調に進んだ。

 もちろん手荷物など持たず、職員は身一つで甲板に並んだ。


「搭乗開始!」


 ヘリコプターで退避するのは、各科から選ばれた者たちだ。護衛艦つるみに乗艦後の通信や指揮をとれる者たちである。

 そのほかの職員は救難艇やボートに乗り込んで退避する。

 その様子を船橋から見ていた松平が手をあげた。それが合図だ。

 ヘリコプターうおたかは十五名の先発隊を乗せ、巡視船かみしまを離れた。

 海は嘘のように穏やかだ。

 うおたかは護衛艦つるみとの合流水域にゆっくりと機首を向けた。



 ◇



 その頃、食堂内の伊佐たちは限界を迎えようとしていた。姿の見えなかった人造人間があらたな行動に移ったからだ。


「伊佐さん!」


 伊佐の目の前に立つ軍人は、三年前に消したはずの人造人間だった。ロボットとは思えないしなやかな動き、筋肉もまるで人間だ。

 黒いヘルメットに黒いサングラス、その下に隠された顔はどんな表情をしているのだろうか。間近に見ているというのに、伊佐の頭は冷静にそんなことを考えていた。


「マスター……マスター、ウェアイズ、マスター」


 主人を探しさまよっているというのか。しきりに、マスターという単語を発する。マスターとは恐らく三年前に被疑者死亡のまま処理された、風林火山の風丸という男のことであろう。


「ここに、マスターはいない!」


 伊佐は強い口調でそう答えた。

 その瞬間、人造人間は目に見えない速さで伊佐を突き飛ばし、自分の左腕を奪い返した。

 そして、奪ったその腕を自ら装着する。それを見た全員が、彼は人間ではないのだと理解した。

 隊長の平良が叫ぶ。


「伊佐! そこから離れろ! 殺されるぞー!」


 伊佐もそう思った。

 しかし自分の後ろには我如古レナがいる。自分がここから離れたら、彼女の命が危なくなる。

 生身の体で勝てる相手ではない。


 人造人間は腕の装着が終わると、視線を伊佐に戻した。そして、こう言った。


You guys killお前たちを殺す


 人造人間はドンと床を強く蹴り次の瞬間、姿を消した。誰もその動きを目で追えない。

 ただ、床や壁、天井に衝撃音が不気味に響いた。その音が鳴るたびに、消えていた電灯がひとつずつ燈る。


「体を落とせ! 姿勢を低くしろ! シールドを上に構えるんだ。ヤツはどこから来るかわからない!」


 訓練されたかみしま警備隊でも、まったく歯が立たないのだ。


「伊佐さん」

「レナさん大丈夫ですか」

「うん、大丈夫。伊佐さんこそ」

「俺は大丈夫ですよ。ああ、やっぱりここ、痣になっている」


 伊佐はレナの首に指先でそっと触れた。レナの首を人造人間の左腕が締め付けていた場所だ。


「いっ……た」

「痕が残るかな。本当はすぐにでも冷やした方がいいけど……他に、怪我はありませんか」

「伊佐さんだって、怪我してるでしょう」

「俺は、本当に大丈夫」


 肋骨のヒビなんて怪我のうちに入らない。伊佐はそう思いながらレナに答えた。

 互いの無事は確認した。問題は、ここからだ。

 この先も無事にいられるとは限らない。


(どうする。どうしたらいいんだ!)


 ―― ドン、パーン! ドン……ギシ、ギシ


 人造人間が起こす衝撃音は、確実に伊佐のもとに近づいていた。

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