第66話 死力を尽くせ

「やられたなあ」

 申告敬遠。確かに存在するが、なぜ最初から使ってこなかったのか。

 首を傾げる春日山の選手の中では、本庄と樋口だけが分かっていた。

「なんか変だったな?」

「白石敬遠するなら、ボールツーからでも普通に敬遠で良かったんじゃないのか?」

 そんなことを言いながら、視線を樋口に向ける。

 説明しろということだ。


 溜め息をつきつつも、樋口は応じる。

 大阪光陰は狡猾だ。強大であるにもかかわらず、いやだからこそ、弱者の戦術も知っている。

「打順調整ですよ」

 そこまで言われても、頭の上にランプは点かない。

「大田でしとめてたら、次の回は白石からの打順でしょ? ランナーなしでも平気で敬遠すると思われるのを避けたかったんでしょうね」

「まあ福島は打ち取ってたしな。運が良かった感じだけど」

「だからわざと大田を塁に出して、長打警戒のための敬遠ですよ。わざわざ二球、明らかなボール球を使って」

「大田が走ったのは?」

「それも打順調整でしょうね。わざとランナーアウトになって、次の回を白石からにしたかったんですよ」

 なるほどー。


 まあ樋口の想定の範囲内である。

 大阪光陰の木下監督。本当に白石を勝負せずに封じ込めるつもりだ。

「あのね、もし白富東が上がってきたら、俺も同じような指示出しますからね。ちゃんと従ってくださいよ。うちが優勝するのは、勝也さんに鍛えられたあんたらがいる今年がラストチャンスなんですから」

「分かってるって、孔明。この関羽様に任せなさい」

「あ、じゃあ俺趙雲ね」

「馬超はもらった」

「じゃあ黄忠で我慢しとくか」

「張飛は誰もいらねーの?」


 気の抜けた会話であるが、少なくとも緊張はしていない。

(出来れば佐藤がズタボロになった状態で勝ちあがってきてほしいけどな)

 少なくとも樋口の頭の中に、大阪光陰にまともにやって勝つ策はない。

 そもそも帝都一との試合に、死力を尽くすことになるだろう。




 企みが上手くいった木下監督は胸を撫で下ろしたが、ピンチは続いている。

 それに途中で見破られたので、同じ手は使えない。

 次からは普通に最初から敬遠だが……おそらく優勝しても、かなり批判はされるだろう。

 去年のような軽蔑と憐憫の視線を、覇者が受けるのは間違っている。

(次の白石の打席までに、勝負を決める!)


 真田は不本意ながらも、全力投球で応える。

 四番の武史には遊び球を入れながらも、ストライクは全部ストレートで奪った。

 結局この回も点は入らず、裏の守備となる。


 マウンドに登った直史は、ふうと息を吐いた。

 ここまでやった。

 ここまでやったのに、勝てないのか。

 いや違う。


 ここまでやったのだから、勝ってしまおう。


 限界を超えろ。

 アドレナリンを分泌させて、痛みを抑えこめ。

 まだ限界は遠いはずだ。




 ジンのリードに、直史は首を振る。

 もう一度首を振られたので、ジンは考え方を変える。

(ここから配球を変えるわけね)

 出したサインに、直史は頷いた。


 11回の裏は、当然ながら四番の初柴からである。

 そこへ投げ込んできたのは、沈みながら内に入ってくるシンカー。

(っ! まだ球種を使う気かよ!)

 次のスローカーブにもタイミングが合わず、ツーストライクに追い込まれる。

(佐藤はここまで全然消耗してなかったけど、やっぱり待球策が良かったんじゃないのか)

 まさかここまで完璧な投球をされるとは。

 バント戦法の失敗も大きい。高めのストレートで決められては、バントも失敗する。

(決め球は、スルーか!?)

