第14話 あまたの灯火

 嫌な予感がすると、不穏な言葉を残した歌川と別れた伊佐は機関室に向かった。

 システム回復は問題なく行われたと報告はあったが、自分の目でも確認するため船内をまわっているのだ。

 巡視船かみしまの心臓部でもある機関室エンジンルームは、機関長の佐々木が管理責任者である。


「伊佐です。入ってもよろしいでしょうか」

「どうぞ」


 伊佐は機関制御室と呼ばれる部屋に入った。

 ここは各機器の運転状況を確認する場所になる。エンジンの出力などを確認するメーターや、各機器を監視するモニター、たくさんのボタンが並びコックピットに似た造りをしているのも特徴だ。


「佐々木機関長は」

「いま、メインエンジンを確認しています。あ、ここにいますね」


 機関科の職員がモニターを指さした。そこに機関長の佐々木が確かに映っている。機関長みずから、目視確認を行なっているのだ。


「機関長は機関科の総司令です。分からないは許されないと、最新システムも新しいエンジンや発電機も全てご自身で確認されます。我々を信頼していないのではなく、自分も勉強なんだとおっしゃってくれます」

「そうですか。佐々木機関長のような方と一緒に乗務できて光栄です。ああ、忘れるところでした。システム回復後は問題は起きていませんか」

「はい。目下、すこぶる調子がよいですね」

「よかったです。では私はこれで」

「お疲れ様です」


 機関制御室を出た伊佐は、階段を降りてエンジンルームのドアの前まで来た。ドアに手をかけ少し押し開けると、発電機やタービンなどが動くけたたましい音に包まれた。思わず耳を覆いたくなるほどだ。

 先ほど居たとみられる場所に佐々木はいなかった。伊佐はそっとドアを閉め、再び階段に向かおうと振り返る。

 船内の階段は旅客船と違い、狭く角度も急である。

 この狭い階段を、彼らはサーカスのような軽やかなステップで駆け下りる。ときに、手すりを伝って飛び降りることもあるらしい。

 彼らは巡視船かみしまのドクターのような存在だ。

 わずかな不具合も見逃さない。かみしまの心臓は彼らのおかげで動き続けているのだ。


「佐々木さんが、院長ってとこか」

「誰がどこの院長だって?」

「佐々木機関長!」


 ひと通りの見回りを終えた佐々木が、伊佐の後ろに立っていた。


「機関長みずから見回りをされるのですね」

「遠隔が苦手な古い人間なんですよ。若い連中は新システムの順応が早くて羨ましいです。わたしはどうも音を聞かないと落ち着かなくてね」

「音、ですか」

「ええ。気温や湿度で微妙に動きも変わるし、部品の調子は音で確認します。アナログ人間てやつです。今はそれを人工知能AIてやつが察知してくれるらしいですがね」


 佐々木は目尻にしわを寄せながら笑い、作業帽を整えた。佐々木の手のひらは分厚く、指は太い。カサついた肌に、爪はオイルが染み込んで黒ずんでいた。


「ひとつ、お聞きしたいことが」

「わたしに?」

「はい。休憩室でコーヒーでも飲みながら、いかがでしょうか。そろそろワッチ交代ですよね」

「いいですよ。引き継ぎをしてから行きましょう」

「よろしくお願いします」


 あの手はなんでも知っている。三年前のあの海域で起こった、あの事件のことも。

 伊佐はそう思った。



 ◇



 伊佐は引き継ぎを終え、休憩室で佐々木を待った。窓から覗く海は今のところ穏やかである。遠くに何隻かの漁船が見えた。海で生きる人の営みを守るのも伊佐たちの使命だ。

 三年前の人造人間のことを伊佐は知らない。船長も航海長もあの事件に直接関わっていなかった。

 この船で唯一、知る人間が機関長の佐々木貫太なのだ。


「待たせて悪いね」

「いえ。ワッチ上がりに申し訳ありません。コーヒーに砂糖とミルクは入れますか」

「どちらもお願いできますか」

「もちろんです」


 伊佐はカップにコーヒーを注ぐと、スティック砂糖とミルクを入れて佐々木に手渡した。


「ありがとう。甘党なんですよ。妻からは叱られるんですけど、なかなかやめられない」

「見かけによりませんね。苦いコーヒーを飲んでいそうな印象でした」

「ははっ。イケオジとかいうのにはなれなかったな」


 佐々木がコーヒーをひと口飲み込んで、ふうっと息を吐いた。そして窓から海の様子をうかがう。休憩中でも海の様子は気になるもの。それが海を守る彼らの性分なのだろう。


「ところで、わたしに聞きたいことがあると言っていたね」


 コーヒーを半分ほど飲んで、佐々木はカップをテーブルに置きながら伊佐に問いかけた。

 伊佐もカップをテーブルに置いて、佐々木に向き直した。


「はい。今回はじめて、例の海域を通過しました。その時の佐々木機関長の感触をお聞きしたくて」

「なるほど。あの事件のことはわたしくらいなのかな、この船で知っている者は」

「はい。機関長だけが、体験されています。今も起こるらしいのです。システム不具合や電気系統のダウンが。あの人造人間はまだこの海底で活動しているのでしょうか」

「アレは自衛隊の潜水艦が撃破したよ」

「はい。資料にはそのように書いてありました。警察海上保安庁、及び海上自衛隊との合同訓練だったと」


 当時、国民向けには合同訓練をしたという報道がされた。三つの省庁が連携確認のために行った訓練だったと。潜水艦が撃破したのは標的艦といって、簡単に言えば射撃の的のようなものだ。海上コンテナを標的艦とした珍しい訓練である。


