第89話 12 膠着

 一回の裏、勇名館の攻撃。

 古賀はここまでの三里の試合を、もちろん全てチェックしている。

 三里は初回の失点が多い。先発のサウスポーの防御率は、相当悪いだろう。

 それでも先発に使っている理由も、おおよそ把握している。


 ピッチャーのタイプを変えることにより、バッターのタイミングやリズムを乱す。

 言ってしまえばそれだけのことだ。

 サウスポーから右のアンダースロー、そして右の本格派へと、タイプが変わっていく。

 単なるサウスポーの一年を先発にしているのは、リリーフの方が精神的に難しいからだろう。

 そして徹底的に打たせて取るピッチングをする二番手のアンダースロー。

 ここに理聖舎からの転校生がクローザーとして機能する。


 遅い球というのは、慣れれば打てるのだ。

 しかしその後にそこそこ速い球が来れば、普段よりもずっと速く感じてしまう。

 終盤にも星の球速に慣れて、どうにか得点出来ていたものが、これでかなり攻略は難しくなる。


 星のアンダースローを活かすために、必ず一巡は東橋に投げさせる。

 この東橋から何点取れるかで、中盤以降の動きは変わってくる。




 ピッチャーに一番大切なものは、スピードでもコントロールでも変化球でもない。

 メンタルだ。

 星は打たれても、点を取られても、愚直に最良を探して投げ続ける。

 ピッチャーとしての純粋な能力では、プロはもちろん大学のリーグでも通用しない程度のものである。

 しかし高校野球なら、地方大会の序盤はもちろん、継投策に一手間加えることで、充分通用するものとなる。


 では東橋はどうか。

 サウスポーということもあり、元々中学でもピッチャーをやっていた。

 入学時点でもピッチャー志望であり、ごく普通の弱小校であれば、充分にエースとして通用した。

 だが今の三里は、甲子園を本気で目指している。


 夏の大会からは、まず東橋が相手の打線一巡と対決し、そこから星に交代する作戦を採っている。

 相手が弱小校ならばともかく、ここまでのレベルの強豪となると、一巡でも普通に打ってくる。

 三点までに抑えれば、と国立は考えていたが、試合は選手を育てる。

 相変わらず点は取られるが、大きく崩れない。

 何より四球が少なくなったことが、成長の証拠である。


 秋を勝てたら、春までにもう一つ上のレベルまで引き上げる。

 星たちの代がいなくなれば、チームを率いていくのは東橋だ。

(育てながら勝たなければいけない。高校野球の面白いところだな)