 読み通りのボールを、初柴は三振した。


 正直なところ、綱渡りだ。

 延長戦というのは、圧倒的に後者の方が、心理的な余裕がある。

 この中で消耗していく相棒のことを考えると、ジンも胸の内が痛くなる。


 ここまでやった。

 ここまで完璧な投球をしてきた。

 この世界のどこに、直史以上のピッチングの出来る人間がいるだろう。


 五番の加藤は引っ掛けさせてショートゴロ。

 六番の山内は三振。

 全体の球数は多くないとは言え、スルーはかなり限度を超えて使っている。


 12回。

 白富東の攻撃は、真田の前に封じられる。

 真田もまた、故意に出した四球を除けば、パーフェクトピッチングだ。


 そして直史は、マメのことを隠したままマウンドに登る。

 皮が浮かんで、水がたまっている。

 抜いてやればいいのだろうが、下手なことは出来ない。

 下位打線でも手は抜かない。

 ここまで投げてこなかったボール球をあえて投げれば、大阪光陰の選手もゾーンを誤って手を出してしまう。


 直史のコントロールが絶対だからこそ起こる錯覚。

 試合の終盤で使える、投球術の一種である。

(まあ竹中には通用しないけどな)

 痛みの中で集中して、最後はスルー。

 12回、公式記録に残るパーフェクトは絶たれた。




 13回の表から始まるタイブレーク。

 これは試合の速やかな展開を求め、点が入りやすくしたものである。

 このルールが適応されると、たとえば三里の星のような、ヒットは打たれるがホームは踏ませないという選手は弱い。

 そして一人のランナーも出さない直史にとっては、どちらかというと有利なはずだ。

 しかし三振を取れないと、ランナーが次の塁に進む可能性は高い。

 そして一死二三塁となれば、得点の確率は跳ね上がる。


 ノーアウト一二塁から始まる状況。

 打席には八番の戸田、そして二塁には角谷、一塁には手塚という配置となる。

 当然ながらここは送りバントを選択する場面。下手に内野ゴロを打てばゲッツーが取られ、大介に回るのが遅くなる。

 真田の球威に押された戸田の打球は、サードに強く転がる。

「三つ!」

 送球で三塁アウト、一二塁は変わらない。


 ここで回ってくる直史。当然ながらバント。

 今度は成功して、二死ながら二三塁という状況になる。

 そして次なるは白富東でも二番目に頼りになる打者アレクだ。


 だが大阪光陰木下監督は非情。

 申告敬遠で、満塁とする。当然だ。一点を争うこの場面、よりアウトを取りやすいところで取れるようにするのは当たり前なのだ。

 食らいついたジンはショートゴロに倒れて、またも無得点。




 13回の裏、大阪光陰の打者は当然ながら一番の堀。

 二塁には俊足の浅野、一塁には竹中という配置でスタートする。

 当然ながら堀はバントを狙う。決まれば一死二三塁。先ほどの白富東が狙った状況になる。

(痛てえな……)

 何球目でやってくるか、それを読めたらウエストしてもいいのだが。


 だがここは力で封じる。

 スルー。バントをしても、狙い通りには転がらない球。

 勢いを殺そうとした堀は、殺しすぎてしまった。

 目の前の球を素手で掴んだジンは、そのまま三塁に送球。

 フォースアウト。しかし二塁進塁までは防げず。


 さらなる進塁のために、盗塁を企む可能性もある。だがむしろそれは、俊足の浅野が二塁にいた時にすべきことだったろう。

 牽制を入れた後、直史は小寺と勝負する。

 ミートを狙う小寺に対して、直史は曲げまくってかわす。

(痛てえ)

