第20話 人造人間、姿を現す

 伊佐はとてつもないパワーを感じた。しかしその時にはすでに遅く、気づくと自分の背中で食堂の椅子を弾き飛ばしていた。壁に当たるドンという強い衝撃と同時に、伊佐は床にぼとりと落ちた。


(いってぇ……)


 痛いという感覚であっているだろうか。そんなことを頭の端で考えた。強く打ちつけた背中は痛いよりも、熱い。


「伊佐さん!」


 歌川の焦った声が耳に入った。しかし、すぐに体を起こすことができなかった。なぜならば伊佐は、透明の人造人間であろうそれに、背中を踏みつけられていたからだ。


「くる、な。来るなっ……うっ」


 伊佐が歌川にそう言ったとたん、人造人間の足に力が入った。伊佐の言葉を理解しているのかもしれない。

 重く踏み込まれた伊佐は、胸に強い圧迫感を感じた。それは、死を思わせるほどの強さだ。


「伊佐さん! アイツはどこいるんですか!」


 伊佐にはうっすらと見える人造人間の姿は、歌川たちには見えていないようだった。警棒を肩に担ぎ、いつでも戦闘に切り替えられる態勢でゆっくりと前進してくる。みんなが見えていた、黒い手袋をした腕も今は見えなくなっていた。


(こいつ……姿をコントロールできるのかっ)


 伊佐にはまだうっすらとその姿が見えている。人造人間の形に沿って、空気が歪んで見えるのだ。しかし、伊佐はその姿に違和感を覚えた。


(左腕が、ない?)


 伊佐が見る限り人造人間には左腕がないのだ。これまで確認できていた腕もよくよく考えると右腕であった。

 片腕の人造人間はさらに強く伊佐を踏みつける。


「ぐ……ぅ」

「伊佐さん!」


 陣形を作ったかみしま特警隊は、拳銃を構えた隊員と警棒を構えた隊員を交互に置いて、じわりじわりと伊佐の方に近づいてくる。

 伊佐はアイツはここにいるとどう伝えるか考えた。体は起こせず、声も出せない。

 その時、人造人間の影が動いた。右腕を大きく水平に動かしたのだ。

 その瞬間!


「うっ、ああっ」


 かみしま特警隊は何かに押されたかのように、後ろに後退し倒れた。突風に煽られたようにも見えた。


「態勢を整え直せ! 負傷した者は様やかにドアまで下がれ! 歌川さん、あなたは下がった方がいい! 歌川さん!」


 一緒に倒れたと思われる歌川の姿は隊員の中になく、室内を見ると、なんと調理室入口でうずくまっていた。


「はい、はい。ここ、です。擦りむいたかもしれませんが、生きていますよ」

「なんでそんなところに!」

「僕にだって分かりませんよ!」


 歌川がいる位置から伊佐までの距離は、およそ三メートルという近さだった。歌川にだけ不思議と違う力が働いたのか。


「伊佐さん、まさか動けないんですか」


 伊佐は歌川に向かって指文字で今の状況を伝える事にした。指文字とは、手話で用いる五十音を表す手法だ。五本の指で言葉を紡ぐことができる。


『オレのうえに、いる』


「どおりで手足がでないと思いました。そいつはこの警棒で事足りる相手ではなさそうですね……」


『ためしに、コイツを撃ってみろ』


「あの人たちが僕のいうことを聞くかどうか。ま、物は試しです」


 歌川はかみしま特警隊、隊長の平良に向かって叫んだ。


「伊佐さんは謎の物体に踏みつぶされそうになっています。あの壁に向かって一発撃ち込んでください!」

「なんだと、あの壁に向かって撃てと言うのか!」

「お願いします。それで何か分かるかもしれない!」


 平良は部下の比嘉に目で合図した。

 撃て、と。


 比嘉は素早く片膝を突き腰を落として拳銃を構えた。片方の腕でブレないように支える。


 ―― パン! パン!