 これを難しいと言うかどうかは、監督の性格次第である。




 初回、初球ボールから入ってしまうことの多い東橋だが、この試合ではど真ん中に投げ込んだ。

 国立も、へえ、と感じてしまうほどの度胸。

 あえて口にはしなかったが、この試合の勝敗で、センバツへ行けるかどうかが決まる。それは選手たちも分かっている。

 負けて、さらに三位決定戦でも負けても、行ける可能性はある。

 だがそんな考えでいては、絶対にこの試合には勝てないし、三位決定戦でも勝てないし、当然選ばれない。

 そう言ったのは国立ではなく星である。


 監督にはそういったことは言えない。言える場合もあるが、国立はあくまでも実力を示して甲子園に行くと明言している。

 21世紀枠。確かにここまで勝ち進めば、それで出場出来る可能性は高い。だが、だからこそ、ここで勝たなければいけない。

 そう告げる星は、なんだかんだ言って物静かなキャプテンであったが、言葉には強さがあった。

 監督も必死で、キャプテンも必死。

 それがチーム全体の力を向上させる。


 東橋も分かっている。

 右に比べて三割増し、などと言われる左のピッチャーである自分だが、勇名館はこの夏まで、日本一の高校生左腕を有していた。

 そして現在も左右の主力投手を揃えている。左腕である有利などほとんどないだろう。

 左だからどうこうではなく、気持ちで向かっていって、凡退に抑える。

 技術も必要だが、ここでは気合で打ち取る。


 だが気合だけで抑えられるなら、三里よりもずっと長く、充実した練習をしてきた勇名館には敵わない。

 低めに、とにかく低めに集める。

 セカンドに打たせれば、あるいは外野の高いフライなら、キャプテンと副キャプテンがどうにかしてくれる。

 ストレートの低めと、変化球の低め。

 三番に内野を抜かれて四番に回った時はあせったが、深呼吸してまた低めに集める。

 鋭い打球は内野の正面で、課題の初回を無失点で乗り切った。




 試合はじりじりとした膠着状態に陥った。

 三里は東橋が打者一巡を抑えたところで、星へと継投。

 普段ならベンチに引っ込むのだが、今日はレフトに入る。

 このあたりの普段と違う選手の運用は、事前に言ってある国立である。

 もう一度、東橋がマウンドに登る可能性があるのだ。だからこそ今日は三番に入れてある。


 全員が、全力で戦って、勇名館に勝つ。

 甲子園でベスト4まで行ったチームに、気合で勝つのだ。

 心で負けたら、そのまま一気に押し切られる。


 一方の勇名館古賀監督も、序盤から三里の作戦は見抜き、その実力を見極めようとしていた。

 一応スコアラーが偵察はしているのだが、高校生というのは三日どころか、一試合を終わっただけでも急成長する。

 この目で確かめてみて、判断するしかない。


 打力は低い。上位打線しか、勇名館のピッチャーからヒットを打つことは出来ないだろう。

 だが粘って、どうにか出塁しようとする意識が強い。こちらのピッチャーも粘りが必要とされる。

 投手は、とりあえず良い。

 左、アンダースロー、本格派という組み合わせは、分かっていても試合中に微調整するしかない。

 そして、守備がいい。

 内野に指示を出しているセカンドのキャプテンは、カバーやポジショニングが抜群に上手い。

 それはマウンドに登った後も変わらない。

 ピッチャーとしてバッターに集中しながら、守備全体にも気を配る。

 守りの鬼だと言えよう。


 勇名館のピッチャーのレベルなら、このまま丁寧に投げていけば、追加点を取られるのはミスか出会いがしらの連打などであろう。

 問題はどうやって追いつくか。

(最初の一点が痛かったけど、それにしても向こうのキャプテンはいい選手だな)

 セカンドであった時もだが、ピッチャーとしてマウンドに登っても、その背中にチームを背負っているのが目に見える。

 重々しく背負っているのではなく、ただ、しっかりと背負っているとでも言うべきか。

 選手としてではなく、人間として強い。

(白富東に似てるな)

