第87話 10 運命流転

 秋季大会のブロック予選が終わると県予選の間に、国体が行われる。

 多くの人が勘違いしているが、高校球児の最後の試合は、夏の甲子園の決勝戦ではない。

 秋に行われる国体が、甲子園ベスト8まで進んだ学校と、ベスト16の中から三校、そして開催地から一校が選ばれて行われる最後の大会だ。

 もちろん甲子園で引退する、白富東の三年生たちのような選手もいる。


 今年選ばれたのは、まずベスト8に残った八校。おおよそ北から順に並べる。


 津軽極星(青森・東北)

 仙台育成(宮城・東北)

 春日山(新潟・北信越)

 白富東(千葉・関東)

 帝都一(東東京・関東)

 立生館(京都・関西)

 大阪光陰(大阪・関西)

 福岡城山(福岡・九州)


 ここにベスト16まで残った学校の中から、出ていない地区から三校を選ぶ。

 なお開催地の群馬県は、問答無用で選ばれる。つまり関東は三校もいるわけだ。

 そのベスト16を見てみると、東海、中国、四国からそれぞれ、丁度一校ずつが残っていた。

 伊勢水産の皆さんは、まだ最後の夏が終わらないようである。




 実は国体の開催期間と、秋季大会の千葉県予選の開催は、完全に時期がかぶっている。

 国体のためにちゃんと県では予定をずらすのだが、強豪の私立などは三年生主体のチームを送り、一二年は秋季大会に集中するという。

 ちなみに千葉県の場合は、まずブロック予選が終わった後、県大会が始まる。

 そして準々決勝までを終えたところで、国体へ参加。

 それが終わってから準決勝という、あらま甲子園も真っ青というぐらいの過密日程となる。


 帝都一や大阪光陰などの強豪私立はともかく、春日山と白富東は、両方に違うチームを出せるほど選手層が厚くないので、必死で移動して参加することになる。

 もしかして、国体で強豪レベルと戦ってへとへとに疲労した状態で、秋季大会に戻ってくるなら。

 はっきり言ってしまえば、それはチャンスである。




 千葉県の学校の全てが、意外な思いでその秋を戦っていた。

 白富東の高校野球史上最強打者、白石大介が、調子を落としている。

 打率は五割。ホームランは三試合で二本と、ただの超一流レベルの成績しか残していない。


 マスコミ各社、そして各学校の偵察部隊はただちにその原因を探ろうとし、ごく普通に判明した。

 だがそこへつけこめるという種類のものではなかった。


 そもそも大介が母と共に千葉へ引っ越してきたのは、母の両親の介護が問題である。

 正確に言うと祖父だ。寝たきりとか痴呆だとか、そういった重篤なものではないが、癌で臓器を摘出して以来、かなり足腰まで弱ってしまったのだ。

 看護師であった母は、そんな父のことを放っておけず、実家に戻ったというわけだ。


 なお大介の母には兄がいるのだが、家族と一緒に関西へ転勤しており、簡単には戻って来れない状況であった。

 そこで手に職とでも言うべき、どこでも引っ張りダコの看護師である母が、その世話を引き受けたというわけだ。

 状態の安定していた祖父が、秋風も吹かない季節に、感染症になって病院に運び込まれた。

 即座に死亡というわけではないが、現在は集中治療室に入っている。

 看護師だけに大介の母は、予断を許さない状態だとはっきり分かっていた。


 祖父の状態を、大介に正確に伝えるべきかどうか、母は迷った。

 野球選手という不安定な職業の男と結婚した娘を、祖父母はかなり心配していた。

 息子と違って、かなり年を食ってからの娘だったということもあり、その心配はかなり大きなものであった。

 予想通りと言うべきか、大介の両親の関係は破綻した。もっとも大介にトラウマを残すような、そんな後味の悪い別れ方ではなかったが。

 手元にやってきた孫が、やはり野球をしているというのは、心配ではあった。

 普通でいい。野球もやっていいが、勉強もちゃんとする高校へ入り、出来れば大学を出て、しっかりと家庭を作れるような人間になってほしい。


 大介はそのささやかな望みを、大きく超える人間になった。

 祖父は月に一度ぐらい、薬をもらいに病院へ行くことがある。

 去年の県予選、そして今年のセンバツに夏、待合所でテレビを見ていた祖父は大興奮していたそうだ。

「あれがわしの孫だ」

 孫自慢は祖父母の特権であろうが、その意味では大介は、祖父母にとってこれ以上ない孝行をしてくれたことになる。

 体力の問題もあって甲子園へは来れなかったが、テレビでははっきりと見ていた。

