第22話 吉川探偵事務所

 古ぼけた三階建ての雑居ビルを眺めていた。星矢さんから送られてきたマップは、確かにここを示している。この雑居ビルの三階に目的地がある。戸惑いながらも、ビルの中へと入って行く。薄暗く狭い通路の奥にエレベーターがあり、乗り込んだ。三人乗ればぎゅうぎゅう詰めだ。エレベーターの駆動音が大きく、不安を掻き立てられた。

 三階に到達すると、エレベーターの前に小スペースがあり、扉が二つあった。右側の扉には、黄ばんだ紙に『テナント募集』と書かれ、セロテープで貼られていた。そして、左側の扉には、『吉川きっかわ探偵事務所』と表示されたプレートが貼ってあった。神経質ではない僕だけど、プレートがやや傾いていたのが気になった。

「・・・探偵事務所?」

 ひょっとしたら、星矢さんは、自分を刺した犯人の捜索を探偵に依頼していたのかもしれない。それはそれで、腑に落ちない。いまいち探偵という職業の業務内容は分からないけれど、犯人捜しも請け負うのだろうか。犯人は、星矢さんの顔見知りである、元お客さんだと言っていた。ならば、犯人捜しというよりも、人探しと言った方が、星矢さんは喜びそうだ。

 探偵事務所の扉を、恐る恐る開いた。探偵という職業が実在する事に驚き、扉の向こう側に行ってしまえば、カタギに戻れないような緊張感があった。

「すいませーん」

 気づいて欲しいような、気づかれたくないような、微妙な声をかけた。レトロ調の家具や小物に囲まれた室内では、タイムスリップをしたような錯覚になった。映画で見た事があるような古い印象がある。

「はいはーい。どうも、いらっしゃい」

 僕が、室内を物珍しく眺めていると、奥の扉から男性が出てきた。もう一部屋あったようだ。男性がにこやかに微笑みながら、僕に歩み寄ってくる。

「吉川探偵事務所所長、吉川 桃吉朗とうきちろうです」

「あ、僕は、竹内翔太と申します。八剣星矢さんに、ここに来るように言われまして」

「はい。伺っておりますよ。どうぞ、おかけ下さい。お茶とコーヒーどちらが良いですか?」

 こげ茶色のレザーのソファに腰を下ろし、コーヒーをお願いした。さて、僕は、何をさせられるのだろう。まさか、吉川さんと一緒に、人探しをするのだろうか。いやいや、素人が役に立てるとも思えない。左右の手にカップを持った吉川さんが、戻ってきた。

「インスタントですが」

 コーヒーを受け取り、口をつけた。吉川さんは、ローテーブルを挟んだ向かいのソファに座った。年季が入っているソファが、ギシギシと音を立てて軋んでいる。僕は、コーヒーを一口二口三口と飲んで、テーブルに置いた。

「あの、僕は何の為にここに来たのでしょう?」

 聞く人によっては、色々と勘違いされそうな質問だ。自分の足でここへやってきて、人に何故ここへ来たのか尋ねた。しかし、僕はいたって大真面目に、泥酔すらしておらず、吉川さんを見つめた。すると、吉川さんは、茫然と僕を見つめて、呆れたように溜息を吐いた。

「なにも聞いていないのですか? まったく、あの人は・・・まあ、私も人の事は言えませんが・・・」

「え? なんですか?」

 吉川さんは、手刀を振って、誤魔化すようにコーヒーを口に含んだ。首を傾けて、吉川さんを見つめる。吉川さんが小声でボソボソ言った後半の言葉が、聞き取れなかった。吉川さんは、小さく咳払いをした。

「星矢君からの依頼は、今朝彼を刺した女性を見つける事です。ちなみに、この人をご存じですか?」

 吉川さんは、スマートフォンを取り出し、画面をこちらに向けた。僕は、テーブルに手を付いて、身を乗り出すようにして、画面を見た。そこには、派手な化粧をした綺麗な女性が映っていた。吉川さんが、画面をスライドすると、先ほどの女性が下着姿で様々なポーズをとった画像に移り変わった。

「いいえ、知りません。この人が、星矢さんを刺した人なんですか?」

「ええ、そうです。風俗嬢をされています。そして、この画像は加工されています。この手の店の宣材写真では、よくある事です。顔は可愛く、出す部分は出し、引っ込める部分は引っ込めています。その方が、客が取れますからね。つまり、私には未加工、本来の彼女の顔やスタイルが分からないのです」

 スマートフォンをテーブルに置いた吉川さんは、真っ直ぐに僕を見つめた。

「だから、竹内さんにこちらに来て頂きました」

「どういう事ですか? 僕にも分からないですけど」

 ソファに深く座り直し、首を傾げた。

「先日、『マーブル』で女性に殴られたそうですね?」

「え? ああ、そうですけど、それが何か?」

「その女性が、この人です」

 吉川さんは、テーブルに置いたスマートフォンの画面を、指でトントンと叩いた。

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