第19話 「大検」の実像 ~ 大検を利用した人たち 2

 私の例は当時テレビの取材を受けるほど特殊だったようにも思うが、実は、必ずしもそうではない。全国のあちこちには、後に有名となるかどうかに関わらず、大検を利用して人生を切り開いていった人たちがいる。

 先ほど母校である烏城高校を検索していると、出身者の有名人として、江田浩司氏という、私より一回りぐらい年上の方がおられるとのこと。

 WIKIPEDIAで調べてみると、江田氏はこういう御経歴。

 中学浪人後烏城高校に入学し、新聞配達のアルバイトで稼いだ金で本を読みまくる。2年時で中退後大検を経て、東洋大学文学部国文学科に進学、大学院時代は高校の講師をする一方、俳句の結社に入り、創作活動に身を投じた。現在も俳人として活躍されている。


 江田氏の例は、大学以降についてはともかく、大学までの経歴は、当時の大学進学者の定時制高校の典型的な利用法である。

 それはともあれ、アルバイトの新聞配達で稼いだ金で本を読みまくった、という記述からは、江田氏が10代後半の多感な時期に、いかに孤独と向き合っていたかが伺い知れる。たったこれだけの記述から、1970年代のとある青年が、机の上に本を積んで、じっくりと読み込んでいる姿が目に浮かぶようだ。

 

 市民運動家出身の政治家で首相も歴任した菅直人氏の長男である菅源太郎氏は、中学時代生徒会長になったものの、不信任決議をされたことがきっかけで不登校になり、進学した高校も2年時に中退、大検合格後は父親同様市民運動に身を投じた。

 政治家の秘書を経て岡山1区から衆議院議員総選挙に2回立候補したものの、落選。2度目の落選後、京都精華大学に入学し、卒業されている。

 卒業前に結婚され、現在は、元岡山県議会議員の橘民義氏が東京で経営されている会社の研究員を務められている。

 源太郎氏の父でもある菅直人氏の政治家、とりわけ首相時代の政策などの評価は別として、源太郎氏もまた、父同様、市民運動に長く携わって来られた。

 後に東京都知事選挙でエキセントリックな所信表明演説をして、ネットを中心に世上をにぎわせたあの外山恒一氏と、ある集会でやり合ったこともあるという。

 ちなみにこの外山恒一氏も、WIKIPEDIAによれば、大検を利用した人物の一人として名を挙げられている。

 政治的な評価は別として、市民運動を経て政治家となった直人氏には、ある種の「打たれ強さ」がある。息子の源太郎氏にもまた、その片鱗は感じられる。

 その後に岡山1区で立候補した高井崇志氏が比例復活とはいえ当選を重ねている(注:数か月前の新型コロナ対策が叫ばれている中のあの「不祥事」についてはここでは論じません)が、源太郎氏がもう一度出馬していたら、ちょうど、民主党への追い風が吹き荒れた選挙だったから、比例復活で当選できていたかもしれない。


 他にも、WIKIPEDIAなどを通してみれば、意外な人物が「大検」という制度を使って人生を切り開くきっかけとしていることがわかる。

 しかし、烏城高校を調べてみたら、出身者の有名人として出てきた人が、私同様、中退者だったというのにはびっくりした。紹介者は、その人だけだ。

 なんだかなぁと、思わずにはいられない。


 「大検は難しい」などというのは、そもそも制度を知らない、知っていても実態を知らない者が、最低限の調査・分析もせず、憶測未満の意識で物を言っていただけに過ぎない。

 きょうび、テレビや新聞だけが情報源という人たち(特に高齢者を中心に)を「情報弱者」こと「情弱」というようだが、その「情弱」という表現さえも顔負けのお粗末な見立てであった。当時はまだ、現在の高認より問題の難易度も高く、合格要件も厳しかった。まして今時のように、英検準2級合格者は英語を免除、などという気の利いた免除要件もなかった。

 だが、必須科目と選択科目を一定数取得すれば合格、というシステム自体は、新制高校になって間もない頃に受検された前田庸先生の頃から今に至るまで、変わっていない。

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