「甲子園で場外ホームランを打ったのは、天下広しと言えどわしの孫だけだ」

 祖母にとってはハラハラする孫であったが、祖父にとってはワクワクする孫であった。


 大介の母は、状態を正確に伝えた。

 そうしなければ、嘘を伝えれば、自分も大介も後悔するだろうと思ったからだ。


 祖父は約束していた。

 夏はさすがに暑すぎるから、次のセンバツには応援に行くと。

 今年のセンバツは、ちょっとした風邪で大事を取った。

 だから今度はしっかりと体調を整えて、必ずあの甲子園で大介を、己の孫を見ると。


 今度は優勝出来る。大介は確信していた。

 あの世界大会で、圧倒的なパワーを相手にしても、パワーだけなら呆気なく粉砕出来る。

 ヤンのような投球が出来るのは、日本では直史と、少しタイプは違うが真田ぐらいだ。

 そうやって、気合を高めていたのだ。




「なるほど……」

 事情を知った国立は、腕を組んだまま天を仰いだ。

 大田はかなり詳しく星に事情を説明していたが、この情報ははっきり言って、聞きたくなかった。

 ただ単に調子が悪いのなら、そこに付け込めばいい。

 だがこういった、選手の体調などとは全く違う、同情せざるをえない事情を知ってしまえば、どこか判断にノイズが走る。

「この件については、他の誰にも言わないように」

 こくこくと頷く星であった。


 国立の配慮は無駄である。

 この情報化社会の中、個人のプライベートを調べるのは、ひどく簡単だ。

 特にこういったお涙頂戴系の話は、拡散する方も悪意なく伝えてしまう。

 白石は今、国民レベルのスーパースターだ。嘘か真か、国民栄誉賞などというネタまであった。

 アメリカの160km投手二人からホームランを打ち、試合を決めていた。

 彼一人で優勝したわけではないが、彼がいなければ優勝は出来なかっただろう。


 そんなスーパースターでも、メンタルに動揺があれば、打てなくなる。

 白石大介は、人間だった。ホームランを打つマシーンではない。


 おそらく観客の全ては、白富東に同情的だ。それは相手のチームの応援にさえ言えるかもしれない。

 白石は絶対的な力を持つ敵であるが、同時に千葉の代表のスーパースターだ。日本から世界に通用する、初めてのレジェンドレベルのスラッガーになる。

 育ったのは東京であるが、巣立ったのは千葉である。

 誰だって日本人なら、彼を応援したくなる。




 この大会、三里高校はかなりトーナメント運に恵まれている。

 白富東は決勝まで当たらないし、トーチバと東雲が潰しあった後、白富東と当たってくれる。

 こちらの山で準決勝まで残りそうなのは、勇名館だ。昨年の夏、吉村が甲子園ベスト4までチームを連れて行ったため、選手を集めることが出来た。

 そこそこのピッチャーに、そこそこのバッター。そしてかなりの名監督。

 絶対的なエースは去ったものの、かなり強いことは間違いない。

 なお栄泉は向こうの山で、上総総合は勇名館と早めに当たるなど、準々決勝までは本当に、強力なチームとは当たらない。


 ブロック大会の二試合では、継投が完全に機能して両方とも七回コールドで勝てた。

 県の本予選も、一回戦はコールドで勝てた。

 二回戦と三回戦は、がっちりと正面からぶつかり、実力で上回った。

 ここまで国立は、基本的な指示以外は何もしていない。

 それだけの実力を、三里は身につけている。


 準々決勝を接戦でものにして、いよいよ実力を実感した。

 そして同日の他球場で行われた白富東の準々決勝に、白石大介の姿はなかった。




「白富東、七回コールドで栄泉に勝ったって」

 メールを見た星が報告すると、どこか安堵したような、しかし呆れたようにも聞こえる溜め息が、あちこちから聞こえた。

「白石おらんでも勝てるんか……」

「スコアは?」

「7-0だって。岩崎君が先発完投完封」

「マジか」

「強い」


 詳しいことはベンチ入りできなかったメンバーが、カメラで撮ってきている。それを待つ。

 しかしスコアだけは先に送られてくるので、それを眺めていく。

「中村と鬼塚がホームランか」

「けどヒット九本で七点だから、相当効率のいい攻撃してるな」

「集中打で三点、二点、二点か」

「理想的な点の取り方やな」

 やはり強い。


 エースの片方を完全に温存し、完封するもう一枚のエース。

 主砲がいなくても他の者がホームランを打ち、集中して連打して勝負を決める。

 あの大原を相手に、絶対的な打者を組み入れずに圧勝。

