五.

 ***



「レイ兄、どいて」

「ロウカ、そこまでだ。このままだと本当に死ぬ」

「あたしは本当に殺したいの。だからどいて。今すぐ息の根止めてやる」

「それはできない」

「何でよ!?」

「お前が本心では望んでないからだ」

「あたしの気持ちを勝手に決めつけないでくれる!? 良いからどいて!!」

「俺の右目は、それが視えるようにできてる」

「……適当なこと言わないで!」

「……はぁ。悪いな、ロウカ。少し寝ててくれ」

 琅果の額にレイの手が触れる。途端に琅果の体が頽れる。レイはその小さな体を支え、担ぎ上げた。

「トーヤ」

「はい……!」

「悪いけど、これ持って帰ってくれ」

「え、あの、はい……」

 言いながら、レイは棠鵺に琅果を受け渡す。棠鵺はすぐ隣にいた狼に彼女の小さな体を乗せ、落ちないように横から支えた。この場を離れることが正解なのか分からないまま、しかし彼女をこのままここに居させるのは良くない気がして、棠鵺は黙ってレイの言葉に従った。


 遠ざかる棠鵺と狼を見送って、レイは自身の後ろを振り返った。

「大丈夫……ではなさそうだな……」

 砕けてだらんと落ちる腕と、内臓からの出血により腫れ上がった腹部。虚ろな瞳で朦朧と見上げてくる少年の姿を目に留め、おもむろに腰を落とした。

「霊力でいくらかの回復は見込めるだろうが……ここまで来るとどうなんだ? これは、自分で治せるものか?」

 少年は、力なく首を横に振る。「分からない」と。

「そうか……。お前は、まだ……――あぁ、いや……」

 先ほどの琅果と少年との言葉の応酬を思い浮かべ、レイはそれ以上を問うことを止めた。少年の体をさっと見た。

「……何も、失くしてない……よな……?」

 そして一言だけそう言うと、レイは自身の親指の腹を噛み切る。そこからたらりと流れ出る血を、少年の傷口に流し込む。直後、全身から力が抜けるように、少年は瞳を閉じた。

「爛瀬は……」

 背後から、今朝方聞いたばかりの声が聞こえてくる。確か椋杜という男だったか――と思い出しながら、レイは立ち上がる。

「大丈夫だ。この傷だと回復には少し掛かるが……まぁ、明日の朝には完治するだろ」

「明日の、朝……?」

「自分の霊力で補えないだけの怪我だからな。流石にそれくらいは」

「いや、そうではなく……」

 椋杜は驚愕を禁じ得ない。通常、これだけの怪我はいくら霊力に秀でた者であっても生命に関わる。たとえ回復に秀でた精霊族がその補助をしたとしても、精々命の危機を免れるだけで、ひと月は起き上がれないだろう。これが神族か――と、思わず身震いする。現に、爛瀬の外傷は見た目には既に綺麗に治り始めている。

「りょ、椋杜……! 爛瀬……!」

 椋杜の後ろから、更に駆け寄ってくる影が一つ。

「雪晃様、ご無事ですか……」

 椋杜のその言葉に、あぁ、これが噂の――とレイは一人で得心する。

「私は大丈夫、大丈夫よ……! でも……」

「俺も、これくらいなら問題ありません。爛瀬は……この、レイ、殿が……」

「……お前たちのそれは、治るんだな?」

 それぞれ足を引きずったり、腕を抑えたりしている二人を一瞥し、レイが問いかける。

「はい」

「そうか。なら良い」

 椋杜の返答に安堵したのか、レイは力んでいた肩から力を抜いた。そして目の前の少年――爛瀬を抱き上げる。

「身体的なものだけが原因なら、多分あと数時間もすれば目が覚めるだろ。ただ、精神面の傷までは治してない。もし、明日の朝になっても目が覚めなかったら……」

「覚めなかったら……?」

 真剣な面持ちで告げられるレイの言葉を、生唾を飲み込んで椋杜は繰り返した。その二人の会話を、雪晃もまた胸の前で手を組みながら見守っている。

「まぁ、そうだな……夜には起きるだろ。多分」

「そんな、適当な……」

 この場面で冗談はよしてくれと、苛立ちを顕わにする椋杜ではあったが、レイはそんな彼の言葉に耳を貸さない。

「コイツの魂は体との癒着が強そうだから、多分大丈夫だ」

 そう言って、レイは爛瀬を椋杜に引き渡した。



「これは何事ですか!」

 その直後である――新たな闖入者が現れたのは。

 レイにとっては初めて聞く、そして椋杜と雪晃にとってはよくよく聞き慣れたその声に、一同は一斉に振り向いた。

「タカさん……颱良……」

 言ったのは椋杜だ。驚いたように目を見開きながら、普段の彼からは想像できないような大股でこちらにやってくる棕滋と、その後ろで困惑の色を隠せずにいる颱良を凝視する。

「ごめんなさい、ごめんなさい……私……私のせいなの……!」

 そんな二人の姿を見て緊張の糸が切れたのか、雪晃が大粒の涙を流しながら償いの言葉を繰り返し口にする。

「わた、私が、爛瀬のこと巻き込んだの……ごめんなさい……ごめんなさい!」

 地面にぺたりとへたり込む雪晃の姿を見て、棕滋は深い溜め息を吐いた。

「まったく、宮中に姿がないからまさかと思ったら……」

 言いながら、棕滋は雪晃の手を取り、彼女を立ち上がらせる。

「あなた方の話は後でゆっくり聞きます。爛瀬は……無事なんですね?」

 椋杜はその言葉を首肯する。

「では、三人は今すぐに皇宮に戻りなさい。椋杜も爛瀬も……と言っても、爛瀬は動けないでしょうから当然ですが、二人も今日は皇宮内に留まるように。青龍門のことは貴方の部下に任せて問題ありませんね?」

 これもまた黙って首肯した。

「では、今すぐに戻るよう」

 棕滋の言葉を受けて、椋杜と雪晃は気を失ったままの爛瀬と共に、その場を後にした。


 残されたレイは一人立ち尽くす。さてどうしたものかと思考を巡らせた矢先、棕滋と目が合った――気がした。

「これは、その、俺がやったわけでは……」

 そうして出てきたのはなぜか弁明の言葉で、何を言っているんだろうかと自分で自分が分からなくなる。その様子に相手も緊張が解けたのか、一瞬くすりと笑う音がした。

「えぇ、存じております。やったのは琅果でしょう。それを助けて下さったのだ、と愚考致しますが」

「……助けた、なんてものではない、と思う」

「左様ですか。しかし少なくとも我々の仲間が一人助かったのは事実です。お礼を言わせて下さい」

「……あぁ」

 棕滋は拱手と共に深々と頭を下げた。その姿を見て、これまで茫然自失としていた颱良もまた、慌てて頭を下げたのだった。

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