勇者と魔王
永瀬鞠
「う、うそだろ……」
そう言って、勇者は我が主の前でうなだれた。広間の床に膝をつき、さらに両手までつき、これでもかとうなだれる。
これを演技ではなく素でやっていることは付き合いの長さから知っているので、同情もわいてくる。かけらほどには。
かけらほどの同情しかわかないのは、私が魔王さま側の者だからか、勇者がバカがつくほどの戦闘好きだからか、あるいは両方か。
ここ、一応魔王の城なんですけどね。敵の城に乗り込むやいなや、勇者は四つん這いである。
彼がうなだれている理由を説明するにはさかのぼること、なんとたったの10秒前。
『悪いが俺の魔剣は今、鍛冶屋に出しているから手元にない』
意気揚々と城にやってきた勇者は、魔王さまのこの一言であっけなく消沈した。
「俺、今日おまえと戦うの楽しみにしてたのに!」
「予定より修理が長引いていてな」
「俺の秘剣ピッカピカに磨いてきたのに!」
「俺を倒すチャンスじゃないか」
「戦って勝ちたいんだよ!」
「泣くなよ」
「泣いてない!」
泣くか、と思って見ていたが、あ、そうだ、とつぶやいて、勇者は勢いよく顔を上げた。
「じゃあ、今月の牛は1頭だけな」
その言葉に魔王さまは眉を寄せる。
牛というのは町人に頼んで(脅して?)、毎月2頭差し出させているもののことだろう。
勇者は起き上がり、左腰に差していた剣を傍らに置いて、そのままその場に座りこんだ。
「『じゃあ』とはなんだ」
「今日の勝負の賭けは、俺が勝ったら牛1頭、おまえが勝ったら牛2頭、って思ってたんだ。俺の不戦勝だから1頭な」
「卑怯だ」
「それが俺の売りだぜ」
「おまえ本当に勇者か」
勇者はただ、にやりと笑った。
「……先週の豪雨のせいか」
「そう。作物もたくさんだめになって、町の人たち困ってんだ」
「でも牛肉は俺の大好物だ」
「我慢して」
今度は魔王さまが落胆する番だった。
そんな魔王さまを勇者はなぜかじっと見て、それから、「おまえ、災いを呼び寄せられるってほんと?」と、口を開いた。
「……町人たちが噂でもしているか」
「まあね」
「……さあ、どうだろうな」
わずかに笑って答えた魔王さまを、勇者は笑わずに見つめる。
「だが牛に悪影響を及ぼすようなことは絶対にしない」
「牛への執着心半端ないな!」
本当は、魔王さまに災いを呼び寄せる力などない。
それでも、3か月ほど前の病の流行の時も、10か月ほど前の山火事の時も、町人たちは魔王による災いだと口にしていた。
まあいつものことだ。魔王さまも知っている。
知った上で何もしないのは、その噂が我々にとって痛くもかゆくもないからだ。
「俺はさ」
と。勇者の声音が静かなものに変わった。
「俺たちがおまえたちに助けられてる部分も、もしかしたらあるのかもしれない、と思うよ」
……この男は。
「おかしなことを言うな」
「かもね」
魔王さまはふっと笑う。
「なぜそう思う」
「……人は、『なんで』って、思う生き物なんだよ。辛いことが起こったときに、理由がほしくなるし、誰かのせいにもしたくなる」
真実にしろ真実じゃないにしろ、と言葉を続ける勇者を、私も魔王さまも黙って見つめる。
「おまえが町の人たちの不満や怒りの矛先になってくれることで、意味のない町人同士の争いが無意識にきっといくつも避けられてきた。そうやって守られている平和もある」
ときどき、思う。普段のうつけぶりからは想像できないほど、達観している男だと。
彼の言っていることがもしも本当ならば。私たちが生きるこの世界は、複雑に入り組んだ妙なバランスの上に成り立っているのかもしれない。
「まあ、それでも」
真面目な顔をしたまま、勇者は続ける。
「俺たち町人にとってはやっぱりおまえたちは困ったちゃんだ」
困ったちゃん。
「だからしかたなく、俺がこうして町の人たちの意を背負って戦いに来ているわけだ」
「おまえは8割方楽しんでいるだろう」
「馬鹿言うな、1割だ」
「下げすぎだろう」
じゃ、また来る、と言って、勇者は立ち上がる。
「頭洗って待ってろよ!」
ドヤ顔でそう言い置いて、彼は広間を出ていった。
そうして、残された私たちは。
「……俺の頭、におうか?」
「いいえ、まったく。……首洗って待ってろって言いたかったんじゃないですか?」
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