一章18 『僕の日常その17 ―でえと?編―』

 辺りはすっかり暗くなり、僕とてんちゃんは闇を裂くライトの光に導かれて山――地元の人の多くは丘と呼んでいる――を下りていた。


 天の星は大地を覆う花畑のように夜空を埋めていた。もしかしたらあの星々の裏には見るに耐えない根が張っているのかもしれない。そんなことはもちろん、てんちゃんには言わないけど。


 少しでもロマンチックな気分を味わおうと、 風に吹かれた花びらのような流れ星を探してみた。でもまったく見当たらない。

 星はどれも僕の妄想通り、しっかりと根付いているかのようにその場を動かない。


 せめて周囲が桜の花々に満ちていたら風流な気分にも鳴れたのだろうけれど、生憎ここは素っ気ない緑の葉をつけた木々しかない。それでも枯れ木よりは飾り気があると言われればそうかもしれないとうなずくが、やはり桜には遠く及(およ)ばない。


 やれやれと肩を竦(すく)めつつも、僕は気分を変えるべく、てんちゃんにお話の続きを聞かせてもらうことにした。

「ところで海の長老様っていうのは、どういう存在なんだい?」


 人魚姫は不老不死の真実を聞くために、長老の元を伺った。

 そこまで物語は進んでいたはずだ。


 てんちゃんは眠ってしまったマクロさんを抱き、頭を撫でていた。その手で髭をピンと弾いて言った。

「エビさん」

「エビか。好きなんだ」


 てんちゃんはこちらを見やり、口を開いた。僕も言葉を発しかけていた。

「うん、可愛い」

「美味しい」

 声が重なる。

 それから訪れる、少し気まずい沈黙。


「……黒茸さん」

「なんだい?」

「もしかして、お寿司好き?」

「嫌いじゃない」


 ため息を吐かれた。

「黒茸さんと水族館に行く時は、その前に牛丼屋さんに寄る」

「行きたいって言ったら、一緒に行ってくれるの?」

 てんちゃんは迷いなくうなずく。

 僕はちょっと嬉しくなった。


「エビの長老さんはね」


 唐突に話が戻る。てんちゃんは時々話題を跳躍させることがある。僕は慣れているのでそれに戸惑うことなくついていくことができた。


「とても頭がよくて物知り」

「そしてみんなから頼りにされている?」

「そう」


 きっと杖を突いて歩いているんだろうな。ただ海の中は泳いで移動するのだから、杖は必要ないかもしれないけど。


「人魚姫さんから不老不死の話を聞いたエビさん。でもエビさんも人魚姫さんを食べて不老不死になるかどうかは知らなかった」

「ふむ」

「エビさんはもしかしたら魔女さんなら知ってるかもしれないって言った」

「魔女さんって?」

「海の中に住む、魔法使いのお婆(ばあ)さん。イソギンチャク」

「なるほど」

 うねうね触手が生えているシルエットが、年取って白くうねった髪と繋がって連想したのかもしれない。


「魔女さんに会いに行った人魚姫さん。そこで、本当のことを聞く」

「真実とのご対面か」

「魔女さんは人魚姫さんのお肉を食べると、本当に不老不死になるって言った」

「それは衝撃の事実だ」

「人魚姫さんはビックリして、悲しくなったの。自分がそんな存在なら、悪い人からずっと狙われることになる」

「それは気が休まらなくて怖いだろうね」

「人魚姫さんはどうすればいいかって、魔女さんに相談した」


 そこで言葉を切って、てんちゃんは沈黙する。

 しばらく待っても話が再開される様子がないので、焦(じ)れて僕は訊いた。

「魔女さんはなんて言ったんだい?」

「なんて言ったと思う?」

 てんちゃんのクエスチョンに僕は頭を捻った。


「そうだね。人魚姫さんの体質は呪いなんだ。魔女さんは彼女にそれを解く薬をあげようって言った。とかどうかな?」

「ううん。そんな薬は存在しない」

「……呪いを解く方法は?」

「ないよ」

 呪われた者は、それを受け入れて一生を全(まっと)うしなければならない。メルヘンかと思いきや、なかなかハードな世界らしい。


 しばらく考えたが思いつかず、僕は両手を上げた。

「降参だ。答えを教えてくれないか?」


 てんちゃんは少し足を速めて、光の輪の前に出て振り向いた。

 マクロさんがライトの明かりを受けてか目を覚まし、「フミャー」と鳴いて彼女の腕の中から地面に降り立った。


 白い光は地面を丸く明るく開き、その明かりにぼうとてんちゃんの姿が照らされる。

 光と闇の境界線より少し下の、小さな口が動いた。

「人魚姫さんは、自分のお肉を食べた」

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