 あのチームも、メンタルに優れた選手が多かった。


 白石が不調(といっても超一流打者の成績)でも、それを周囲で支える。

 キャプテンの大田も強いし、何があっても動じない佐藤がピッチャーとしている限り、あそこのチームが揺らぐことはないだろう。

 この大会の試合運びを見ていても分かる。やってみなければ分からないなどといった、お花畑な感覚では通用しない、明確な実力差が今の勇名館との間にはある。

 この秋は、絶対に勝てない。

 だが来年の夏までには、やってみないと分からないところまで、力の底上げを狙う。スカウトが一人、即戦力を引っ張ってこれそうなので、少し期待している。




 国立も全く同じ考えだ。今は白富東に勝てない。

 あそこには世界レベルどころか、世界史上レベルの化物が二人いる。

 そのためにも、甲子園に行きたい。

 甲子園は人を成長させるという。夏に勝つために、甲子園で一度でも、出来ればたくさん、試合をしたい。

 日本最高の投手と、最高の打者が、本当に偶然に揃ってしまった奇跡のチームであっても、勝負は投げない。

 諦めない強さ。それを星は持っている。


 試合前に想像していた通り、観客は割りと三里の味方だ。

 右投や左投げ以上に、星の本当に低い、そして遅いアンダースローは、観客の注目を引いた。

 どうしてあんな投げ方をするのか、どうしてあんなに遅いのに点を取られないのか。

 野球の不思議を感じて、その場でスマホで調べてみて、野球の知識を増やしていく。

 新しい野球ファンは、スターのプレイに魅せられて誕生する。

 その意味では星も、立派なスターだ。何しろ名前が星である。


 星が投げる。球種はスライダーとシンカー。そしてチェンジアップ。

 それよりもはっきりしているのが、緩急差。

 速くても遅くても、ストレートならばっちりとコントロールが出来る。

 時々狙い打たれることはあるが、連打は食らわない。

 バントなどで揺らがせても、判断ミスをすることなく、フィールディングはさすがに上手い。


 スーパースターの投手におんぶに抱っこで、守備の下手なチームというのはある。

 だが三里は、投手の力量を考えて、守備を鍛えてある。

 星に制球のミスはない。合わせて打つと、野手の正面に飛ぶ。

 かといって強振させれば、変化球でゴロになる。


 古賀は三里の投手力を見誤っていた。

 星という投手は、主にその内野陣と組み合わさることで、その力を本当の細大にまで引き出す。

(まさかスミイチ?)

 スミイチとは、一回の攻防で取った得点が、そのまま試合の結果となることである。

 高校野球の、しかもこのレベルの投手同士の試合では、普通ならあまり起こらない。

 だがどちらのチームも、守備は鍛えられている。

(三位決定戦でも勝てる自信はあるが、それでもこういう負け方は……)

 顔に出さずに悩む古賀であった。




 六回の頭、三里の投手が星から古田へ代わる。

 これまでにはなかったタイミングの継投だ。星はこれまで、打者一巡以上しても、必ず六回が終わるまでは投げていたのだ。

 普段とは違う作戦。だが古賀にはこの意図がはっきりと分かる。

 星の遅さに慣れたところへ、速球派の登場。

 分かっていても、この緩急差に対応出来ない。


 この両チームの中で、一番投手の能力が高いのが古田である。

 MAXで140kmは行かないと言っても、130台後半のストレートはエースとして充分であるし、二種類のスライダーを操る。

 緩急を取るのが少し苦手ではあるが、キレの鋭い変化球は、三振が取れるものだ。

(それにしても、投手を代えるのが上手い)

 感心する古賀である。国立は確かに大学野球の選手としては有名だったが、こういった選手の起用は、監督としての経験が必要なはずなのだ。


 経験の代わりに、嗅覚でもあるのか。

 大学野球で選手として成績を残すのには、高校野球とはまた違った、直感が必要なのかもしれない。


 そしてその国立の投手運用は当たる。

 古田の能力の高さと、守備の堅さがあいまって、勇名館の連打を許さない。

 セカンドに戻った星がダブルプレイなどを成立させて、隙を見せない。

(勝負は最終回までもつれるか……)

 しかしそれもこのままでは、下位打線にその最終回が回ってきそうである。


 ランナーはそれなりに出ているのに無得点というのは、監督の無能以外の何者でもない。

 あるいは監督の読み合いに負けているか。

 一年目の監督に、負けるわけにはいかない。

(と言っても、この投手相手に力技は難しい)

 最終回、代打攻勢。幸い勇名館には、代打専門要員が何人もいる。

 星よりもむしろ、古田のような正統派の投手の方が、代打要員としては打ちやすい。

(勝負は最終回か!)


(勝負は最終回、とか思っててくれたらいいなあ)

 国立はここまで、想定の範囲内で試合が動いてくれていることに感謝していた。

 結果としてはリードして終盤ということで、これもまたいい。

 三里は逆転して勝つパターンが多いが、一点を巡る戦いで競り勝つことも多い。

 要するにどんな状態でも、最後まで集中力を切らさずにプレイしているわけだ。


 星から古田への早めの継投は、この展開のための特別なものだ。

 リードされていたり、逆にもう少し点差があれば、いつも通りのパターンであった。

 東橋が大胆な方向に成長してくれたのが、まず一番の収穫であった。

 星はいつも通りに堅実であり、古田は大舞台に慣れている。

 勝てるパターンだ。

 あとは最後の〆を間違えないだけ。

 ここまで来れば、最後に残しておいた、本当の切り札が使える。

 甲子園へ行ける。


×××


次話「切り札、奥の手、裏技」

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