 佐々木は伊佐の顔を見てうなずいた。


「公にはそうなっているね。とてもじゃないけれど、ありのままを国民には話せないし、話したところで信じてはもらえんだろう。今でもまだ、箝口令かんこうれいの最中なんだ。あの事を口にしていいのは、あと十数年は必要かもしれないね」

「やはり、お話を聞くことは難しいですね」

「さすが監理官です。お察しいただきたい」

「では最後に一つだけ。佐々木機関長は例の海域航行中、ずっとエンジンルームにいたんですよね。それは、何らかの心配があったからではないですか。ベテランの勘が働いたのでは?」


 伊佐がそう言うと、佐々木は口元を綻ばせながらテーブルに置いたコーヒーを口に運んだ。


「システム停止をしたのですから当然です。人の目や耳が頼りになるでしょう」

「それを機関長みずからがやると?」


 佐々木は笑いながら窓の外に広がる夜の海を見る。もうそれ以上は聞いてくれるな。そんな仕草だ。


「すみません、休憩中なのに」

「いやいや。コーヒー、ご馳走様でした」


 佐々木はゆっくりと立ち上がり、カップをゴミ箱に捨てた。伊佐に軽く手を上げると、静かに部屋を出て行った。


 伊佐が知る限り、佐々木は当時あの事件では前線にいた人間の一人だ。

 佐々木は、放水銃で人造人間を海上コンテナに落とし込む任務だったのだ。人造人間が軍人の姿をしており、宙に浮きながら攻撃をしてきたらしい。そんなものが本当にあったとは伊佐でも信じがたい。

 しかし、本当にあったのだ。だから今もあの海域を通過するときは、大事をとってシステムを停止する。

 一般の船舶は航行禁止にしている。暗黙のルールであるため、誤って船舶の進入がないよう敢えて巡視船は通過するのだ。

 システムを停止する本当の理由は、人造人間が目を覚まさないように、刺激をしないようにという事らしい。

 撃破したはずなのに……


 よほど過酷な現場だったのだろう。箝口令をいい理由に、誰も当時のことは語りたがらない。


「仕方ないよな。それを聞いたところで、今後の活動が変わるわけじゃない」


 あの海域に綿津見が現れたということは、やはり何かあるのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。



 ◇



 深夜、船内が突然慌ただしくなった。就寝していた伊佐にも緊急招集がかかったのだ。

 急いで身支度を済ませ船橋に向かう。


「何があったんですか」


 歌川も眼鏡の位置を整えながらやってきた。


「漁船からのSOSを受信したのですが、船体が見つかりません」


 当直勤務中だった、通信長の江口が答えた。


「通信が途絶えたのですか」

「いえ、あちらからの電波はキャッチしています。しかし、おかしいのです。位置確認が取れたのに船がない」

「電波は出ている。でも、船体がない……どういうことですか」


 江口は「さて……」と考え込むばかりだ。

 数名の職員が甲板に配置され周囲を目視確認している。船橋ではレーダーを睨んでいるが、そこにすら映らないという。

 状況をいまいち掴めないことにイライラた歌川が、口を開いた。


「その電波は本当に出ているのですか」

「通信科が間違っているとでも?」


 眼鏡の端を光らせながら、歌川と江口が睨み合う。ちょうどその時、無線が入る。かみしま左舷甲板からの情報だ。


『無数の! 光が浮かんでいます!』

「光? どこにだ」

『目の前です。漁火いさりびのようなものが、たくさん!』


 船橋に立つ松平が双眼鏡を手に取った。松平は手を横に振って、ここからは見えないと合図した。

 伊佐はモニターを左舷に切り替えた。しかし、モニターからはそれらしき光を確認できなかった。


「左舷モニターからは確認できない。距離ははかれますか?」


 この辺りで漁火を焚くような漁をしていただろうか。誰もがそんな事を脳裏によぎらせる。


『距離は……です』

「聞き取れない。もう一度お願いします」

『……で、す』

「ダメだ。出て確認してきます」

「伊佐さん、わたしも行きます」


 伊佐と歌川は船橋を飛び出した。本当にそんな灯りが見えるのかを確認するためだ。

 階段を降りて左舷甲板を目指す。何人かの見張り役とすれ違った。まもなく到着するというころ、伊佐は振り返りながら歌川に言う。


「もうすぐ左舷中央だ」

「ええ、分かっていますよ。あのドアをあけたらっ!」


 重みのあるドアをぐっと押した。


「伊佐さん、せーので見ますよ! いいですか」

「ああ」

「せーのっ!」


 二人は左舷中央の甲板に飛び出した。そして、前方に目を向けた。見張りが言うように漁火が灯っているのか⁉︎


「い、伊佐さん」

「歌川、これは一体……」


 自分の肌がオレンジ色に染まるほどの、無数の淡い灯火ともしびが海面に浮かんでいた。


 しかしそこに、船影はない――

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