 最後はスルーを空振りさせて三振。

 ジンも二度の後逸はないと、スルーを着実にキャッチした。


 三番の後藤。

 この状況なら、単打までは許してもいいかもしれない。

 ツーアウトだから外野フライでもいい。しかし外野に飛ばされれば、場所によってはポテンヒットとなる。

 そう思いながらも、誰にも打たせないと魂が叫んでいる。


 ストレートをボール球で見せて、シンカーを内に。

 ファール。実質ワンストライク。

 そしてアウトローへのストレート。後藤は見逃したが、これもストライクのコール。

 直史のストレートが想像以上に伸びて見えるのに、ようやく気付いたか。


 そして最後の一球。

 これもまた隠していた、秘密兵器。

 いつもより深い踏み込み。そして倒れこむように投げる。

 ど真ん中のストレート。そう判断した後藤は当然のように振る。

 そのバットのかなり上を通過し、ボールはジンのミットに収まった。

 フラット。異常に伸びるように見える球。脳はこれを、ホップすると錯覚する。

 ここでようやく使った。




 14回の表――。

「よっしゃ。勝負してくれるかな」

 長いバットを持って、大介が打席に向かおうとする。

「大介!」

 それを呼び止めたのは、この試合を作りだした少年。

「頼む」

 必死の形相で、訴えかける。

 にっと笑った大介は、親指を立てた。


 この状況、二塁には俊足のアレクがいて、一塁にはジンがいる。

 大介を敬遠して、ノーアウト満塁にするという選択はあるだろうか。

 真田はここまで打たれていない。だが白富東がスクイズや、それでなくても転がしてきたら。

 満塁の方が守りやすいというのはある。しかしランナーを三塁に進めるというのは、ヒットでほぼ確実に点が入るということだ。


 タイブレークになって、白富東の佐藤も苦労しているように見える。これまでと変化した配球がそうだと思いたい。

 だが実際はここまできてようやく、奥の手を出してきたのではないだろうか。

 球数はやや増えて、140球を超えた。

 普通なら疲れてくるかもしれないが、佐藤は準々決勝までほとんど投げていない。

 まだ引き出しが残っているのか。




 先頭打者の大介は迷う。

 右打席に入るべきだろうか。

 左投手を相手にここまで苦戦するとは――。

(細田以来か)

 結局左打席に入った。

 スライダーを見極めたかったのだが、ホームランを狙わないなら外野の奥には運べる。

(何気に竹中のリードが嫌らしいんだよな)

 結局はホームランにならない程度のバッティングになってしまっている。


 ここで打つしかない。

 おそらくジンでさえ気付いていないが、直史の様子が少しおかしい。

 雰囲気が切迫しすぎている。

 一打逆転の場面でも、平然と投げられるのが直史の長所だったはず。

 直史のペース配分は信頼しているが、まさか延長をここまで、しかもパーフェクトに抑えるというのは想像していなかったはずだ。

 さすがのあいつでも、集中力が切れる可能性はある。


 大介への初球のスライダー。

 ストライクゾーンをかすめていくこの球は、やはり打ちにくい。

 そして二球目はシンカー。

 内角のそれを打ったが、一塁側のスタンドへのファール。


 追い込まれた。

 だが関係ない。




 竹中は三球目、高めに大きく外すストレートを要求した。

 真田のストレートで錯覚させて、最後はまたスライダーでしとめる。

 頷いた真田が、バックスピンのかかったストレートを投げる。

(ば! 甘い――)

 この高さなら白石は――。


 ボールが消えた。

 バットが消えた。

 ボールはただまっすぐに、ライトの空へと消えていく。




『あー! あー! あー!』

『――!!』

『あー! 越える! 越えた! 消えた!』

『……』

『白石大介の打球が……場外へ消えました……』

 立ち上がったアナウンサーが、どっかりと座り込む。

『消えました……』

 空虚な言葉、そして間が空く。


 大空の向こうへ消えた。


 大介はゆっくりとベースを回る。


 待っていたジンとアレクに、ホームを踏んでハイタッチ。

 ベンチに戻った大介を、選手たちのみならずシーナまでもが混じって背中を叩く。

「大介」

 どこか呆然としたままの大介に、直史は左手を上げた。

 左手だけでのハイタッチだった。


 何も憶えていない。

 最後の一球、真田の投げたのがストレートだったところまでの記憶はある。

 だがその後、気が付いたらホームでアレクとジンにハイタッチしていた。




 マウンドに崩れ落ちた真田がベンチへ。ライトの加藤が再びマウンドに登る。

 まだ試合は終わっていない。

 決まったような試合でも、覆せる力が自分たちにはある。


 だが加藤の気力も、芯のところでは折れてしまっていた。

 四番の武史と、五番の鬼塚が連続安打。

 ノーアウト一三塁となったところで、大阪光陰は最後の投手を出す。

 敗戦処理のような形になってしまったが、豊田がマウンドに登る。

 ここで、無得点でしのいでくれたら。


 だが浮き足だっている。

 監督だけでなく選手も、どこか折れてしまっている。


 豊田はヒットこそ許さなかったものの、内野ゴロの間に武史がホームに帰り、四点目を奪った。


 そして14回の裏が始まる。

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