第6話 出航前準備

 そろそろ、巡視船かみしまにも出航命令が出るだろう。

 新しく配備された巡視船かみしまは、各科において船内でシミレーションが行われていた。

 今回乗務する職員たちのほとんどが、ヘリコプター二機搭載型は初めてとなる。バースから離れた海面では、かみしま特警備隊がボートを使って接舷訓練や移乗訓練を行なっている。


 約130人が乗り込む巡視船かみしま。

 機関科と航海科は船の装備や能力航路の確認を、通信科は新しく導入されたシステムでトレーニングし、主計科は乗務員たちの食料や医療具の補給と大忙しだった。今回はヘリコプター搭載型であるため、航空科や甲板員も乗船する。

 巡視船かみしまの乗務員たちは、いつ呼び出しされてもいいように準備を進めていた。


 その頃、伊佐は船長の松平祥太郎とかみしまの船橋ブリッジにいた。


「南国の海はいいねぇ。青がとてもきれいな青だよ。晴れた日は双眼鏡なんていらないくらいだね」

「ええ。特に遠浅の浜辺はたまりません。船長は北の海に慣れてらっしゃるので、よけいにそうでしょう」

「まったくだ……なのにここは、今やどの管区よりも厳しい」

「ええ」

「さて、あとで航海祈願をしてこようか。ここの神様は他の船とは一味違う。心強い神様が祀られているしね」


 巡視船かみしまにも神棚がある。御本体は七管区の管轄にある志賀海神社しかうみじんじゃだ。「綿津見神社の総本社」または「龍の都」と称えられ、海上交通安全の総鎮守として地域の人々から信仰されている。


「恥じぬよう、任務をまっとうしたいです」

「そうだね。私たちは乗務員の健康と安全を預かっている。全員を乗務したときと同じ状態で、ご家族にお返しする義務がある」

「はい」


 この船の総責任者は船長である松平だ。それを補佐するのが伊佐の仕事である。


「船長、伊佐さん。そろそろミーティングです。クセの強ーい皆さまがお待ちです」


 その伊佐を補佐するために、わざわざ異動してきたのは歌川だ。すっかり補佐官がいたについている。


「クセの強さは歌川も負けてないよな」

「僕のどこがクセが強いと? いちばん普通な職員ですよ。そうですよね、松平船長」

「おい、なんで船長に同意を求めるんだよ」

「わはははは。そうだね、君が言うからそうなんだろうね……わはは」


 伊佐を追ってきた眼鏡の補佐官。射撃も得意でよく見れば背も高くイケメンなのだ。なぜか伊佐の周りから女性職員を排除するのが仕事のひとつとなっている。だからといって、排除した女性を自分が口説くわけではない。伊佐はそのせいで、自分が女性からモテるということに気づいていない。


 本庁にいた頃は、二人が並ぶと絵になると女性たちは様々な妄想をして楽しんでいたそうだ。


 ―― 僕には大事な約束があるんだ。ワダツミと交わした大事な約束が……。


 なにやらここにも、ワダツミに関係する男がひとり。

 一体どんな約束を交わしたというのか。



 ◇



 巡視船かみしまには作戦会議室がある。各科の長が集まり、船の運用や事案に対する方針を話し合う。

 大きなテレビモニターが設置されてあり、航空機や船艇が撮影した映像の転送も可能となっている。


 着席する場所にはそれぞれの役職と名前が書いてあった。


 船長 松平祥太郎

 業務監理官(船長補佐) 伊佐渚

 業務監理官補佐 歌川新汰

 航海科航海長 由井克也ゆいかつや

 機関科機関長 佐々木貫太ささきかんた

 通信科通信長 江口元武えぐちもとぶ

 主計科主計長 我如古レナかねこれな

 航空科航空長 角倉空音かどくらそらね

 ヘリコプター操縦士 和久博実わくひろみ

 特別警備隊隊長 平良豪たいらごう

 特別警備隊高速艇操縦士 比嘉斗真ひがとうま


 歌川がクセの強いメンバーが揃っていると言ったのは、席について待つ彼らを一目見れば理解できた。作戦会議室の中は空気が異様にピリピリしていた。


(静電気でもつくってるみたいだ。なんだよこの空気は)