 撃った弾は二発。

 その流れるような動きに、歌川は思わず小さく「ヒュー」っと口笛を吹いてしまう。

「お見事!」そう思いながら撃った壁を見た。しかし、そこに銃弾のあとはない。


 ―― カラン、コロコロ……


 音のする方を見た歌川とかみしま特警隊は、息を呑んだ。比嘉が撃った弾が床に転がったからだ。

 歌川は、伊佐に叫んだ。


「ヤツはどこです!」


 伊佐は苦しそうに顔を歪めたまま指を動かす。


『ヤツの体には当たった……』

「そうですか、よかった」

『死んでない』

「ええっ‼︎」


 歌川の甲高い悲鳴に隊長の平良は苛々した声を上げた。


「歌川さん、共有!」

「ああ、申し訳ない。どうも伊佐さんを踏みつけている例のヤツですが、お変わりなくお元気だそうですよ。どうも腕だけでなく、僕たちには見えないボディが存在しています」

「くっそ! そいつは武器を携帯しているんですか!」

「聞いてみます。伊佐さん、カレ? は武器を携帯していそうですか」


 伊佐は『不明』とだけ答える。なにしろ、ぼやけた形の姿しか伊佐には見えないのだ。ただ、今のところ武器を携帯しているような攻撃は受けていない。


「分からないみたいです! でもそろそろ伊佐さんをなんとかしてあげないとっ、窒息死しそうですよ! 特警隊のみなさん!」

「ああくそ、ヤケクソになりそうだな。おい、お前ら覚悟はいいか」


 平良がそう隊員に問うと、全員が力強くうなづいた。

 それを見て平良は手にしていた拳銃を腰のケースに戻した。首を回し、肩を上げ下げし、大きく深呼吸をした。隊員たちもそれにならい、拳銃をしまいシールドを構えなおす。


 一瞬の沈黙ののち――


「かかれぇぇー‼︎」


 平良の号令が轟いた。



 ◇



 かみしま特警隊は勢いをつけて、見えない敵に飛びかかった。みな、体に腕に覚えのある者たちだ。こんなあてのない攻撃は初めてであった。初めてなだけにそれぞれの内に秘めた闘志が燃えあがる。


「鉄みたいな硬さだ!」

「くそ、押さえ込めないか! おい」

「ダメだ! 羽交い締めもできない」

「シールドで囲え‼︎」


 歌川は特警隊が作り出したわずかな隙を突いて、伊佐の腕を強く引いた。伊佐は床を滑って人造人間の支配からなんとか脱した。


「助かった、いっ、っぅ」

「大丈夫ですか」


 深く息を吸うと胸が痛み、上体を起こすと脇に痛みが走る。その痛みを堪えて、伊佐はテーブルに手をつきながら立ち上がった。


「たぶん、肋骨やったな……」

「すぐに外に出ましょう! あとは特警隊がなんとか対処するでしょう」

「だめだ。主計長を助けなければならない。肋骨なんて怪我のうちに入らない。それに、たぶんぽっきりやってはない。歌川、今のうちに主計長を探すぞ」

「あー、もう! 知りませんよ。解決策まったくない状態なのにっ。特警隊もどれくらい踏ん張れるか分からないんですよ! おおおーい! 我如古さーん! あなた、いったいどこにいるんですかぁー!」


 歌川はやけっぱちのように叫んだ。食堂内は椅子やテーブルがあちこちに散らばっている。そんな中、かみしま特警隊は見えない敵と乱闘している。

 伊佐は右の脇を押さえながら全体を見回した。そして、歌川の後ろに調理室への入り口があることに気づく。


(レナさんは恐らく、あの中に!)