 隙が見えない。


 そこでぱんぱんと国立は手を叩く。

「さあ、あちらの心配はあちらの問題だ。こちらはとにかく、勇名館に勝つことを考えよう」

 正直なところ国立は、この時点でもかなりセンバツに選ばれる可能性は高いのではないかと考えている。

 練習試合などの話は、自然と伝播していくものだ。二枚看板がいなかったとは言え、それなりに白富東と形になる試合であった。出来れば一本ぐらいはヒットが欲しかったが。

 少なくとも千葉県の21世紀枠候補に選ばれるのは間違いない。


 関東に視野を広げてみれば、激戦区の神奈川、東京、埼玉などは常連校が上位を占めている。ここから関東の代表が出ることはありえない。

 群馬と茨城は無名校が残っていたが、ベスト8までで消えている。

 栃木は聞いたことのない学校があったが、割と新設の私立であった。

 今年の春まで完全な無名校で、かなりの歴史があるそれなりの公立進学校で、地域と密着した関係を築いている。

 この三里高校の特色は、かなり優位に働く。


 春のセンバツと言われるが、その選抜の基準は、一つはもちろん秋季大会の実績である。

 21世紀枠と言っても、あまりに弱いところが出場しては興ざめであるのだ。

 もう一つは、ずばり人気だ。

 これまでの大会実績があまりないのに人気、というのはおかしいかもしれないが、集客力と言えばいいだろうか。

 伝統のある学校であれば、OBも大量になる。その中で母校の初出場を見ようという人間も多いだろう。

 夏に比べるとどうしても地味なセンバツは、観客動員数が少なく、高野連をはじめとする運営に入ってくる収入が少ない。

 少しでも観客が来るようにと、そういった条件の学校を選ぶのだ。


 その点でも三里には有利な点がある。古田だ。

 大阪出身の名門強豪校へ入学。しかし家庭の事情で関東へ。

 そこから今年の夏、急に強くなった公立に転校して、そこから甲子園を狙う。地元民は彼を応援するだろう。

 国立にだって、関東六大学の名選手であり、監督就任一年目から、いきなり夏のベスト4に導くという目を引く実績がある。

 あとは本格的なアンダースローの投手など、話題性は他にも多い。


 準決勝の勇名館戦。

 ここで勝って関東大会に行けば、ほぼ関東の候補に選ばれることも間違いないだろう。

 もっとも最後にボロ負けしたりすると印象は悪くなるらしいが、今ならその可能性も低い。

 そして出来れば、一つ勝ちたい。白富東とは当たらないので、それだけは救いだ。




 国体が終わり、白富東が優勝した。

 夏の優勝校の春日山が初戦で敗退したり、いきなり大阪光陰と帝都一が激突したりと、様々なドラマが生まれる大会であった。

 決勝は夏には実現しなかった、白富東と帝都一の対決。

 関東のお隣さん同士が、関東で開催される国体で戦うというわけで、かなりの評判にはなった。


 相変わらず佐藤直史は完封を続けていたが、三試合で16イニングに登板。

 ヒットを一本打たれてついにノーノーの記録は途切れたが、無失点記録は継続中である。

 こいつはいったいどこまで行くのだろう?


 そして打撃面では、打率こそ四割を維持していたが、ホームランを一本も打っていなかった白石が、決勝で爆発した。

 二打数二安打二ホームランで四打点。

 結局国体でも、最後に決めたのはスーパースターであった。

(祖父の死を乗り越えて、天国に捧げるホームランか)

 どこか皮肉な感情が、国立の胸を去来する。

 あの明朗でヤンチャな少年には、そんなマスコミの色をつけてほしくない。


 実際の白石の談話は、少し違う。

「ここで自分が打てなかったら、祖父の死のせいにされてしまう」

 だから打たざるをえなかった、というわけだ。

 意地と覚悟だ。


 だがこれでもう、ストーリーラインははっきりとした。

 関東大会、ただでさえ有利な地元開催であるというのに、ここまで舞台と役者が揃ってしまえば、白富東以外が優勝するのは世間の流れが許さない。

 理不尽だとも思うが、これが世界の流れだ。

 悲劇さえもがこういった後押しになるのが、スーパースターの資格なのかもしれない。

 国立は準決勝の戦い方を考えながら、自分ではなれなかったスーパースターの未来を思った。


×××


この時系列の話はエクストラエピソードで補完されると思います。

次話「胸を張って行こう」

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