 伊佐は思わず眉間にしわを寄せた。


 船長の入室を確認して、全員が一同に起立し敬礼する。船長が返礼をすると再び全員着席した。


「お待たせして申し訳ない。では、始めようか」


 この場にそぐわない船長松平の柔らかな声に、少しだけ肩の力を緩める。


 国家公務員である海上保安庁の保安官には、民間とは違い国家機密に値する案件を多く取り扱っている。

 そのため、任務の内容やどの船艇に乗務するのか、また船艇の行き先や乗務員名などは口外してはならない。

 乗船勤務と陸上勤務の両方を交互に行うが、休暇を含む保安官の行動制限の詳細は、所属する船艇によって異なる。巡視船かみしまに乗務する者の行動制限は、この松平の考え一つで決まるといっても過言ではない。

 例えば、休暇中でも緊急の呼び出しに対応するため、港から三十分以内の範囲で行動すること。民間人との交流を広げすぎない。自分の職務の詳細は口外しないなど。


 全国の海上保安庁の人員構成は約一万四千人。この広い領海、排他的経済水域をたったこれだけの人員で守っているのだ。

 だからこそ、船長には大きな責任がある。


 海に関わる人々や財産を守る。そして、任務にあたる保安官の命を守る。とくにこの、尖閣諸島を任された松平祥太郎には重責である。


「とりわけ我々が担任する水域は政治的に複雑であります。海上からだけでは対応が困難である。よってかみしまには出航時から、うおたか(ヘリコプター)を搭載する。以上」


 今回、議長を務める航海長の由井がそう発表した。

 伊佐の隣では歌川が忙しくタイピングしていた。彼は、議事録も担当している。

 伊佐は歌川の眼鏡に反射したパソコンの光を見て、思わず吹き出しそうになった。本当なら講釈垂れながら戦略について喋り倒したかっただろうと想像したのだ。

 なぜなら、今日の会議資料は歌川が作ったものだから。


(議事録係にして正解だったな。議長なんて、させたらいつまでたっても終わりはしなかっただろう)


 室温二十八度は歌川には暑かったらしい。こめかみを汗が一筋伝う。それを拭う暇もないらしい。


「ヘリコプター搭載にあたり、航空科は甲板員と整備員、航空管制員を乗務させます。また、訓練ですがもう少し特警隊と詰める必要があります。運行管理は救難とはまた異なりますので」


 発言は、航空科航空長の角倉空音かどくらそらねだ。彼女はもともと航空管制官をしており、その判断力を見込まれて海上保安官として採用された民間出身者である。

 米軍とのコンタクトも任されていたこともあり、語学力はもちろん誘導も交渉も能力が高い。まだ三十代半ばだというのに、幹部として働く異色の人材だ。

 主計科の我如古レナとは喧嘩もするが、仲がいいといった関係である。


「すみません。その訓練、我々も入れてください。横槍はいれませんが、通信科としては業務範ちゅうだと思うので」


 眼鏡を指で整えながら言うのは、江口元武えぐちもとぶ通信科の通信長だ。細くとおる声でありながら、淡々と冷静に意見をいう男だ。

 歌川と雰囲気は似ているが、必要最低限のことしか言わない。いわば、口数の少ない男だ。分析力が高く、正確に伝達することから信頼度が高い。


「そうですね。船舶数が半端ない水域ですもんね。江口さんのアドバイスなしには難しいでしょう。よろしくお願いします」

「特警隊はそれでよろしいでしょうか」

「大丈夫ですが、空からだけでなく、新しい高速警備救難艇の離艦訓練もお願いします」

「では、伊佐監理官、もろもろの訓練日は航空科、機関科と調整お願いします」

「了解しました」

「最後になりますが、意見があれば科を問わず許可する」


 手をあげたのは主計長のレナだった。


「主計科の方の準備はほぼ終わっています。事務的な補助は可能ですので、仰ってください」

「ありがとうございます。補助希望の科は我如古さんに申し出てください」


 主計科は総務、経理、庶務、給養、救護をこなす忙しい科である。しかし、直接警備や救難の任務には関わらず、航海当直ワッチにも加わらない。出航前の今ならば比較的に余裕があるのだ。


 全ての科が一体にならなければ、巡視船かみしまは役目を果たせない。

 この新しい巡視船は、最新のシステムとが装備されている。そのためか、それを扱う乗務員は全体的に若返りした。五十を過ぎているのは、船長の松平と機関長の佐々木ぐらいである。

 船長と機関長は多くの困難を乗り越えてきた大ベテランだ。彼らの経験は若者に引き継がなければならない。


 未来の若き海上保安官たちのために。


「さて、と。私は船内神社に榊とお神酒をもって行くとするか」

「船長。私もご一緒します」

「うん、いこうか。年寄りには年寄りの役目がある」

「そうですね」


 松平と佐々木は二人で作戦会議室をあとにした。

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