「歌川、調理室だ。入るぞ」

「はい」


 調理室に足を踏み入れた伊佐と歌川は、警棒を伸ばして警戒をしながら進んだ。調理台も棚も整理整頓されており、なに一つ乱された様子はない。

 二人は大型冷蔵庫を順に開けて中を確認したが、食品がきちんと並び冷気がしっかり行き渡っていた。そこに怪しげな影はない。


「伊佐さん、妙に静かすぎやしませんか。隣では大乱闘だというのに……」


 歌川がそう言ったとき、奥で何かが動く気配がした。


「しっ――、奥だ。歌川」

「えっ」


 伊佐は警棒を握り直した。いつでも反撃できるように、肩に担ぐように構えた。ゆっくりと足を調理室の奥に進める。


 カサ……


「んっ……う、んんんん」

「レナさん? レナさんいるんですか!」

「我如古さん、返事を」

「んー、んー」


 何に抗おうとしているのか、唸り声が聞こえて来る。


「歌川、ライト出せ」

「はいはいはい、点けますよー!」


 歌川はハンドライトを声がする方に照らした。そこには確かに主計長である我如古レナが床に座っていた。

 しかし、それだけではない。


「レナさん!」


 レナは黒い腕に壁に押しつけられ、身動きができない状態であった。その腕は手のひらでレナの口を塞ぎ、腕の部分で肩を押さえている。しかもそれは、左腕だ。


「ちょっと待ってくださいよ伊佐さん。あれ、腕だけですよね! まさか、あれにも本体が」

「いや、表にいるアイツの腕だ。アイツの、左腕……」

「気持ち悪いヤツだな。腕だけならきっと、なんとかなりますよ……ね?」

「なんとかするしかないだろうな。急がないと、彼女が危ない」


 レナを押さえた腕は明らかに、レナの息の根を止めようとしている。口に置いた手を首筋に移動させ、その指に力を込めた。


「そうはさせない!」


 伊佐は駆け寄り、手首を掴んで警棒の先を腕に突き刺した。しかし刺さった感触はなく、鈍い鉄の音が反射した。伊佐も分かっている。それは人間の体とは違うということを。


「あぅぅ、い、さ……さん」

「レナさん……っ!」


 伊佐が後ろに弾き飛ばされた。


「おわぁぁっ、いったぁー。伊佐さん、大丈夫ですかっ」


 しかし、幸いにも歌川が伊佐の背中を受け止める。


「どうしたらいい。片腕ごときに、このザマだっ。くそっ!」


 その腕は容赦なくまた、レナの首を絞め始めた。

 伊佐と歌川は二人でその腕をおさえにかかる。しかし、相手の力はますます強くなるばかりだ。


「あっ……ぅ、ぅ」

「レナさん! 気をしっかり!」

「なんて力だ! 信じられない。なんでこんなことに……。離せ、彼女から離れなさい!」


 伊佐と歌川はレナの首を掴む指をなんとか剥がそうと、親指、人差し指を必死に剥がす。徐々にその指がレナの首から離れていく。


(あと少し、もう、少しだ!)


「よし、はずれた!」


 そのとき、調理室の入り口で大きな音がした。

 振り返るとシールドを持った隊員たちがナギ倒しになっていた。そして、さっきまで見えなかったはずの人造人間が、くっきりとその姿を現していた。

 全身黒ずくめのアーミー軍人スタイルで。


「い、伊佐さん、あれっ!」


 思わず歌川は叫んだ。

 人造人間は恐ろしい気配を纏っていた。それがかみしま特警隊に一直線に向かっている。


 伊佐は立ち上がって人造人間に向かって叫んだ。


「お前の左腕はここだ!」


 伊佐はレナを襲っていた左腕をつかんで、それをかざした。すると、人造人間はゆっくりと伊佐の方に首を動かした。


「何言ってるんですか! 殺されますよ!」


 伊佐のところまで、歌川や特警隊の声も届かぬうちに人造人間は床を蹴って飛んだ。

 瞬く間に、人造人間は伊佐の目の前に立っていたのだ。伊佐の頭上には振りかざした人造人間の右腕があった。


「伊佐さん!」


 振りかざした右腕が、伊佐に向かって下される。


「いやぁー!」


 レナの悲痛な叫び声が、調理室に響いた。

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